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ピンピンコロリは「最悪な死に方」である…高齢者医療のプロが「PPKを目指してはいけない」と訴えるワケ

プレジデントオンライン / 2023年8月2日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LPETTET

■治療をせずに最後を迎える人は非常に少ない

外来診療をしていると、「要介護状態になりたくない」「他人の世話になってまで長生きしたくない」という声をよく聞きます。とくに高齢の患者さんからは「もう十分生きた。早くお迎えが来てほしい。治療やリハビリなど無駄なことはもうたくさん」と言われることも日常です。

しかし、もし本当に「寝たきり」や「他人の世話になりたくない」というのがその人の最も重要視する希望であるならば、むしろ適切な治療やリハビリを行っておいたほうが得策ではないかと、そのような人に私は言うようにしています。なぜなら人である以上、その状態を経ずに最期を迎えるケースは、じつは非常に少ないからです。

加齢・老化による生活機能低下は、個人差はあれ、すべての人が直面せざるを得ない問題であって、その自然の流れを力ずくで変えることは不可能です。巷(ちまた)には「寝たきりにならないために」とか「認知症にならないために」という文言を掲げた書籍やネット記事が溢(あふ)れていますが、むしろこれらにたいする有効かつ決定的な手段や特効薬がいまだまったく存在しないゆえに、これらの言説が世に溢れているともいえるわけです。

これらの情報は、さも「特効薬」であるかのように見せかけた“毒にも薬にもならないサプリメント”のようなものであって、わざわざお金を払ってまで入手するほどのものではないともいえましょう。

■「ピンピンコロリ」は幸せな逝き方なのか?

もちろん、だからといって何もせずに「治療やリハビリなどしても仕方ない」などとお手上げのままそのときを待つわけではありません。いかにその到来を先送りするか、そのときが到来してもいかに苦痛を最小限にしてより快適に過ごすか、ということに軸足を移して考え準備しておくことのほうが、より現実的であろうと思うのです。

高齢者の中には「できることなら死ぬ直前まで元気にしていて、苦しまずにコロッと」という、いわゆる「ピンピンコロリ」(PPK)を望む人はけっして少なくありませんし、人生100年時代といわれるようになって久しい昨今、PPKを「理想的な死」の代表格としてみなされることさえあるようです。

しかしこのPPK、すなわち徐々に生活機能の低下をきたすなどの要介護状態に至ることなく、いきなり人生の最期を迎えることになる「ピンピンコロリ」とは、本当に「幸せな逝き方」といえるのでしょうか。

もちろん死生観、何を幸せと考えるかは、個々人によって千差万別ですが、少なくともこのPPKが、じっさいどのような死に方なのかを理解していないと、「こんなはずではなかった」ということにもなりかねません。本稿では、このPPKについて具体例を用いてシミュレーションし、将来の「理想的な死」を思考する上での材料として提供してみたいと思います。

以下の2つのケースを例に考えてみましょう。

■リタイア生活中に突然倒れ、心肺停止に

例1)あなたは75歳。高血圧で薬は飲んでいますが、ほかに大きな病気もなく、なんら不自由なく暮らしています。今も定年退職した会社に週に3回、参与という肩書で出勤、とくに重責を押しつけられるわけでもなく、後輩たちと談笑するだけでいくばくかの給与をもらい、退職金と年金で悠々自適の生活です。

妻には「俺は寝たきりになってまで生きていたくない。身体じゅうに点滴やら管を入れられて病院で最期を迎えるなんて絶対勘弁してほしい。自分で買ったこの家、住み慣れたこの家で家族みんなに看取られて、苦痛なくコロっと安らかに死ねれば他に望むことはない」と常々言っていました。

そんなある日、後輩たちと仕事帰りに軽く飲んで帰宅した玄関先で、急に胸が苦しくなって倒れこんでしまいました。驚いた妻は救急車を呼び、そのまま救急病院へ運ばれましたが、到着時にはすでに心肺停止の状態。心臓マッサージと人工呼吸器が取り付けられ、フルコード(※1)の救命処置が取られましたが、心拍は再開することなくそのまま救急室での死亡確認となりました。

※1:心肺停止等の場合にありとあらゆる救命処置を行うこと

■脳梗塞の治療をしたら容体が急変し…

例2)あなたの母親は95歳。過去に軽い脳梗塞で投薬治療は受けていますが、麻痺もなく、認知症もなく、日常生活に必要な機能動作も保たれてれおり、平穏に暮らしていました。

そんなある日、あなたの妹とその息子が遊びに来て、みんなで夕食の食卓を楽しく囲んでいたところ、母親は急に目眩と吐き気を訴えはじめました。すぐに救急車を呼ぼうとしたが、意識のある本人は「このまま家にいたい。死んでもいいから病院には絶対に行きたくない。延命治療はしてほしくない」と言い張ります。

