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「家族がいるから淋しくない」は大間違い…70代以降の独居老人に学ぶ「孤独感を持たない人」7つの共通点

プレジデントオンライン / 2023年8月11日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

孤独感を抱くのはなぜか。浜松医科大学名誉教授の高田明和さんは「淋しく感じるのは、『孤独』という環境ではなく、『孤独感』が問題である。家族がいて環境的には孤独ではないけれど、感情的には孤独感に苦しんでいる人は少なくない。不要な孤独感に悩まないためには、未来のことを考え、腸内環境のバランスを整えることだ」という――。

※本稿は、高田明和『65歳からの孤独を楽しむ練習 いつもハツラツな人』(三笠書房)の一部を再編集したものです。

本当に孤独は恐ろしい問題なのか

年を取るごとに、人はだんだん「孤独」を恐れるようになります。

会社を定年退職し、日常の人間関係から孤立してしまった。友人も地元を離れたりして、次々といなくなる。たとえ結婚していても家族がいても、子供たちは自立し、やがては伴侶にも先立たれるかもしれない……。

メディアも孤独死が社会問題化! などと深刻な現象として危機感をあおりますから、不安になるのは当然です。

でも、本当に孤独は、それほど恐ろしい問題なのでしょうか?

「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」ということわざがあります。

幽霊だと思って怖れていたものをよくよく見たら、ただの枯れたススキだったという意味です。

ススキだとわかったなら、怖くはありませんね。それにススキなら、刈り取ってしまえばもう驚かずにすみます。

皆さんが恐れる孤独というものの正体も、もしかしたら、こんなふうに「なぁ~んだ」というようなものであり、その正体がわかれば、あっさり対処できるかもしれません。

「家族がいるから孤独ではない」わけではない

そもそも人は、誰もが「孤独な状態」というのを常に体験しています。

そうなんです、あなただけでなく、多くの友人や家族に囲まれたあの人さえも。そして私も。

たとえば先日、私は人との待ち合わせの時間を間違え、1時間ほど早く喫茶店に着いてしまったことがありました。当然ながら、あと1時間待たないと相手はやって来ません。その間、ずっと一人で過ごすことになりますから、この状態は、孤独であることにほかなりません。

しかし孤独ではあるものの、このとき私は「孤独感」を抱くことはありませんでした。

資料を読んだり、書き物をしたりと、やるべきことはたくさんあるし、お店の人だって私を追い出そうとしているわけではないからです。

つまり、物理的に人と人との距離が隔てられた「孤独な状態であること」と、心に「孤独感を抱いている状態」は、根本的に違うのです。

たとえば、家族が数人揃っている中で、一人、父親だけがみんなの会話に入れず、疎外感を覚えたなら、父親は家族と同じ空間にいるにもかかわらず、孤独を感じはじめるでしょう。この「孤独感を抱いた状態」を、英語で「アイソレーション」といいます。

こんなふうに、周りに近しい人がいて、“環境的には孤独ではないけれど、感情的には孤独感に苦しんでいる”ということは、いくらでもあるわけです。

つまり、私たちを悩ませるのは、「孤独」という環境ではなく、本当は「孤独感」なのだ、ということがわかると思います。

「孤独」と「孤独感」は、まったく別物

つまり、一人だけどんなに遠く離れた孤独な状態に置かれたとしても、孤独感を持たないような工夫さえできれば、人は思いのほか、快適に楽しく暮らしていけるのです。

そんなのは空理空論だと思われるかもしれませんが、現に70代、80代、90代で一人暮らしをしながらも、毎日いきいきと楽しく暮らしている人はいくらでもいらっしゃいます。

だから、彼らの「孤独感」への対処のコツを知れば、あなたも淋しさから、生きることを辛く感じて心を病んでしまうようなことは避けられるでしょう。

私だって数年前に妻を亡くしてからは、仕事がないときは一日中、誰とも会話をしない日はいくらでもあるのです。それでも孤独感を持ったことなど、最近はほとんどありません。

逆に、家族に囲まれていて、お金にも仕事にも恵まれて誰もが羨むような環境にいながら、孤独感にさいなまれて心を病み、自ら命を絶ってしまう人は、いくらでもいます。

本書では、人がそうした状況に陥ってしまう理由も解き明かしながら、「どうすれば孤独感を持たずに人生を過ごすことができるか」――そのことを物事や人間関係についての考え方といった心理面と、腸内環境に関する最新の知見を含めた食生活や健康管理といった医学的側面の2方向から、科学的に考えていきます。

