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胃袋から肉片、骨、衣類、ソバなどが出てきた…中年男性だけを襲う「幻の巨大ヒグマ連続食害事件」の正体【2023上半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2023年8月12日 18時15分

即座に噛み殺して、その肉を喰らい始めた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Warren A Metcalf

2023年上半期(1月~6月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。動物・自然部門の第4位は――。(初公開日:2023年1月28日)
同じ熊が何度も人を襲うことはないのか。ノンフィクション作家の中山茂大さんは「大正元年から2年にかけて、北海道の朝日村、愛別村などで起きた連続食害事件は同じ熊による犯行の可能性がある。最大8名を喰い殺した稀代の人喰い熊かもしれない」という――。

■第1の事件「朝日村事件」

大正元年11月10日。士別村字上士別御料地在住の吉川伊平(37)は、近所の伊藤幸平を誘い、堅雪を踏みしめ、10線南10号山林中へ鉄砲を担いで出かけた。

吉川が獲物を見つけて発砲すると、音に驚いたヒグマが飛び出してきた。

いったん大木に登ったヒグマは、吉川を見つけると飛びおり、立ち向かってきた。吉川は直ちに第2弾を発射したが、ヒグマは吉川に襲いかかり、即座に噛み殺して、その肉を喰らい始めた。これを目撃した伊藤は恐れをなして逃げ帰った。

部落から銃を所持する6名が選ばれ、直ちに出発したが、現場に到着してみると、ヒグマは吉川の肉を半ば以上食い尽くし、逃げ去った後であった。

■頭は半分引き裂かれ、耳も目も半分無く…

残った部落民のうち、屈強の壮者であった宮本米造(31)、平留吉(26または27)、千田宗太郎(24)、時山類作(不明)の4人が、吉川の死体を引き取りに、武器を持たず山に入った。

しかし、4人は不幸にも加害熊と行き合ってしまった。

最初に平が襲われ重傷を負う。次に宮本が大木の洞(うろ)に逃げ込んだところ顔面を強打された。次に千田がひと噛みにされて即死、最後の時山は、重傷を負いながらも近くの立木に登り、落ちないように体を帯で幹に結び付けて難を逃れた。

その状況を、地元紙は次のように伝えている。

「時山を木より下ろして見れば、頭は半分引き裂かれ、耳も目も半分無く、宮本は倒木の下に潜り込んでいて、かれこれするうちに40余名の部落民が行き、4人を持ち帰った時に医師も来たが、なにぶんの重傷で、平は10日午後6時半頃死亡し、時山は11日未明死亡し、宮本は余病発しなければ、一命は助かるであろうと」(『北海タイムス』大正元年11月17日)

4名もの犠牲者を出したこの朝日村事件は、「苫前三毛別事件」(死者7名。一説に8名)、「沼田幌新事件」(死者4名)、「札幌丘珠事件」(死者4名)に匹敵する大惨事である。

しかし資料が乏しいこともあって、現在ではほとんど知られていない。

■第2の事件「愛別村事件」

この事件の翌年、約20キロ南の愛別村で、親子3人が自宅前でヒグマに喰い殺されるという陰惨(いんさん)な事件が発生した。

詳細は『アイペップト 第2集』(愛別町郷土史研究会)の、安西光義の回顧談に収録されているが、当時の新聞記事なども照会しつつ、事件を追ってみよう。

福島県信夫郡大笹生村から移住した熊澤豊次郎(36、一説に豊四郎)一家は、妻静江(31、同志げの)と11歳の女子、4歳(同5歳)と1歳の男子の5人家族であった。

大正2年9月27日、豊次郎は、長男一二三を背に提灯を提げて帰途についた。

自宅の手前にさしかかったとき、突然、蕎麦畑から一頭の大熊が現れ、背中におぶっている長男一二三に噛みついた。熊は一二三の脳天を割り、腕をくわえ振り回して、一二三の左腕を肩関節から千切り取った。

サケをくわえながら歩く熊
写真=iStock.com/Gerald Corsi
脳天を割り、腕をくわえ振り回して……(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Gerald Corsi

熊は豊次郎にも飛びかかった。豊次郎は腕力に自信があったので、「おのれッ」と叫び熊に組みついた。格闘となったが、もとより熊の力には及ぶべくもない。

豊次郎は家にいる妻の静江に向かって、「火を持ってきてくれ」と声の限り叫んだ。

■闇の中に耳を澄ますと、惨忍な咀嚼音が…

静江は、長男一二三と夫豊次郎の絶叫を聞いて肝を潰し、カンテラに火をつけ戸外に駆け出した。

すると夫は無残にも大熊に組み敷かれている。

「アッ」と悲鳴を上げた静江に大熊が襲いかかる。自宅へ引き返す間もなく背中に噛み付かれ、頭部、腹部、臀部(でんぶ)など13カ所に重傷を受けた。

近隣の佐々木家でも男女の悲鳴を聞き付けていた。はじめは熊澤家の夫婦喧嘩だろうと思ったが、夫婦で駆け付けると、静江が大熊の一撃で最期を遂げようとしており、「ワッ」と驚いて命からがら熊澤家に飛び込んだ。

