笑顔で少女に接するヒトラーの写真に1万超の「いいね」…現代の日本人さえも虜にするナチスのイメージ戦略
プレジデントオンライン / 2023年8月31日 10時15分
※本稿は、小野寺拓也、田野大輔『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波ブックレット)の〈第二章 ヒトラーはいかにして権力を握ったのか?〉の一部を再編集したものです。
■笑顔で子どもに接するヒトラー
ナチ体制を支えた決定的な要因は何よりもヒトラー個人の圧倒的な人気であり、彼のカリスマ性を抜きにナチズムを語ることは不可能である。
ヒトラーの人気はあらゆる社会階層で、労働者階級の間でさえきわめて高く、国民投票に示された9割近い支持率は、総統のもとに一致団結する「民族共同体」が単なる幻影ではなかったことを示している。
ヒトラーの「カリスマ性」と言うと、党大会で大衆の熱狂的な歓呼に応じる彼の居丈高な姿を思い浮かべる人が多いだろう。ナチスの宣伝がヒトラーをドイツの救世主、国家の威信を回復した「英雄」として賛美していたことは事実であり、当時のドイツ人のなかにもそうしたイメージを真に受けて、彼の姿に「神の化身」を見ていた者が少なくなかったことは否定できない。
だが近年の研究は、ヒトラーの人気がこうした「英雄性」にのみ由来するものだったわけではないことを明らかにしている。民衆と分け隔てなく交流し、子どもたちに笑顔で接する親しげで人間的なイメージもまた、彼の絶大な人気の理由だったのである。このようなイメージの魅力は、現代の日本にまで影響を及ぼしている。
■現代の日本人にも影響を及ぼす
そのことを物語っているのが、しばしば繰り返される「ヒトラーにも優しい心があった」という主張である。近年もツイッター上にそうした投稿がなされ、大きな反響を呼ぶという出来事があった。
新聞報道によると、この投稿はヒトラーが少女と笑顔で交流する写真を挙げて「実は優しい心をもっていた」と主張するもので、合計1万3000近くの「いいね」が付いたほか、「ヒトラーさんへの好感度が上がった」「ユダヤ人迫害には別の黒幕がいたのかな」などと同調する反応も多かったという。
ヒトラーを「悪の権化」とする見方が一般化するなかで、一見意外な彼の「優しい心」が多くの人びとに驚きと共感を呼んでいる様子がうかがえる。もちろんヒトラーも一人の人間であり、可憐な少女に優しく接することはあっただろう。彼を狂気の独裁者として悪魔化し、そこにのみ戦争とホロコーストの原因を見出そうとするのは間違っている。
だが逆に、少女との心温まるエピソードだけをもってヒトラーやナチズムの本質を理解した気になるのも問題である。というのも、この「子どもに優しいヒトラー」というイメージはナチスの宣伝が意図的に作り上げ、民衆の共感と信頼を呼び起こすのに利用したものだったからである。
■まんまと宣伝に乗せられた迂闊な反応
ナチ政権下では、笑顔で子どもと触れ合うヒトラーの姿は写真報道のお決まりのテーマとなっていた。なかでも1933年夏にオーバーザルツベルクの山荘の近くでヒトラーの目にとまり、たびたび山荘に招待されることになったベアニーレという名の金髪の少女との交流は、様々な媒体で紹介されて注目を集めた(先の投稿で挙げられていたのもこの少女と交流する写真である)。
実は交流が始まって数年後、少女の祖母がユダヤ人であることが判明し、ゲシュタポがこれを問題視するという事態も生じていたのだが、彼女と親しく交流するヒトラーの写真の宣伝効果が大きかったため、その後も写真の流通は止められず、山荘への招待も続けられたのだった。
こうした事情を踏まえると、ヒトラーと少女との関係にもっぱら「優しい心」を見出すのは短絡的で、まんまと宣伝に乗せられた迂闊な反応と言わざるを得ないのである。
ナチスの宣伝が作り上げた「子どもに優しいヒトラー」というイメージは、彼の絶大な人気の基盤をなすものだった。
■「ヒトラーにも優しい心がある」と思いたい
ヒトラーは他の政治家と違って民衆と同じ心をもつ誠実な人間で、それゆえ間違ったことをするはずがないと多くの人びとに信じられていた。ヒトラーは庶民的で情け深い指導者を演じ、宣伝を通じてそのイメージの普及につとめたが、民衆の側も自分たちと変わらない人間的な指導者をもとめ、その願望を総統の等身大の姿に投影した。
誰もがもつ親しみの感情を媒介にして、ヒトラーと民衆は情緒的に結び付いていたのである。人びとの共感と信頼をかき立てるこの親密なイメージが、ヒトラーの暴政を可能にした原因の一つだったことは明らかである。「ヒトラーにも優しい心がある」と思いたい、そういう心情こそがナチ体制にとって重要な政治的資源だったと言えよう。