「孤独のことなのに、腸内環境?」

はい、腸内環境です。

医師のコートポンティングや結腸、腸、消化器系
写真=iStock.com/sofiana indriani
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sofiana indriani

これまで、「孤独」の問題について心理学の面から解決しようと、多くの医師や心理カウンセラーが試みてきましたが、本書で紹介するような「腸内細菌の改善」によって孤独に対抗するという方法は、ほとんど考えられてきませんでした。

けれども私は、脳や腸の専門医たちとチームを組んで研究してきた結果、孤独感が、その人の普段の考え方や人間関係からもたらされるだけではなく、「食習慣」などにも起因することを突き止めました。

本書では、その研究成果もふんだんに披露していきます。

「孤独感を持たない人」7つの理由

孤独を楽しむためには、そして、不要な孤独感に悩まないようにするためには、まず、「孤独感は、どこから生まれてくるのか?」ということを知る必要がありますが、先述の1時間、一人で待ち合わせの相手を待っていた私が、「孤独を感じなかった」ことにヒントがあります。

心理学的・生理学的には、次のような理由が考えられるのではないでしょうか?

理由①「すること」がある

たとえば私が喫茶店で人を待っているとき、コーヒーを飲み終えてしまったら、あとは何もすることがないという状態だったなら、「○○さん、早く来ないかなぁ」などと、もの淋しく感じながら、孤独感を覚えたかもしれません。

でも私には、資料を読んだり、原稿を書いたりと、することがいくらでもあったから、孤独を感じませんでした。ずっと一人で働いている職人や芸術家、作家なども集中しているときは、孤独感を抱く暇なんてないのではないでしょうか。

若いアジア女性を祝う成功またはラップトップと幸せポーズ
写真=iStock.com/pondsaksit
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/pondsaksit

たとえそれが仕事ではなくて、たんなるテレビを観るといった娯楽であっても、することがあれば、孤独感を抱くことはないでしょう。

「すること」があると、孤独感は生まれません。つまり、「退屈が孤独感を作りだす」ということです。

理由② 気持ちをわかってもらえる

一方、一家団欒の場で、お父さんが家族とテレビを観ていたとしましょう。妻と子供たちは、アイドルが歌って踊る歌番組に夢中です。

でも、お父さんはまったくついていけない……。最近のアイドルなんて知らないし興味もないから、テレビを観ているのが退屈を通り越して苦痛でしょうがない。

しまいには、

「俺はこの家族の中で、孤立した存在なんだな……」

なんて感じるわけです。

これも、孤独感の正体の一つです。

お父さんには、家族とテレビを観るという「すること」は、確実にあるわけです。しかも、一般的には楽しい「娯楽」の真っ最中にあります。

ただ、それが楽しくないし、誰もそうした自分の状況を気にかけてくれないから、孤独感が生じている。つまり、「自分の気持ちを誰にもわかってもらえないところにも、孤独感は湧いてくる」のです。

楽しさや悲しみといった気持ちを分かち合えない、あるいは、相手にわかり合おうという気もない場合、まるで遠く離れた別世界に隔絶されたような孤独感が湧いてきます。

逆に、家族の誰かが、「これが一番人気のアイドルだよ!」と教えてくれるとか、「そうだよね、みんな同じ顔に見えるかもね」などと、お父さんの気持ちをわかってくれると、孤独感は生まれません。あるいは、お父さん自身が子供たちを理解するためにアイドルを覚えようと、「すること」を見出せれば、孤独感にさいなまれることはないのです。

大御所の孤独感が増してしまうパターン

理由③ 人から認められている実感を持つ

これは「喜び」を得ることの条件でもありますが、「人から承認されている」状態があれば、人は一人で生活していたとしても、孤独感を持つことは少なくなります。

たとえば私の知人に、すでに年齢は85歳にもなるのに、大学に研究室を構えている大先生がいます。文化勲章を受章した権威あるお方です。

そんな大先生に電話をかけて、「私はアメリカでご一緒させていただいた高田という者ですが――」と名乗ったとたん、秘書から「今いません」とピシャリと言われたりすると、なんとなくその大先生に邪険にされたように感じてしまう。

