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「働かない中高年社員に高給を支払えなくなった」女性の社会進出が劇的に進むときに裏で起きていること

プレジデントオンライン / 2023年7月14日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

少子化が加速している。雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「不況に端を発した『昭和型社会』の崩壊が、女性の社会進出と少子化を生み出した。産業界と女性のWin-Winの関係の帰結が少子化であり、これは一筋縄では解けない難問だ」という――。

■女性活躍が進む要因

日本と比べて欧米は、早くから開明的で女性活躍が進んでいたと思われがちですが、それは、半分まちがいです。以前の記事で書いた通り、欧米でも男尊女卑や性別役割分担は、かなり根強く残っていました。彼らはいつの時代でも、日本より少し先を歩いているだけのことであり、昔から開明的であったわけではありません。

ただ、昭和期、とりわけ戦後にその差は著しく開いたことは確かです。

日・欧米とも同じように恋愛結婚をして、核家族で、標準家庭を範とするロマンティックラブ路線を歩んだにもかかわらず、なぜ、日・欧米では戦後に男女平等化で差が生まれたのでしょう。

その答えを説明するために、まず、「社会を変化させるトリガー」について、説明しておきます。

社会に浸透していたテーゼが崩れ始めるのは、えてして、産業や経済、人口構成など社会の主たる構成要因に、何らかの変調が起きたときです。こうした背景があって、そこに啓蒙(けいもう)運動などが加わると、社会は大きく変わっていく。

日本が高度成長を基に男は外で働き女は家庭に入る「昭和型」を強める中で、欧米各国には変わらねばならない理由が度々発生していました。そこで、差が大きく開いたわけです。

いくら声高に差別撤廃を主張しても、社会要因が熟さない中ではなかなか変化は起きないのです。

そして、今、なぜ日本は急激に変化しつつあるのか。その理由も、「社会要因」が起点となっています。まさに、機は熟した! ということでしょう。

■戦中だけの「束の間の女性進出」

まず、欧米諸国で一足先に、女性の社会進出が始まった理由を見ていきます。

【連載】「少子化 女性たちの声なき主張」はこちら
【連載】「少子化 女性たちの声なき主張」はこちら

女性の社会進出は、20世紀以前にも一時的に何度か進んだことがありました。それは「戦争」による悪戯です。戦中は壮年期の男性が戦地に駆り出されることになります。当然、社会全体では労働力不足に陥る。そこで、銃後の女性たちが、男性に成り代わり働くことになりました。

最初のうちは、職場に残る年輩男性からお手並み拝見程度に見られていた女性たちが、しばらくすると、立派に仕事をこなすようになります。長い戦争ともなれば、「女には無理」と思われていた重労働や建設などにまで、女性が進出を果たしました。それでも男性たちは、女性労働のことを「ダイリューション(水割り)」などと揶揄して、自分らよりも技能も生産性も低いと留飲を下げていたようです。

ただ、こうした女性の社会進出も、戦争が終わると萎んでいきます。復員した男性たちが職場に復帰し、また何事もなかったように彼らが職場を牛耳るという揺り戻しが、幾度も起きていました。

第1次世界大戦の頃まで戦争のたびに起きた女性の「束の間の社会進出」が、第2次世界大戦後には、ちょっと様相が変化します。最初にそれが現れたのが北欧諸国でした。

■北欧で起きた深刻な人手不足

北欧諸国の場合、第2次世界大戦の被害をほとんど受けなかったことが一つ目の要因です。戦後にアメリカ主導で始まったマーシャルプランによる復興が進むと、北欧諸国の無傷な工場がフル稼働することになります。そこで深刻な人手不足となった。これが「戦後まで女性の社会進出が続いた」大きな理由です。

北欧諸国は、国土がそこそこ広い割に、人口は少ないので、工場周辺で労働者を募るのも大変だったのでしょう。近隣に住んでいるなら性別問わず働いてもらう、という流れになっていきます。

と同時に、北欧諸国は天然資源や観光資源に恵まれ、社会全体が豊かでもあり、古くから福祉国家として医療や介護が充実していました。社会活動が盛んになる中で、高福祉を維持するためには、医療・福祉系人材のさらなる拡充が必要になります。そのことも、女性の社会進出を後押ししました。こうして北欧ではいち早く、女性の社会進出が始まった、と考えられます。

