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カタツムリは「殻のあるナメクジ」ではない…日本人が誤解している「カタツムリ」と「ナメクジ」の意外な関係

プレジデントオンライン / 2023年8月30日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/exs

カタツムリは殻を取るとどうなるのか。沖縄大学の盛口満教授は「殻の中には内臓が詰まっており、カタツムリは死んでしまう。『ナメクジになる』と誤解している人は多いが、全く別の生き物だ」という――。

※本稿は、盛口満『マイマイは美味いのか』(岩波書店)の一部を再編集したものです。

■カタツムリは虫なのか

私は現在、大学で小学校教員養成課程を軸とする学科に所属している。その関係で、小学校に出張授業に出かけることがある。その授業の中で、小学生のカタツムリに対しての認識の一端を知る機会があったので紹介することにしよう。

小学校3年生の理科の単元の一つに、「こんちゅう」の学習がある。その単元に関する授業を頼まれたら、まずクラスの子どもたちに「好きな虫」「キライな虫」を教えてもらっている。子どもたちが「虫」というものに、どんなイメージをもっているかをさぐるためである。いくつかの小学校での「キライな虫」の回答例を取り上げて、図表1にしてみた。

【図表1】キライな虫
出所=『マイマイは美味いのか』

ゴキブリのようにどのクラスでも名前があがる定番の虫もいるが、それ以外にも、実にさまざまな「虫」の名があがっている。授業ではこのやりとりから「虫にもいろいろいるけれど、虫にはどんなグループがあるかを考えていこう」……つまり、昆虫と、昆虫以外の生き物をきちんと分けてみようという内容に進むのだけれど、ここで注目したいのは、小学生の子どもたちにとって、ナメクジやカタツムリは、しばしば「虫」というくくりとして認識されているという点だ。

カタツムリは「虫」だろうか。

■「虫」の定義は意外とあいまい

ここで、江戸時代の1800年代に出版された、小野蘭山の手になる本草書である『本草綱目啓蒙』をひもといてみることにする。『本草綱目啓蒙』では動物を獣部、禽部、鱗部、介部、虫部に分けている。このうちハマグリやアワビは「介」と呼ばれる生き物としてひとまとめにされている。加えてカニやカメの仲間も「介」に含まれている。カタツムリは「介」ではなく、虫部の中の湿生類に置かれている。『本草綱目啓蒙』の虫部には、カタツムリのほかにミミズやムカデ、ヒル、カエルも含まれている。

このように日本語の「虫」は、きわめてあいまいな範囲の生き物を指し示す用語だ。そして日本の伝統的な生物分類にならうなら、カタツムリは「虫」なのだ。そのため、小学生がカタツムリを「虫」に分類するのは間違いではない。そして、私たちがカタツムリを見ても食欲がわかないのも、そうした認識のありようがからんでいるように思う。

アイヌの人々にとっても同様で、カタツムリはアイヌ語ではアネ・ケム・ポ(細い針。針は触角や眼柄を表しているらしい)、キナ・モコリリ(草にいる巻貝)と呼ばれる。「殻をもち、陸上生活をするカタツムリは、〈カイ〉と〈ムシ〉の両義的性格をもつが、〈ムシ〉に類別される。(中略)カタツムリが〈ムシ〉に類別されるのは、殻をもつという〈カイ〉との形態的類似よりも地表をはうという〈ムシ〉との類似に因る」とあり、カタツムリは「虫」の仲間として認知されていたという。

カタツムリ
写真=iStock.com/DusanBartolovic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DusanBartolovic

■ヨーロッパでは貝の仲間に分類されていた

しかし、生物学的に見た場合は、一般的に「虫」という名称で思い浮かぶ、昆虫やクモといった節足動物に分類される陸上無脊椎動物と、カタツムリはかなり縁の遠いもの同士だ。カタツムリは、海に棲んでいる巻貝(軟体動物)のうち、陸上に進出したもののことである。

端的にいえば、カタツムリは貝(陸に棲む貝なので、陸貝と呼ぶ)だ。ただし、貝は海に棲む生き物というイメージが強いせいか、はたまたデンデンムシという名称が影響しているのか、カタツムリは貝とは別の生き物であるというイメージがもたれてしまうわけである。

なお、アリストテレスによって紀元前4世紀に書かれた『動物誌』を見てみると、アリストテレスは動物を有血動物(現在の脊椎動物に相当する)と無血動物の二つに分け、さらに無血動物を、軟体類、軟殻類、有節類、殻皮類などに分けている。そして、カタツムリは、そのうちの殻皮類に海の貝と一緒に分類されている。

ヨーロッパではこのように、生物分類の試みの当初から、カタツムリを海の貝と同じ仲間に区分けしていた(英語でカタツムリをland snail――陸の巻貝――と呼ぶこともあり、ヨーロッパの人々はカタツムリを虫の仲間とは思わないのではないだろうか)。

■「カタツムリは殻を脱いだらナメクジ」は本当か

沖縄島に移住してしばらくしてから、地元の新聞で、子ども向けの自然記事の連載を始めることになった。ある年、その新聞への寄稿者を集めた忘年会の席で、思いがけなくカタツムリの話となった。