そして私は、「今の自分なんて、電話で話すような重要な相手とは思ってもらえないんだ」と、勝手に思い込んで、孤独を感じたりするわけです。

ところが翌日、また電話をしたところ、今度はその大先生自らが電話に出て、「あ、高田明和先生ですか!」と、私をフルネームで呼んでくれたうえに「先生」までつけられたりすると、「よくぞこの超チンピラ研究者のことを覚えていてくれた!」と嬉しくなり、ここで一気に私の孤独感はふっ飛んで解消されるわけです。

要は、「自分の存在が人から認められているという実感を持つと、一人でいても孤独感を抱くことはない」のです。

ただし、例外もあります。研究者でも、芸術家でも、タレントでも、人は年を取ると名誉職とか大御所といった扱いをされるようになります。認められていることには違いないのですが、若い人にしてみれば気軽に声をかけにくい存在となります。

それを素直に、「周囲からリスペクトされている証拠だ」ととらえられればいいのですが、「疎外されるようになった」とか、「だんだんと自分も忘れ去られていくんだ」と、悲観的にとらえる思考回路になると、どんどん孤独感は増してしまうでしょう。

明日、来月、来年…未来を考えるのに忙しいか

理由④ 好きなことをしている実感を持つ

先日乗ったタクシーの運転手さんの話です。彼は20代のころからずっと天涯孤独の身であり、60代の現在まで企業や組織に属することもなく、個人タクシーで生計を立ててきたそうです。「孤独を感じないのですか?」と、たずねたところ、「まったく感じたことがない」と答えます。

「この仕事が好きで、毎日いろんな人に会えますから、孤独なんて感じませんよ」

好きなことをしている実感を持つと、人は孤独感から逃れられます。

理由⑤ 目標を持つ

1936年にベルリン・オリンピックが開催された際、この大会のドキュメンタリーを『オリンピア』という、ナチスのプロパガンダ映画として残したレニ・リーフェンシュタールという女性の映画監督がいます。

美人俳優でもあり、「ヒトラーの恋人」ともいわれた人でした。戦後、当然ながら彼女は逮捕され、裁判にかけられるのですが、無罪となります。

その後、彼女はドキュメンタリー映画の監督として、表舞台に復活を果たします。そして2000年、97歳のときスーダン内戦の撮影をした際、乗っていたヘリコプターが攻撃を受けて撃墜されますが、奇跡的に助かりました。

そして彼女は、100歳になってからもなお、『ワンダー・アンダー・ウォーター(原色の海)』というダイビングのドキュメンタリー映画を撮り、喝采を浴びます。

レニが孤独感を持つことがなかったかどうかは、本人でなければわかりませんが、彼女は、「ナチスに協力した映画監督」という負の評価のままで一生を終えたくない気持ちが大きかったのでしょう。汚名返上のためにはいっときも無駄にはできないと言わんばかりに、人生の最期まで挑戦を続けました。

ちなみに、レニには30歳以上も若い男性のパートナーがいて、彼は30年以上にわたって彼女を支え続け、彼女が101歳のときに結婚しました。彼女が亡くなったのは、そのすぐあとだったそうです。

医学的に解明することは難しいのですが、レニ・リーフェンシュタールのように、人生を通じて何かの目標を追いかけている人は、孤独感を持つことが少ないことは確かだと感じます。

さらに一例をあげると、1932年にノーベル生理学・医学賞を受賞したチャールズ・シェリントンという科学者は、私の先輩がオックスフォード大学で彼に会ったとき、95歳という年齢にもかかわらず、過去のことは一切語らず、明日何をするか、来年何をするかという先のことばかり話していたそうです。

そういう人は未来のことを考えるのに忙しく、過去と現在を比較して孤独感に陥ることは少ないと思います。

目標は、一生をかけて成し遂げるような大げさなものでなく、明日、来月、来年達成できるようなことでいいのです。趣味でも旅行でも、「これをやりたい」「あそこへ行きたい」という確かな目標を持つと、それが孤独感を遠ざける手段になります。

ちなみに、私の場合は、本を書くという目標があるからか、孤独感にさいなまれることは、ほとんどありません。

でも、「高田先生の本は売れないので、もう出しませんよ」なんて出版社から断られでもしたら、孤独感という奈落の底に突き落とされたような気がするでしょう。いくら家族やお金があって、好きな研究をしていたとしても、孤独感を覚えるようになる可能性があるわけです。

