NHK大河ドラマでは無視されている…「本能寺の変」後でハッキリとわかる織田信長と徳川家康の本当の関係
プレジデントオンライン / 2023年7月30日 20時15分
■実は家康は信長を追って切腹しようとした
19世紀前半に編纂された徳川幕府の公式記録『徳川実紀』には、いわゆる「伊賀越え」について「御生涯御艱難之第一」と記されている。徳川家康の生涯における最大の危機だったというのである。
このとき危険な状況下に置かれたのは、伊賀(三重県西部)の山を越えていたときだけではない。天正10年(1582)6月2日未明、織田信長が京都の宿所であった本能寺(京都市中京区)を明智光秀の兵に囲まれ自刃に追い込まれてから、家康が6月4日に無事に岡崎(愛知県岡崎市)に帰り着くまでの3日間、家康は生命の危機にさらされ続けた。
むろん、この危機が乗り越えられなければ、のちの徳川幕府もなく、首都の場所もふくめて日本の歴史はかなり違うものになっていただろう。
そもそも家康は『石川忠総留書』によると、信長が横死したと知らされて、ショックのあまり「信長の御恩をかうふり候之上は、知恩院にて追腹可之成」と発言したという。松平家ゆかりの寺である知恩院(京都市東山区)で、みずから腹を切って信長への殉死を遂げようとした、というのだ。
いったんは知恩院に向かいはじめたものの、本多忠勝ら家臣のほか、信長の命で家康に同行していた長谷川秀一らの懸命の説得で、ようやく思いとどまったという。
この逸話からは、家康が信長を敬愛し、2人の関係が良好だったことが伝わる。NHK大河ドラマ「どうする家康」では、家康(松本潤)は妻子を失って以来、ずっと信長(岡田准一)を恨み続け、「信長を討つ」ことだけを心の支えにしてきたことにされていたが、その設定はやはりナンセンスだろう。
■ドラマのような少人数での脱出ではなかった
ナンセンスな描写をほかにも挙げておこう。「どうする家康」の第28話「本能寺の変」(7月23日放送)では、「伊賀越え」がはじまるところまで放送された。そこで家康は、わずかな兵をしたがえて山中を走りながら、みずから刀をとって落ち武者狩りをする百姓たちと戦っていた。次々と家康を襲う百姓たちと取っ組み合いながら逃げるのだが、さすがにこんな状況がずっと続けば、命がもたないのではないだろうか。
現実には、家康の伊賀越えに随行した人数ははっきりしないものの、それなりに達したと考えられ、黒田基樹氏は「数千人は引き連れていたことであろう」と記す(『徳川家康の最新研究』朝日新書)。
また、同じ28話で、「家康の首をとれ」という号令が明智光秀(酒向芳)から出されたことになっていた。しかも光秀の動機は、安土城(滋賀県近江八幡市)で家康一行の饗応役を務めた際に、家康が鯛の臭いを気にし、自分が信長から叱責される原因をつくったから、というもの。
光秀は「あのクソたわけ(家康)の口に、腐った魚を詰めて殺してやる」と発言したが、このように低レベルの私怨にとらわれる男に描かれる光秀が気の毒である。
■4日で141キロを走破
さて、ドラマの描写を離れて、家康の動きを追ってみたい。
信長の提案で、5月29日ごろから堺(大阪府堺市)を見物した家康は、6月2日の朝に京都に向かった。ところがその時間には、すでに信長は自害していた。
先に引用した『石川忠総留書』によると、信長の横死を家康に急報しようと堺に向かっていた京都の商人、茶屋四郎次郎清延が、一足先に京都に向かっていた本多忠勝に枚方(大阪府枚方市)のあたりで会った。凶事を知らされた忠勝は茶屋とともに家康のもとに向かい、家康は飯森八幡(大阪府四条畷市)のあたりで、彼らから信長の死を知らされたという。
前述したように、追い腹を切るといい出した家康だったが、結局、自身の領国へ帰る決断をする。
この逃避行に関しては一次資料がなく、江戸時代の記録で数通りのルートが伝えられている。そのなかでは、先の『石川忠総留書』に記されたものが信頼度は高いとされる。
それによると、6月2日には堺から宇治田原(京都府宇治田原町)まで13里(約51キロ)を移動。3日には宇治田原から小川(三重県伊賀市)までの6里(約23.5キロ)。そして、最終日の4日には小川から四日市(三重県四日市市)まで17里(約66.7キロ)を進んだ。かなりの強行軍である。さらに白子(鈴鹿市)まで移動して船に乗り、知多半島の常滑(愛知県常滑市)経由で三河大浜(愛知県碧南市)に着き、岡崎城に戻っている。
