いつ、どこで、誰が、どのように作ったのか定かではない…謎多き「メロンパン」誕生の秘密を追う
プレジデントオンライン / 2023年9月7日 15時15分
※本稿は、阿古真理『おいしい食の流行史』(青幻舎)の一部を再編集したものです。
■あんパンを世に広めた意外な人物
あんパンが売れ始めたきっかけは、ある仕掛けをしたことでした。仕掛け人は、店に出入りしていた道場主で、幕臣だった山岡鉄舟です。
江戸城無血開城は勝海舟と西郷隆盛の会見で決まったとされていますが、『銀座木村屋あんパン物語』(大山真人、平凡社新書、2001年)によると、その陰には徳川慶喜の命を受けた鉄舟が、西郷に江戸を攻撃しないよう直談判をしたことがあったそうです。
そんな明治維新の陰の立役者の一人、鉄舟は明治に入って駿河、遠江、三河を行き来し、駿河から静岡になった藩の財政の立て直しに奔走します。その後立場がいろいろ変わり、1872(明治5)年に宮内省侍従番長になります。
鉄舟のもとにはいろいろな人が出入りしますが、その中に銀座木村屋の創業者である木村安兵衛とその息子、英三郎もいたようです。人のために尽くす鉄舟は、明治天皇にもかわいがられていました。鉄舟が仕掛けて、天皇が1875年4月4日、向島の水戸藩下屋敷を訪ねた折、桜の花の塩漬けを埋め込んだあんパンを献上し、天皇も皇后もその味を気に入ったそうです。
宮中へは、京都からお供してきた菓子屋が仕えていて、新しいお菓子を差し上げることは困難でしたが、鉄舟が天皇の外出先で出す方法を考え、この日の献上が実現したのです。その事実が広まり、東京で木村屋のあんパンが大流行するのです。
ちなみに鉄舟は倒幕後、駿河に引っ込んでいた徳川慶喜にもあんパンを届け、気に入られたとのこと。
あんパンはその後、多くの人々に愛されました。結核の闘病中の正岡子規も、あんパンを好んで食べています。森鴎外も、木村屋のあんパンのファンだったそうです。
■ジャムパンの誕生秘話
あんパンの次に誕生した菓子パンは、ジャムパンです。最近は置いていないパン屋がふえた一方で、ジャムパン専門店ができて人気になるなど、新しい可能性も見えてきました。
ジャムパンを生み出したのも、銀座木村屋です。時代は進んで、1900(明治33)年。日清戦争と日露戦争の間です。
戦場へ持っていく食べものを研究するため、陸・海軍省の打診をきっかけに東京の主なパン屋が集まり、ビスケットをつくる東洋製菓という会社を立ち上げました。
日清戦争でご飯を炊くために陸軍が戦場で火を使い、居場所を知られて集中砲火を浴びた経験があったからです。ビスケットは戊辰戦争の折、凮月堂(現上野凮月堂)が薩摩藩に納入した実績があります。
東洋製菓の工場でビスケットにジャムを挟む工程を眺めていた、銀座木村屋3代目の木村儀四郎は、あんこの替わりにジャムをパンに挟んでみたらどうかと思いつきました。そこで、当時ポピュラーだった杏ジャムを挟んで店で販売したところ、予想以上のヒットになって全国に広がりました。
今はジャムの代表と言えばイチゴですが、当時、イチゴはまだ高級品でジャムにするどころか、庶民が気軽に口にできる果物ではありませんでした。
■インテリ夫婦が作った人気パン
次に生まれた菓子パンは、クリームパン。今も根強い人気を誇ります。こちらを考案したのは、新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵。1904(明治37)年のことです。
相馬愛蔵は、現在の長野県安曇野市の出身。仙台生まれの星良と結婚し、本郷でパン屋を始めました。中村屋という名前のパン屋を買い取って始めたので、「中村屋」という店名にしたのです。
相馬夫妻は、いわゆるインテリでした。愛蔵は東京専門学校、現在の早稲田大学の出身。良は『新宿中村屋 相馬黒光』(宇佐美承、集英社、1997年)によると、よりよい教育を求めて宮城女学校からフェリス和英女学校(現在のフェリス女学院)、明治女学校と転校しながら学んだ女性で、「黒光」のペンネームで活躍した随筆家でもあります。
高等教育を受けてパン屋を開く人は珍しかったこともあり、店はやがて文化人が集まるサロンのようになります。荻原碌山、高村光太郎、松井須磨子など、そうそうたる人たちが集まっています。夫婦はもともと、本郷でヨーロッパのようなカフェを開こうと考えていました。この少し後になると、お酒や洋食も出すカフェができ始めます。
1911(明治44)年には、銀座で「カフェー・プランタン」や「カフェーパウリスタ」、「カフェー・ライオン」(現在の「ライオン銀座五丁目店」)が次々と開業して、文化人が集う場所になります。もしかすると、2人は最初からサロンをつくりたかったのかもしれません。
■クリームパンのヒントになった洋菓子
しかし、近所に当時流行していた、喫茶店の原型になるミルクホールができて、カフェは断念したのです。結局はパン屋がサロンになったので、目的は達せられたと言えるでしょう。