これを避けるには、本を出し続ければいいということになります。でも、今のように頻繁に本が出せる状態が永久に続く保証はありません。

だから、ずっと本を出し続けられるよう、ときに編集者におべっかも使って(笑)、「本が出せなくなるかもしれない」という恐怖と闘い続けている面はあります。

食べることは「最も簡単に幸福状態を作りだせる活動」

理由⑥ 健康である

どんなに目標を達成しても、どんなに他人が羨むような喜ばしいことがあっても、世間に認められていたとしても、健康を害すると、人はとたんに孤独感を抱くようになります。

著名な禅の老師、Sさんの話です。

S老師は、大勢の人に、「幸せとは何か」を説き、人間的にも優れ、誰からも尊敬され、すべてを悟ったかのような方でした。その聖人ぶりを見れば、誰もが孤独感とは無縁だと思ったでしょう。ところがそのS老師は晩年腸閉塞を起こし、病院に運ばれます。そして病院中に響き渡るような大きな苦悶の悲鳴をあげながら、お亡くなりになったのです。

しかも、「この痛みをなくしてくれたら、悟りなんかいらない!」と叫びながら――。

「禅を究めた」とされていた彼の最期の瞬間に、心の安寧は、まったくなかったのです。

「痛み」は、他人が共感しにくい感覚の一つです。

S老師のように、大声で悶えるほどの大病をしないまでも、年を取ってから誰もその痛みをわかってくれないような病を患ってしまえば、人は少なからず孤独感を募らせていくことになります。

それはやがて、死の恐怖や体が動かなくなる恐怖、そして認知症を発症して自分が自分でない存在になってしまう恐怖などにつながっていきます。

だから、健康であることは、孤独感を抱かないための、条件の一つなのです。

理由⑦ 腸内細菌のバランスが整う

最近の医学の研究でわかってきたのは、「人間の腸内細菌が、孤独感を作りだすことがある」ということです。

腸内細菌とは、私たちの腸の中に棲んで消化の手伝いをしている細菌です。ヨーグルトに入っているビフィズス菌や乳酸菌などがその代表で、「善玉」と「悪玉」、そして「日和見」があることを知っている方は多いでしょう。

そんな腸の細菌が、孤独感という「人の感情を左右する」ことなんてできるのでしょうか?

「できる」のです。腸の細菌はさまざまな手段で脳に情報を送り、ドーパミンなどの脳内ホルモンを分泌させて、感情を操作することがわかってきました。社会的な状況や人間関係の影響とは別に、私たちは腸内細菌の影響で、孤独感を増すように操作されている可能性があるのです。

いったいなぜ、腸内細菌はそんなことをするのでしょうか?

高田明和『65歳からの孤独を楽しむ練習 いつもハツラツな人』(三笠書房)
高田明和『65歳からの孤独を楽しむ練習 いつもハツラツな人』(三笠書房)

考えられるのは、体の衰えや栄養不足に対して、腸内細菌が危険信号を送っているということです。宿主である人の生命に危険が迫れば、腸内細菌の存続にもかかわります。そのため腸内細菌は、まず人の心理状態を不安にさせることによって、私たちの落ち込みや淋しさを強くさせます。

すると、孤独感から人恋しくなって誰かと会う機会が増えて、具合いを気にかけてもらえたり何かを食べたりするチャンスも増えるでしょう。食べ物を補給すれば腸内の栄養状態はよくなり、腸内細菌が活発に活動できる環境ができます。

また、食べることは、脳に幸せを感じるホルモンを分泌させ、「人間にとって最も簡単に幸福状態を作りだせる活動」でもあります。それゆえ腸内細菌は、ヒトに「食べる行為」を促すために、あえて孤独感を作りだしているのです。

いずれにしても、腸内細菌のバランスが整うと、孤独感は消えます。孤独感は、環境や心理学的な要素ばかりでなく、食事からもコントロールできるのです。

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高田 明和(たかだ・あきかず)
浜松医科大学名誉教授 医学博士
1935年、静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズウェルパーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は生理学、血液学、脳科学。また、禅の分野にも造詣が深い。主な著書に『HSPと家族関係 「一人にして!」と叫ぶ心、「一人にしないで!」と叫ぶ心』(廣済堂出版)、『魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)、『自己肯定感をとりもどす!』『敏感すぎて苦しい・HSPがたちまち解決』(ともに三笠書房≪知的生きかた文庫≫)など多数ある。

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(浜松医科大学名誉教授 医学博士 高田 明和)

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