■家康の命を救ったもの
逃避行の最中、家康一行が、落ち武者狩りをねらう百姓たちの襲撃を受け続けたのは事実のようだ。光秀が「家康の首をとれ」という指令を出した、という記録はない。しかし、当時の百姓にとっては、自分たちの村を自衛するための一環として、敵方の逃亡武将すなわち落ち武者を討つことは、慣例だったのだ。
家康の家臣、松平家忠の『家忠日記』には、「此方の御人数、雑兵ども二百余りうたせ候」と記されている。
この記述は、家康に随行する者のうち200余人が討ちとられた、と解釈されることもあるが、正しくは、家康方が襲ってきた雑兵ら200余人を討ちとった、という意味だろう。いずれにせよ、逃げているあいだ中、家康たちがねらわれ続けたということである。
その際、頼りになったのは、逃避行に随行した茶屋四郎次郎だった。信長の横死を早馬で家康に知らせる際、ありったけの金銀を運んできたようで、移動の途中で危険な目に遭うたびに、相手にカネを渡して家康を守ったという。
イエズス会の史料である『日本耶蘇会士年報』や、フロイス報告書『日本年報補遺 信長の死について』などにも、家康方には兵士が多かったばかりか、金銀の準備が十分だったため、敵に襲われても逃げとおすことができた旨が書かれている。この金銀を用意したのが四郎次郎だと思われる。
この当時の落ち武者狩りには、逃亡する武将を倒し、鎧や刀などを剝いで、売却して金品に換えるという目的もあった。だから、金品をあたえることには大きな効果があった。
■殺された部下との明暗を分けたもの
ところで、家康は堺で、武田の旧臣で勝頼を裏切った穴山梅雪と一緒に過ごしていた。梅雪も信長に領土保全の礼を述べるために、家康と一緒に安土城を訪れ、その後も行動をともにしていたのである。しかし、家康の伊賀越えには同行しなかった。
『家忠日記』には、梅雪が逃避行の途中で自害に追い込まれたと記されている。また、『三河物語』には、家康に危害を加えられる危険性を感じて別行動をとった梅雪が、宇治田原で落ち武者狩りの餌食になり、討たれたと書かれている。
なぜ、梅雪は命を落とすことになったのだろうか。フロイス報告書『日本年報補遺 信長の死について』には、「三河の国主(家康)は、多数の人々と賄賂のための黄金を持っていた」のに対し、梅雪の周りには兵も少なかったので略奪に遭い、殺されてしまったという旨が書かれている。要するに、家康には兵力と金品があったのに対し、梅雪にはなかった。そこで明暗が分かれたというのだ。
梅雪が命を落としたことからも、「伊賀越え」と通称される逃避行が、きわめて大きな危険をともなったことはまちがいない。「どうする家康」で描かれたように、わずかな同行者しかいなかったとしたら、家康の命も守れなかったのではないだろうか。
■家康と信長の本当の関係
ところで、岡崎城に戻った家康は、すでに6月4日には、蒲生賢秀と氏郷の父子に宛てた書簡に、信長の弔い合戦をして光秀を討つ決意を記している。そして5日には、家臣に出陣の用意を命じている。
だが、悪天候などを理由に出陣は延び、ようやく14日に岡崎城を出陣して鳴海(名古屋市)に着陣したが、その前日には、羽柴秀吉が山崎の戦いで光秀を討ち果たしていた。19日に秀吉からの「光秀を討ったので帰陣されるように」という連絡を受けとって、岡崎城に戻っている。
家康は敬愛する信長の仇をとりたかったのだろうか。あるいは、信長なき織田政権のなかで主導権を握りたかったのだろうか。主たる動機は、おそらく後者ではないだろうか。
いずれにしても、信長の死を知って追い腹を切ろうし、無事に領国に帰着してからは、みずからの手で信長の仇を討とうとした家康。私怨で信長を恨み、ついには討とうとまで考えた「どうする家康」の家康像とは、かなり隔たっているようにも見えるのだが。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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