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子供を「天才」に育てるリミットは4歳…人間が生まれながらに持つ「自然知能」の"賞味期限"

プレジデントオンライン / 2023年8月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maruco

子供の能力を最大限に伸ばすにはどうすればいいか。ベストセラー『思考の整理学』の著者である外山滋比古さんは「人間が生まれながらに持つ『自然知能』を引き出すには、生後6カ月くらいから始め、4歳くらいに基礎を修了しなくてはならない」という。遺作となる『自然知能』(扶桑社)より、一部を紹介する――。

■日本語の「自然」には人間が含まれていない

いま、自然知能ということばは通用していない。人工知能に対して新しく考えたことばである。人工知能は英語で、Artificial Intelligence,略してAIという。それに先行するのを自然知能、Natural Intelligence,NIと呼ぶことにしたのである。

日本語の“自然”は、英語のnatureの訳語であるが、自然とnatureがぴったり合致しているわけではない。

日本語の「自然」は、山川草木、動物などを呼ぶことばで、その中に、人間が含まれていない。ところが、英語のnature、自然、は生まれたものを意味するから、人間が含まれる。

そういうことを考えないで、natureを自然としてしまったために、日本の近代文化にヒズミができてしまったが、その吟味がなされないままに、「自然」ということばが使われてきた。

■AIを理解するには、先に自然知能を知るべき

ここで自然知能というのは、英語式の自然知能であって、人間の持って生まれたものを自然とするのである。したがって、「自然知能」は、人間知能としてもよいところである。人工知能がキカイ知能であるとするなら、自然知能は人間知能であるということになる。人工に対しての自然である。すべての人間は自然知能を持って、少なくともその可能性を持って、生まれてくる。その意味で、人間知能を考えるのである。

いま、人工知能をよく理解するのは一部の専門家にとどまる。知識人でも文学的教養を持っている人は、人工知能に冷淡である。それに対して、自然知能は人間知能で、すべての人間が持っている能力である。

そういう人間知能をとびこえて、人工知能を考えることは難しいのである。

人工知能を理解するには、いまのところ無自覚の状態に置かれている基本的な自然知能をはっきりさせておくことが必要である。

われわれは、そういう自然知能について知るところは、きわめて少なく、その少ない知識も断片的である。人間の能力の根源をなす自然知能について、総合的な研究の行われる必要はきわめて高い。しかし、いまは、教える人もなければ、教えるところもない。文化のブラックホールであるが、社会はいっこうに無頓着である。

■胎内にいるときから自然知能は働き始める

自然知能は生まれながらにして持っている能力である。中でも大切な知能は、生まれる前、母親の胎内にいるときから働きはじめる。

もっともめざましいのは耳で、生まれる何カ月前から、聴こえる、つまり働いているらしく、母親の見ているテレビの音に反応すると言われる。人間にとって、聴覚がいかに大切であるか、ということを、自然が教えていることになる。

日本の昔の人は、この生まれる前の自然知能を信じていたらしい。胎内に子供を宿している母親は、行ないをつつしみ、いやなモノを見ないように、汚いことをなくするため、トイレの拭き掃除をすることをすすめられ、胎教として、多くの共鳴者を持っていた。胎児への早教育というわけである。実証的な医学が広まって、胎教は迷信のように考えられて消滅した。案外、新しい教育の考えだったのかもしれない。

自然知能のほとんどは、可能性の状態で子供は生まれてくる。しかるべき、早いうちに、これを引き出すことが期待されているのであろうが、ノンキな人間の親はそんなことにはお構いなく、授乳していればいいと考えてきた。長い間そうしてきたのだから、それが誤っているのではないかと、疑ってみる人もなかったのである。

母親の指を握る赤ちゃん
写真=iStock.com/west
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

■生後4カ月以降の教育は失敗の可能性大

まわりの大人が放置しておくから、生まれながらの知能のタマゴは、賞味期間をやりすごしてしまい、生来の知能となるべきものが消失してしまう。それをまぬがれたら、天才である。

可能性の知能を具体化するのは、生後4カ月くらい。それを過ぎてからの教育はおおよそ失敗するのである。

昔の人がよく、“三つ児の魂”ということを口にしたが、これは自然知能が実現するのが、3歳から4歳であることを述べたものとすれば、おもしろい。

大昔から、人間の親は、子供の自然知能に対する関心が低かった。ほとんどすべての子が、大人の理解がなくて、自然知能の育成に失敗した被害を受けているのである。

もし、その可能性をしっかりした能力にすることができれば、“天才”があらわれることになる。

■教育とは、知識を教え込むのではなく引き出すこと

天才は教えて天才にするのではなく、可能性として眠っているものを“引き出す”のである。この点で、英語で教え、教育するのを、educate(元義:ひき出す)と言うのがおもしろい。外から与えるのではなく、内に持っているものを引き出してやる――それが教育だというのは、外から知識などを教え込むのを教育と考えるのと比べて、進んでいる、ということができるであろう。