「カタツムリの殻のないのがナメクジじゃなくて、別のものなんですか?」

そんなふうに、まず聞かれた。

この質問について少し解説すると、これは、質問者が「カタツムリは殻を脱いだらナメクジになる」という認識をもち、その認識に基づいて質問をしていることを示している。つまり、「カタツムリの殻が脱げたのがナメクジだと思っていたのですが、カタツムリとナメクジはもともと別の生き物なのですか?」と、この人は聞いてきたわけである。

この発言に見られるような、「カタツムリは殻を脱いだらナメクジになる」、すなわち「カタツムリの本体は、ヤドカリのように殻を出入りすることができる」という認識を、私は「カタツムリ=ヤドカリ説」と名付けている。最初に私がこの認識の存在に気づいたのは、埼玉の学校での教員時代、生徒とのやりとりの中においてだ。あとでまた紹介するが、この認識は、私の勤務している大学の学生たちの中にも少なからず散見される。

ナメクジ
写真=iStock.com/Tetiana Kolubai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tetiana Kolubai

■カタツムリとナメクジが同じ呼び名の地域もある

過去にさかのぼって、日本人がどのようにカタツムリとナメクジの関係を認識していたのかを調べてみると、古い時代においても「カタツムリ=ヤドカリ説」につながるような記述を見ることができる。

寺島良安の手になる江戸時代の百科事典、『和漢三才図会』(1712年成立)を見ると、ナメクジの項には「蛞蝓と蝸牛とは二つの異なったものである。蝸牛の老いたものと同一物とするのは甚だ謬(あやま)りである」と書かれてあり、両者はまったく異なるものであると説明がなされている。ただし、わざわざそう書かれているということは、両者は同一物と思う人が少なからずいたということでもある。

一方、『和漢三才図会』に先だって出版された、人見必大の著した食物百科、『本朝食鑑』(1697年刊)には、薬材としてナメクジのみが取り上げられている。そこには、いまだ殻を脱していないものをカタツムリといい、すでに殻を脱したものをナメクジという、といった内容が書かれていて、「カタツムリ=ヤドカリ説」に通じる認識がこの時代にも存在していたことが、はっきりわかる。

おもしろいことに、カタツムリの方言を全国レベルで調べ、『蝸牛考』という論考を書いた柳田國男によると、地域によって、カタツムリとナメクジを同一の名称で呼ぶところがあり、それどころか同一の名称で呼ぶことは「決して珍らしい例でも何でもないのである」という。

柳田によると、肥前・肥後・筑後の各地や壱岐ではカタツムリをナメクジというほか、津軽ではナメクジ、カタツムリを両者ともナメクジリという、とある。また秋田・比内ではカタツムリをナメクジリ、ナメクジをナメクジというほか、飛驒の北部では、カタツムリとナメクジの両方をマメクジリやマメクジラと呼ぶと書いている。なお、長崎県の諫早ではカタツムリはツウノアルナメクジ、つまり「甲羅のあるナメクジ」といい、ナメクジのほうが命名の基準となっている。

■生物学的には殻が退化したのがナメクジ

生物学的な視点に立てば、ナメクジというのは、カタツムリのうち、殻を退化させたもののことである。だから、ナメクジの先祖はカタツムリだ。また、カタツムリのほうがナメクジよりも圧倒的に種数が多い。そうしたことからいえば、例えばナメクジに対して「ハダカカタツムリ」なる呼称を附与するとしたら、その理屈はわかる。

けれど、その逆に、カタツムリに「ツウノアルナメクジ」と命名する理屈はすぐにはわかりにくい。これは、ナメクジがナメクジとカタツムリ共通の「本体」で、ナメクジが殻に入っている状態がカタツムリ(「ツウノアルナメクジ」)と思っていた(つまり、「カタツムリ=ヤドカリ説」による認識)ということを意味しているように思える。もっとも、これは推測にすぎない。言語学上、両者の関係が、なぜそのようにとらえられていたのかということをきちんと解き明かすのは、私には難しい。

■カタツムリとナメクジが入れ替わることはない

ともあれ、一生の間に、カタツムリとナメクジが入れ替わることはない。カタツムリからナメクジへの変化は、進化と呼ばれる長い年月の間に起こった現象だ。ナメクジの中には、まだすっかりナメクジ化しておらず、背中に先祖ゆずりの殻の名残を背負っているものもいる。

なお、カタツムリからナメクジへの進化は、さまざまなカタツムリの系統において、独自に起きている。つまり、「ナメクジ」とひとまとめにされる生き物は、生物分類学的にいうと同一のグループに所属しているわけではなく、見かけ上の似た者同士をひとくくりにしたものの総称にすぎない。

参考までに、日本産の主なナメクジ類の分類上の位置づけを紹介すると、図表2のようになる。

【図表2】日本産の主なナメクジ類の分類上の位置づけ
出所=『マイマイは美味いのか』

潮の引いた干潟や磯に行くと、イソアワモチという、一見ウミウシのような殻をもたない貝の仲間が岩や泥の上を這い回っている姿を見るが、このイソアワモチは、海に棲む収眼類の貝だ(図版1)。