しかし看護師である妹が、病院で診断だけでもつけてもらおうと説得、けっきょく救急搬送となりました。病院では脳梗塞との診断でカテーテル治療を提案されたため、緊急の家族会議。「これまで元気だったのだからこの治療に賭けてみよう」と本人を説得して、緊急カテーテル治療を受けることとなりました。

しかし治療開始後すぐに容体が急変、主治医の判断で人工呼吸器が装着され、手術室から出てきたときには意識もない状態で、そのまま集中治療室へと運ばれていき、けっきょくその夜、息を引き取りました。

■「家のベッドで家族に看取られる」状況はまずない

これらが、現代のいわゆるPPKの例です。PPKに厳密な定義があるわけでもありませんし、個人個人でPPKの意味やとらえかたが異なるとは思いますが、直前まで元気にしていてコロっと死ぬというのは、これらの例のような、いわば予測され得なかった突然死ということになります。

つまり、その急変の瞬間を目撃、共有した人は100パーセント救急車を呼ぶなり、即座に救命救急処置を開始することになり、これらは通常避けられません。

逆に、現在の日本において、つい先ほどまで元気に話をしていた人の呼吸や心拍が急に止まっているのを確認したにもかかわらず、ベッドに寝かせたまま“平穏に看取る”という選択をした人は、なぜそのような対応をしたのか、なぜ救急車を呼ばなかったのか、厳しく問われるとともに、あらぬ疑いをかけられる危険性すらあるといえるでしょう。

これらのシミュレーションからいえることは、現在のわが国におけるPPKとは、住み慣れたわが家のベッドで家族に看取られて平穏な最期を迎えるのとはまったく真逆の環境で起きるということです。

もしかすると過去に行ったこともない病院の救急室、しかも家族の立ち入りを禁じられた冷たい救急室の中で、人工呼吸器をはじめとしたあらゆる装置につながれ、採血や点滴の針を四肢に刺され、心臓マッサージをされ……というフルコードの処置のあげくの果てに、人生で初めて会う人たちだけに囲まれて最期を迎えることになる可能性が極めて高いものである、という認識は持っておいたほうが良いでしょう。

手術を行う医療チーム
写真=iStock.com/shapecharge
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shapecharge

■「家族に迷惑をかけたくない」と思うなら

このような「逝き方」は、たしかに何年も要介護状態となって家族に負担をかけるということはありませんが、まったくの覚悟もないままの突然の別れは、遺された人に大きな悲しみや戸惑いを与えることにもなるでしょう。

その意味では、むしろ「家族に迷惑をかけたくない」という考えのもとPPKを理想としている人こそ、これらの例のような突然死よりも、徐々に衰弱し要介護状態とはなってもできるだけ苦痛を伴わずに、家族とともに住み慣れた自宅で平穏な最期を迎えることのほうが、その理想により近いのではないかと私は思うのです。

もちろん本稿は、このような突然死をされた方について、不幸であるとか家族に負担をかけるとして批判するものではけっしてありません。人は誰しも死を迎えることは避けられないという動かしがたい現実はあるものの、それがいつどのような形で訪れるのかは、誰にも制御できないということを踏まえた上で、さも「理想的な逝き方」であるかのように昨今思われているPPKとはいかなるものかということを、具体的に例示したにすぎません。

■寝たきりや認知症はそんなに悪いことなのか

さらにいえば、PPKを「理想的な逝き方」であるとの思考のなかに、ややもすると「要介護状態」や「認知症」で生きていくことを否定的にとらえる思考が含まれているとするならば、それには高齢者医療・在宅医療にかかわる医師として、非常に残念な気持ちを持たざるを得ないことを、多くの人に理解していただきたいのです。

昨今の少子高齢化、高齢者にかかる社会保障費の増大を懸念する声の高まりとともに、「高齢者は集団自決するのが唯一の解決策」と述べた経済学者の暴論も飛び出しました。これらの「要介護状態」や「認知症」で生きていかざるを得ない人が、あたかも若者の足を引っ張る存在であるかのような言説がこの国の空気を支配していくことになれば、個々人で多様かつ自由であるべき「理想的な逝き方」さえもその空気に支配されてしまいかねません。

重要なのは「寝たきりにならないために」「認知症にならないために」ばかりに集中して対策することではなく、「寝たきりになっても」「認知症になっても」不安なく穏やかに最期を迎えたいとの希望を持つ人が安心して過ごせる社会を、いかに作っていくかということです。そしてそのように高齢者が真に安心して生活できる社会であれば、「PPKは理想的な逝き方」などと、それほど言われることもないでしょう。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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(医師 木村 知)

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