パン屋を選んだのは、パン食を試したら案外飽きずに続けられるし、煮炊きもいらず、突然の来客にもすぐ出せる便利な食事になる、これからはもっと売れるだろうと見込んだからです。
税務署から目をつけられ、もっと売り上げを伸ばさなければ、と発展し始めていた新宿に移転。「新宿中村屋」を名乗るようになります。やがて、インド独立運動家のラス・ビハリ・ボースをかくまう、ロシアの詩人、ワシリー・エロシェンコが身を寄せるなど、店は歴史の舞台になっていきます。
愛蔵がクリームパンを思いついたのは、シュークリームを食べたところ、とてもおいしかったからです。しかし当時のシュークリームは高級品で、庶民が気軽に食べられるものではありませんでした。
牛乳と卵を使った栄養価の高いカスタードクリームを、パンに包んでみたら、あんパンより一ランク上の人気商品になるのではないかと考えたのです。
このように、明治の終わり頃になると、菓子パン文化はすっかり定着し、洋菓子にヒントを得た新しいパンが誕生していくのです。
■謎だらけのメロンパン
実は明治初期、洋菓子は日本人から嫌われていました。というのは、洋菓子は基本的にバターを使います。このバターの香りが、乳製品に慣れていなかった日本人には「くさい」と感じられたからです。昭和の頃、彫りの深い日本人離れした顔が「バタくさい」と言われましたが、それは実際にバターがくさいと思われてきた史実から来ているのです。
しかし世代が交代し、日本人は西洋の食文化にも慣れて変わっていきます。1872(明治5)年に凮月堂の本店からのれん分けされた、現在の「東京凮月堂」も創業者はバターが苦手でしたが、子どもたちがバタくさいビスケットを喜んで食べるさまをみて、これからは洋菓子の時代だ、と洋菓子に力を入れていくようになりました。
世の中がどんどん変化する時代、世代が変わると味覚も変わっていくのです。
ひとつ、定番の菓子パンながら、発祥が定かでないものがあります。メロンパンです。メロンパンの謎を追った『メロンパンの真実』(東嶋和子、講談社文庫、2007年)が、誕生した時期はどうやら大正時代だったことまで突き止めていますが、どこの誰がどのようにして開発したのかはわからなかったそうです。
■ドイツ菓子説、移民説、日本人説
食べものの発祥やルーツについては、実はわからないことがたくさんあります。それは、食べものは歴史の中であまり重要な存在とされていなかったからです。特に庶民の食べものは、公的な記録が残されていないことが多いのです。
飲食店や食品メーカーも、生まれては消えていきますし、書類もメニューも残っていないモノが少なくありません。町のパン屋が開発したとして、その店が激動の時代の中で消えていった場合、何も残っていないのはしかたありません。第2次世界大戦中は、主要穀物を扱う店は統制下におかれたためなくなってしまった店も多いのです。
同書によると、メロンパンに関してはドイツ菓子説、アメリカ大陸に渡った移民が持ち帰ったという説、日本人が生み出したという説の3つがあるそうです。
ドイツ菓子は、いかにもありそうです。大正時代には第1次世界大戦があり、敵国だったドイツ人の俘虜収容所が各地にありました。俘虜のひとり、ハインリッヒ・フロインドリーブは敷島製パンの創業を手伝い、その後神戸に移って店を開きました。
その店、フロインドリーブは、1977(昭和52)年度放送の朝の連続テレビ小説『風見鶏』(NHK)のモデルにもなりました。カール・ユーハイムは日本にバウムクーヘンをもたらした、ユーハイムの創業者です。ドイツ人がこの頃、日本のパン・菓子に大きな影響を与えたことは確かです。
■私が移民説を取る理由
日本人が創意工夫を発揮し、発案したというのもありそうです。パンの上にクッキーをかぶせ、メロンの形にするなんて、あんパンやクリームパンを考案した日本人なら考えつくかもしれません。
でも、私は移民説を取ります。というのは、同書も紹介していますが、メロンパンとそっくりな菓子パンがメキシコにあるからです。メキシコのそのパンは「コンチャ」という名前で、『「食」の図書館 パンの歴史』(ウィリアム・ルーベル著、堤理華訳、原書房、2013年)によると、ミルクロールパンに、着色した粗めの砂糖衣をかけてあるそうです。
いずれにせよ、メロンパンも定着して現在に至るまで愛されています。2000年代初頭には、専門店も登場してブームになりました。
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生活史研究家
1968年生まれ。兵庫県出身。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。
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(生活史研究家 阿古 真理)
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