静江は付近の黍(きび)畑に這(は)い込んだが、大熊は豊次郎の死体を喰らい始めた様子で、闇の中に耳を澄ますと、惨忍な咀嚼音が聞こえた。

にらんでいる顔に血の付いた熊
写真=iStock.com/DamianKuzdak
闇の中に耳を澄ますと、惨忍な咀嚼音が聞こえた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/DamianKuzdak

■胸から下が全部喰い尽くされ、見るも無残な有様…

夜明け頃、大熊が立ち去った後になって外を覗うと、豊次郎は胸から下が全部喰い尽くされ、見るも無残な有様だった。

長男一二三も約10間ほど離れたところで紅血に染まって死亡していた。

佐々木夫婦は直ちに警察署役場病院に急報し、時を移さずに村民等280余名が参集した。

この時多くの村人が、酸鼻(さんび)を極める事件現場を目の当たりにした。安西は事件当時4歳であったが、この時の様子を鮮明に覚えているという。

「朝方集まって見た時には、散乱した死体の残骸が昨夜来の雨で洗われ白茶けて見えるのも本当に哀れで、そのむごたらしさには誰もが声が出なかったという」

ただちに熊狩りが行われ、約100間先の楢林に大熊が潜伏しているのを発見し、見事に射殺した。身長7尺余(約2.1メートル)、体重140貫目(525キロ)という巨大なヒグマであった。

地元郷土史研究会会員、玉置要一の遺稿には、仕留められたヒグマの様子が詳述されている。

「倒した熊を土橇に積み、集まった人々の手によって河原まで運び出し、皮を剝ぎ解体した胃袋を開くと、中から熊沢さんのものと思われる肉片、骨、衣類、ソバなどが団子状となって出てきた」(『アイペップト 第2集』愛別町郷土史研究会)

ざるそば
写真=iStock.com/piyato
肉片、骨、衣類、ソバなどが団子状となって出てきた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/piyato

■もう1つの事件「和寒川事件」

2つの事件で計7名が喰い殺されたわけだが、事件はこれだけでは終わらない。

「朝日村事件」のわずか2カ月前にあたる、大正元年8月28日。

上川郡剣淵村の中野信明(44)が、長男勝男(14)と魚釣りに出かけた。

和寒川上流の河岸でミミズを掘っていると、大熊が現れ、2人は夢中で逃げ出した。

長男の勝男は約200間(約360メートル)ほど先の伯父宅に駆け込み難を逃れた。

だが、中野信明は子供より2間(約3.6メートル)ほど遅れてしまう。

村民が現場に駆け付け、約50間(約90メートル)西方に大熊がいるのを発見し、同日午後3時頃に射殺。

しかし中野信明は右大腿(だいたい)部から腰骨まで喰い尽くされ、白骨が露出した姿で発見されたという(『北海タイムス』大正元年9月1日)

当時の新聞でもおどろおどろしく報じられた
著者提供
当時の新聞でもおどろおどろしく報じられた - 著者提供

■本当に「加害熊を射殺」したのか

この『北海タイムス』の記事では、「加害熊を射殺した」としている。

しかし、射殺されたのは、本当に加害熊だったのだろうか。

実はまったく別の個体で、本命の加害熊は、まんまと逃げおおせたのではないか。

そして、朝日村で4名、愛別村で3名を喰い殺すという、前代未聞の連続人喰い熊事件を引き起こしたのではないか。

筆者がそう考える理由は以下の通りである。

第1の理由として、人喰い熊の出現確率は極めて低いことが挙げられる。

北海道野生動物研究所の門崎允昭所長によると「現在の北海道の熊の生息数を、2千数百頭と仮定すると、1年のうちに人を襲うのはその内の1.2頭に過ぎない」という(『羆の実像』)。

これが事実なら、人喰い熊となる確率は0.05%に過ぎない。

また、明治初期の熊の生息数は「約5200~6030頭であったと考えられる」(『ヒグマ大全』)という。

これらの数字から計算すると、「朝日村事件」当時の北海道において、人喰い熊はたった3頭程度のはずだ。

その3頭の人喰い熊が、同じ地域に同時多発的に出現し、立て続けに3つの事件を起こした可能性は限りなく低い。むしろ同じ人喰い熊が複数の事件を起こしたと考える方が自然だろう。