ヒトラーも一人の人間で、角の生えた悪魔ではなかったというのはたしかにその通りだろう。だが仮にヒトラーに「優しい心」があったとしても、それはユダヤ人虐殺を命じた事実を否定する根拠にも、免責する理由にもなり得ない。
しかも彼の「優しい心」を知ったところで、ナチ体制の何か「新しい」側面が見えてくるわけでもない。もし見えてくるものがあるとすれば、そう信じたいという気持ちこそが、まさに当時(そしておそらくは現在でも)ヒトラーやナチスへの支持を調達する重要な手段だったということだろう。
■ドイツの女性たちは熱狂していたのか
ところで、子どもに加えてもう一つ、同じような目的から政治的に利用されたグループがある。女性である。パレードするヒトラーの車列に目を輝かせ、歓喜の声を上げ、腕を振り、涙を流す女性たちの映像は、現在でもドキュメンタリー番組などで目にする機会が多い。
「女性は男性よりも熱狂的にヒトラーを支持していた」と信じる人びとは、現在でも少なくない。だがウーテ・フレーフェルトは、ナチスによる「熱狂」の演出の背後に「感情のジェンダー化」というメカニズムが存在していたことを指摘する。
女性と子どもはどのみち感情的な存在であるとされていたため、「ポジティブな感情をおおっぴらに思いのまま見せることが許された。彼女らの感情の爆発と歓喜は、政権とその総統への公衆の支持(と賞賛)を証明するのにおあつらえ向きだったのである」。
一方、ドキュメンタリー映像に映し出される男性の多くは、「隊列を組んで行進し、硬くこわばった表情で揺るぎない決意と献身を表現」している。男性は「感情を抑え情念を支配」し、場合によっては「有能な大量殺戮の道具」となることをもとめられた。こうした「感情のジェンダー化」を効果的に利用したのがナチ体制だった。
■「感情のジェンダー化」という固定観念
女性の熱狂的な支持や子どもとの交流を強調することは、男性を主体とするナチスの攻撃性と暴力性をマイルドなものに見せるのに好都合だった。そうしたナチ体制による政治的演出を真に受けてしまうと、「感情のジェンダー化」という固定観念もそのまま受け継いでしまうことになりかねない。
もっとも、人びとの熱狂は単なる宣伝で、現実を反映していないと言いたいわけではない。実際、ヒトラーに対するドイツ国民の支持は、老若男女関係なく、非常に大きなものがあった。
問題なのは、その「熱狂」の内実を問うことなく、これをナチズムの「魅力」の証左と受け取ってしまうと、たちまちのうちにナチ・プロパガンダの術中にはまってしまうことだ。
ナチズムを心温まる物語に矮小化することは、その本質から目をそらす危険性をはらんでいる。子どもに親しく接し、女性から熱狂的な支持を受けるヒトラーの姿に心動かされ、共感を覚えそうになるとき、それがナチ体制にとって都合のよい反応ではないかどうか、一度立ち止まって考えてみるべきだろう。
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甲南大学文学部教授
1970年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。大阪経済大学人間科学部准教授等を経て、現職。専門は歴史社会学、ドイツ現代史。著書に『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』(大月書店)、『愛と欲望のナチズム』(講談社)、『魅惑する帝国 政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)などがある。
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東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授
1975年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。昭和女子大学人間文化学部専任講師を経て、現職。専門はドイツ現代史。著書に『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」第二次世界大戦末期におけるイデオロギーと「主体性」』(山川出版社)、訳書にウルリヒ・ヘルベルト『第三帝国 ある独裁の歴史』(KADOKAWA)などがある。
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(甲南大学文学部教授 田野 大輔、東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授 小野寺 拓也)
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