加えてノルウェーでは、1980年代初頭に北海油田の開発が加わり、景気はさらに過熱して人手不足が高進します。一方では、原油収入による税収増加で余裕資金も増えます。これで、女性活用促進に公的な助成がつけられ、クォータ制など大胆な女性活躍支援策が打たれました。

スカンジナビアの地図
写真=iStock.com/omersukrugoksu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/omersukrugoksu

■各国ごとに女性進出の背景は異なる

続いて、50年代後半ころからアメリカに変化の兆しが現れます。こちらはひどすぎた人種差別が、社会の各所で歪みを生み出し、修正圧力が高まってきたことがその理由と言えるでしょう。結果、人種問題だけでなく、ジェンダーに関しても光が当てられ、60年代になるとウーマンリブも盛んになる。こうした差別撤廃に根差した公民権運動が労働をも大きく変えました。

当時のアメリカでは、長期雇用は当たり前であり、一つの工場に親子2世代が務めるケースなども、まま見られた牧歌的な社会でした。そして、細かく区切られた職務等級をちょっとずつ上っていくという形で年功的に昇給が起きます。その様は後の日本型雇用のある面での手本になったという研究者もいます。ところが、この慣行は公民権運動の中では、年長×白人×男性への偏った高給優遇として批判を浴び、壊されていくのです。こうして、平等化と引き換えに、アメリカ型の不安定雇用が広まっていきました

北欧やアメリカで女性活躍が進み始めたころ、フランスでは、ナポレオン法典の残滓として、かなり男尊女卑の風潮が色濃く残っていました。女性たちは反発を強め、1968年の五月革命時、精神的・経済的・性的な自由を獲得するために声を上げます。そして、法的な結婚をしないカップル(ユニオン・リーブル)が、流行を始めます。結果、少子化がとても速いペースで進行しました。この点、フランスは日本の大先輩にあたります。そこで、危機感を抱いたフランス政府は、結婚しても働ける、子どもがいても働けるという「女性に多彩な選択肢」を用意する政策を行います。これが女性進出の流れを作りました。

■男性一人で家計を支えることができなくなった

欧州全体では、60年代後半から80年代前半に変革が進みます。当時、欧州各国では産業が成熟化し、経済成長率が低下していました。そこに遅れて経済成長が始まった日本が猛烈な攻勢をかけます。

ちょうど、2010年前後に日本が、中国や韓国の猛追で苦境に陥っていたのと相通じるところがあるでしょう。

低成長で賃金上昇がストップした欧州諸国では、男性が一人で家計を支えることが難しくなり、家計補助としての女性労働が広がります。こんな経済不調を軸にした女性の社会進出のケースとして、オランダを例に挙げておきます。

salaryと書かれたカードがハサミで切られている、給与削減のイメージ
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

■国も企業も働き手もメリットがある三方よしの働き方

オランダはダッチ・モデルという名で、独特な働き方をすることが有名です。短時間でも正社員となれて、完全な同一労働同一賃金で働ける仕組みです。これだと、夫婦ともに週休3日(勤務4日)で働いたとしても、二人合わせると週8日勤務のため、夫のみ5日働く場合よりも、世帯収入は1.6倍にもなります。

なぜこうした働き方となったか? 1980年代初頭、景気低迷に苦しんだオランダでは、労働者の権利を守りながら、雇用調整や労働移動がより行い易い仕組み作りについて、政労使で協議を重ねました。それが、労使の歴史的和解と呼ばれる「ワッセナー合意」として1982年に結実します。これにより、給与・待遇では全く見劣りしない短時間社員が誕生します。

当初、企業側は雇用者が増えると嫌がったのですが、じきに、「これは企業に有利」と気づきます。なぜなら、短時間正社員の組み合わせで土日も就業日とすれば、会社施設は週7日間フル稼働することができるからです。この方が効率的でしょう。