■胃の内容物に触れていないのは不可解

第2の理由は、記事内容に不可解な点が見られることである。

『北海タイムス』の記事では、捕獲した個体の特徴が一切触れられていない(年齢、性別、身長、体重を掲載するのが当時のヒグマ関連記事の通例である)。

また「右大腿部から腰骨まで全部喰い尽くし白骨が露出していた」なら、相当量の人肉を喰っているはずだ。

加害熊は6時間後には射殺されているが、胃の内容物についての言及がない。

当時の新聞が、事件記事全般について、かなり扇情的な表現で報じる傾向が強かったことを考えると、熊の特徴や胃の内容物に触れていないのは不可解である。射殺されたのが、本当に加害熊だったのかどうか、疑問が残る。

胃袋のイラスト
写真=iStock.com/ilbusca
熊の特徴や胃の内容物に触れていないのは不可解(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/ilbusca

■加害熊だったと宣伝して、村民を安心させる

第3の理由として、熊狩りの結果、加害熊ではない熊を射殺することも多かったことが挙げられる。

人が襲われると必ず熊狩りが行われたが、捕獲した個体が加害熊でなくても、加害熊だったと宣伝して、村民を安心させることがしばしばあったという。

筆者はそういう事例を、少なくとも3例は知っている。

これらのことから、筆者は、射殺されたのは加害熊とは別の個体であり、3つの事件は同じ個体によって引き起こされたのではないかと考えている。

■三毛別事件を超える「日本最悪の獣害事件」の可能性

3つの事件が同じ熊の犯行だとすると、計8名もの人間を喰い殺したことになる。

三毛別事件を超える「日本最悪の獣害事件」であった可能性もあるのだ。

同一個体による凶行であったことを窺わせる状況証拠は、他にもある。

まず、3つの事件が隣接する地域で起こったことが挙げられる。

愛別町中央と剣淵町和寒東六線は、直線距離で15キロ程度。和寒川を支流とする天塩川流域と、愛別町が属する石狩川流域は山ひとつ隔てて隣り合っている。

さらに剣淵村の東、愛別村の北に接するのが、朝日村(現在の士別市)である。

この間に位置する山岳地帯を、ヒグマが悠々と行き来していたことは、当時の新聞記事からも知られるところである。

■熊は「中年男性だけを食害」していた

もっと興味深い事実がある。

和寒の事件では父子が襲われたが、愛別町事件でも父子が狙われた。

しかも喰われたのは父親の豊次郎だけで、長男と母親には、まるで関心を示していないのである。

そして朝日村の事件で唯一食害された吉川も、働き盛りの37歳であった。

つまり加害熊がエサと見なしたのは、中年男性だけなのである。

エサと言えば、加害熊が、ヒグマの習性である「エサの隠蔽(いんぺい)」(笹の葉や土をかけてエサを隠すこと)をしていないのも共通している。これは加害熊がズボラであったというよりも、他の個体にエサを奪うことを許さない、巨大な個体の自信の表明とも受け取れる。

これらのことを整理して、筆者の推論を述べよう。

加害熊は、3つの事件現場から、それぞれ半径十数キロ圏内の山岳地帯を縄張りとする、山の王ともいうべき、巨大なオスのヒグマであった。

大正元年から始まった冷害凶作により、飢餓に駆られて里に下りてきた加害熊は、8月下旬、和寒で中野父子を見つけ、襲いかかった。彼の怪力を思わせる事実として、成人男性の死体を、山中深く、180メートルも引きずっていることが挙げられる。

これ以降、彼の補食原理は人間のオスが最上位となった。

同年11月、朝日村に移動した加害熊は、吉川と出会し、これを喰い殺した。「即座に噛み殺してその肉を喰い始めた」という状況が、すでに人間の味を知っていた事実を裏付けるだろう。さらに救助に来た村民4名を次々に襲った。彼らが食害を受けなかったのは、おそらく銃手6名が早々に到着したからだろう。

著者近刊『神々の復讐』(講談社)
著者近刊『神々の復讐』(講談社)

士別の猟師の追撃をかわし、根城に戻って越冬した加害熊であったが、翌年の大正2年は、前年以上の冷害凶作であった。空腹を抱え、いらだった加害熊は、忌み嫌う猟師の鉄砲を避けて南下し、9月に愛別村で熊澤父子を見つけ、襲いかかった。

もちろんこれは筆者の仮説に過ぎず、物証など一切ないし、関係者も鬼籍に入られ、残るのは状況証拠のみである。

しかしその可能性は高いと筆者は考える。

そしてそのように仮定すると、この加害熊は最大で8名を喰い殺した可能性のある、稀代の人喰い熊であったかもしれない。

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中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家・人力社代表
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。

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(ノンフィクション作家・人力社代表 中山 茂大)

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