自然知能を引き出すのは、時間との競争である。ぐずぐずしていれば、取り返しのつかないことになる。大変残念だが、そういうことを考える思考力がなかったのだから、しかたがない。

みんながしている、というので間違ったことを続けてきたのである。人類は進化する機会を得ることができなかった。

19世紀、新中流となった人たちが公的初等教育を考え、小学校をつくった。それはいいが、6歳になるまでは、放っておいたのである。

子供が自分の足で通学できるようになるまで、学校教育はしない、というのである。子供の能力を伸ばすかどうかという差し迫った情況にはなかったのである。

■生後6カ月ごろから始め、4歳で基礎を終了

小学校へ入ってくる子供は、自然知能の賞味期限の切れかかった子供たちである。生まれた時持っている天賦の能力、つまり、子供の天才を引き出すことのできる教師などいない小学校になったのは是非もない。

明治5年、どさくさにまぎれてつくられたわが国の小学校が、ともかく知識を与える任務は果たすことができたのは奇跡で、旧師範学校が、天下の英才を集めて先生にしたからである。

しかし、いかなる優秀な小学校教師も、賞味期限の切れた子供の知能を育てることはできなかった。

子供の自然知能を引き出すには、生後6カ月くらいから始める必要があり、4歳くらいまでに基礎を了(おえ)なくてはならない。それができて三つ児の魂ができれば天才的な子供が、いまの何百倍も多くなるであろう。

そういうチャンスを逃したのは、難しいことは大きくなってからという、ばかげた形式主義のせいである。

■親がことばを教えることがもっとも大切

小学校は少し学び、中学は中くらい、高校は少し高級なことを学ぶが、いちばん高等なことは大学で学ぶ、と勝手にそう決めて、呼ぶ名も、小・中・高・大と格差をつけて喜んだのはいかにも幼稚である。

本当の早教育は生後6カ月くらいから始めるのは前述のとおりである。教えるのはまずことば。これは心掛ければかなりうまくいくし、実際に成功したと思われるケースも少ないながらある。

こういうのが常識のようになれば、自然知能が高まること疑いなしである。ただ、教える側にしっかりした言語的素養がなく、自分の方言を恥じながら都会のことばをしゃべっているようでは心細い。初めてのことばをうまく引き出してやることのできる能力を身につけることが、親のもっとも大切な資格である、というのが常識になれば、世界に向かって誇ってもよい。

■「自分はもう手遅れだ」と嘆かなくてもいい

頭のよい、ことばの上手な子供は、だいたい母に当たる人の力によって育つのである。女性が多弁、能弁、声質も多様であるのはダテにそうなっているのではない。子供のもっともよいことばを引き出すためである。

ことばだけでなく、すぐれた音楽をきかせ、すぐれた絵画に触れさせておけば、それが早教育になって、子供の中で眠っている天才の目を覚まさせる。環境が子供の知能、才能を引き出す。昔、中国の孟子の母親が、子供の教育のために、住いを三度替えた「孟母三遷」の故事は、子供の教育を考えると、たいへん斬新な思想を代表していたことがわかるのである。

外山滋比古『自然知能』(扶桑社)
外山滋比古『自然知能』(扶桑社)

自然知能を伸ばす教育が手遅れになったら、年齢に関係なく、自然知能を伸ばすことを考えるべきである。趣味の仕事が有効なこともある。中年になってはじめた俳句によって、人間を変えることができるような例を歴史はいくつも残している。

スポーツも人間の能力を高める効果がある。競争しないとおもしろくないというのは常識的。

また、ひとり散歩することによって、考える人間になることも自然知能の昇華につながる。

キカイ的人間になりたいのなら別だが、人間らしい人間として生きるには、持って生まれた自然知能を高めなくてはならない。

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外山 滋比古(とやま・しげひこ)
お茶の水女子大学名誉教授
1923年、愛知県生まれ。東京文理科大学英文科卒業。雑誌『英語青年』編集、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授を歴任。文学博士。英文学のみならず、思考、日本語論などさまざまな分野で創造的な仕事を続けた。著書には、およそ40年にわたりベストセラーとして読み継がれている『思考の整理学』(筑摩書房)をはじめ、『知的創造のヒント』(同社)、『日本語の論理』(中央公論新社)など多数。『乱読のセレンディピティ』『老いの整理学』(いずれも扶桑社)は、多くの知の探究者に支持されている。

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(お茶の水女子大学名誉教授 外山 滋比古)

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