また、不況で誰かに自宅待機してもらう場合でも、フルタイマーの人よりも、短時間の人の組み合わせの方が、お互い痛みも少なくなります。

そして、この組み合わせだと、夫婦が別々に休みをとれば、最大週6日どちらかが家にいることもできる。これに潤沢な育児休暇や有給休暇を組み合わせれば、夫婦ともに育児も可能となります。結果どうなるか? 保育園などの社会インフラに国はあまりお金を使わなくてすむ。つまり、国・企業・働く人、三方一両得となるわけです。だから、この働き方が浸透し、女性も社会進出しました(図表1)。

【図表】欧米で女性の社会進出が進んだ背景

■バブル崩壊で「お嫁さん」モデルが退潮

以上、欧米4カ国・地域でどのように女性の社会進出が進んだかを、駆け足で振り返ってみました。それは、理念や啓蒙活動で変化が起きたというよりも、経済・産業・人口構成などの社会的要因が起点となっているのが分かったでしょう。

ひるがえって、今の日本を見て見ることにします。

バブル崩壊後の日本は、不況で家計が苦しいという部分でかつてのオランダに似ています。簡単に言うと、企業は働かない中高年社員に高給を支払えなくなった。その結果、家計を支えるために、多くの主婦はパート労働に精を出すことになり、専業主婦は減りました。これが女性の社会進出の第一幕。

バブル後の不況は、事務職女性の雇用を減らし、そこから「腰掛け=OLモデル」という、女性がお飾りのように働く仕組みも壊れています。

そして、OLモデルの崩壊は、短大進学率を押し下げ、代わって女性の四年制大学進学率を押し上げます。結果、2000年代になると四大卒業女性が増え、そこから総合職の女性比率も上がっていく。こちらは、女性の大学進学率を上昇させ、卒業後は総合職として働く女性が増えていきました。これが女性の社会進出の第二幕です。

オフィスでミーティング中
写真=iStock.com/Johnny Greig
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Johnny Greig

■少子化のサイクルが出来上がった

四大進学率の上昇で、女性の修学年齢が2~4歳長くなり、そのうえに、腰掛けではなくしっかり働くために、就労期間も延びることになります。当然、晩婚化が進みます。また、経済力を手に入れた女性は男に頼らず、独身を選ぶ可能性も増えます。こうして未婚率が上昇。

仮に、結婚して子どもを産んだとしても、手に入れたキャリアを捨てたくはないので、すぐに会社に復帰したい。だから、産むのは一人となっていく……。これらの要因が合わさったのが、少子化サイクルなのではないでしょうか。

不況に端を発した「昭和型社会」の崩壊が、女性の社会進出と高学歴化、そして少子化を生み出しました。

少子化が高進すると、人手不足のために、産業界は「女性の就労」を強く求め始めます。そうして、総合職入社した彼女らが、立派な産業戦士に育つと、企業は彼女らに辞められると困るようになる。その結果が、2010年代後半に起きた、急スピードでの女性活躍支援強化です。現在、産業界にとって女性活躍は、まさにWin-Winとなっています。当然の帰結として、少子化は深刻度を増さざるをえないでしょう。

この難しいパズルは、一筋縄では解けないでしょう。

社会に起きたねじれが、多重に軋みとなっている状態をどう解きほぐすか。その処方箋は、連載終盤にて考えることにいたします。それまでもう少々お待ちください。

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海老原 嗣生(えびはら・つぐお)
雇用ジャーナリスト
1964年生まれ。大手メーカーを経て、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)入社。広告制作、新規事業企画、人事制度設計などに携わった後、リクルートワークス研究所へ出向、「Works」編集長に。専門は、人材マネジメント、経営マネジメント論など。2008年に、HRコンサルティング会社、ニッチモを立ち上げ、 代表取締役に就任。リクルートエージェント社フェローとして、同社発行の人事・経営誌「HRmics」の編集長を務める。週刊「モーニング」(講談社)に連載され、ドラマ化もされた(テレビ朝日系)漫画、『エンゼルバンク』の“カリスマ転職代理人、海老沢康生”のモデル。著書に『雇用の常識「本当に見えるウソ」』、『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと』(ともにプレジデント社)、『学歴の耐えられない軽さ』『課長になったらクビにはならない』(ともに朝日新聞出版)、『「若者はかわいそう」論のウソ』(扶桑社新書)などがある。

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(雇用ジャーナリスト 海老原 嗣生)

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