図版1
イソアワモチ(出所=『マイマイは美味いのか』)

収眼類のナメクジは、陸上で貝殻を退化させた柄眼類のナメクジたちとはまったくグループが異なり、もともと海に棲んでいたときから貝殻を退化させていたグループである。すなわちアシヒダナメクジやイボイボナメクジなどの収眼類のナメクジは、柄眼類とは別個に陸上に進出したものであり、生態的にも興味深い仲間である。

■殻を外されるとカタツムリは死んでしまう

実際問題、カタツムリの殻を「脱がす」と、カタツムリは死んでしまう。カタツムリとナメクジは別の生き物であり、カタツムリの中で、殻をなくす方向に進化したものがナメクジである。そうしたことを、忘年会の席上、「カタツムリ=ヤドカリ説」を信じていた質問者に説明した。

「昨日や今日、殻をなくしたわけじゃないんですね」
「そうですよ。よく、カタツムリの殻を取ったらナメクジになる? なんて言う人がいますけど、カタツムリの殻を取ったら、内臓が出てきて死んじゃいますよ。ナメクジはその内臓を体の中にしまったんです」
「えっ、内臓があるんですか?」

今度は、こんなことを聞き返されてしまう。カタツムリの殻の中身がどうなっているかは、一般的にはブラックボックスであるわけだ。

「アフリカマイマイもカタツムリですか?」

続いて、そんな質問が繰り出された。アフリカマイマイは、沖縄の島々では普通に見かけるカタツムリだ。殻は一般的なカタツムリのように丸まった形ではなく、海に棲む巻貝でよく見かけるような先細りをした形だ。最大で20センチにもなるというが、よく見かけるのは殻長が10センチたらずの大きさのものだ。

アフリカマイマイは戦前、食用になるという触れ込みで沖縄に持ち込まれ、その後、野生化して作物の害虫と化した。また体内に、人にも被害を及ぼすことのある寄生虫(広東住血線虫)を宿しているため、大型で目立つだけでなく、沖縄ではきわめて知名度が高い生き物となっている。もっとも、知名度が高いというのは「キラワレモノ」としてだ。

■カタツムリに詳しい人は多くない

ところで、こうしたやりとりによって気づいたのは、どうやら沖縄の一般の人々は、陸に棲む貝に対して、認識上、「ナメクジ、カタツムリ」という区分とは別に、「アフリカマイマイ」が特別に意識される存在となっている、ということだ。「アフリカマイマイは、カタツムリとは別物」という認識の存在も見え隠れする。

盛口満『マイマイは美味いのか』(岩波書店)
盛口満『マイマイは美味いのか』(岩波書店)

この点について、私のゼミ生だった照喜名愛香さんが、大学生を対象にアンケート調査を行ってくれた。「知っているカタツムリの種類」についてのアンケート結果(総数95名、複数回答あり)は、無回答が31名(32%)、アフリカマイマイと回答した者が61名(64%)、ナメクジと回答した者が2名(2%)という結果だった。なお、愛香さんの調査では、エスカルゴのほか、「アオミオカタニシ」といった、カタツムリの個別名をあげた回答が8例見られた。

以上のことから、沖縄の一般の学生のカタツムリの認識は次のようにまとめることができる。

・カタツムリはナメクジと区分されている(ただし「カタツムリ=ヤドカリ説」を信じている場合がある)。
・カタツムリの個別名はほとんど知らない。
・カタツムリの中でアフリカマイマイはきわめて知名度が高い(ただし、先に書いたように、カタツムリとは別の区分として、アフリカマイマイをとらえている場合もある)。
・なお、個別名を知らない場合でも、カタツムリに「普通のカタツムリ」と「特別なカタツムリ」という区分がなされている場合がある。後者に含まれるのはエスカルゴなどのカタツムリである。

日本全体では、カタツムリとナメクジを合わせて、陸貝は1000種ほどいる。『沖縄県史』によれば、沖縄県だけでも陸貝は140種ほどがいるとされている。しかし、学生のほとんどは、カタツムリにも種類があることはうっすら認識してはいるものの、個別名までは知らない。カタツムリにいったいどのくらい種類があるのかも知らない。

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盛口 満(もりぐち・みつる)
沖縄大学教授
1962年千葉県館山市生まれ。千葉大学生物学科卒。自由の森学園中高等学校理科教師を経て、2000年に沖縄へ移住。以後、珊瑚舎スコーレの活動にかかわる。2007年からは沖縄大学人文学部こども文化学科の教員に。2019年より沖縄大学学長に就任。最近の著書に『生きものとつながる石ころ探検』(少年写真新聞社)、『ゲッチョ先生のトンデモ昆虫記』(ポプラ社)、『めんそーれ!化学』(岩波ジュニア新書)、『琉球列島の里山誌』(東京大学出版会)などがある。

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(沖縄大学教授 盛口 満)

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