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なぜ博報堂を辞めて経営危機の家業に戻ったのか…酒蔵の御曹司が"自分が継ぐしかない"と思った本当の理由

プレジデントオンライン / 2024年1月12日 10時15分

「2025年問題」をご存じだろうか。この年、戦後の経済成長を引っ張ってきた団塊世代が全員75歳以上の後期高齢者となる。むろん社長たちも例外ではない。そこで問題になるのが「後継ぎがいない」ということだ。今現在、「後継者難による廃業」を選ぶ中小企業は少なくない。2025年を境にその数が激増するのではと心配されているのである。その状況に企業は、経営者は、どう対処すべきか。現代の事業承継に関する情報を1冊に集めたPRESIDENT MOOK『令和ニッポン「事業承継」大全』(プレジデント社刊)から、現代の「アトツギたちの肖像」をお届けする──。(第1回/全3回)

■曽祖母の教え「世のため人のためになることを」

●明利酒類/加藤喬大常務

「世のため人のためになることをしなさいね」

加藤喬大(たかひろ)(32)は水戸の生家で曽祖母からこう聞かされながら育ったという。加藤家は江戸時代創業の酒蔵、明利(めいり)酒類を営む。酒蔵はかつて全国どこでも地域社会の中心だった。加藤家もまた地元神社の氏子総代を務めたり政治を担ったりする家柄で、曽祖父の加藤高蔵(たかぞう)は戦後長く衆議院議員を務めた。だから曽祖母の言う「世のため人のため」は単なる理想論というより、地域のために尽くすのは当然だと考える名家ならではの現実的な教えだった。

だが、地域のために汗を流すにしても、その前提として家業が利潤を生んでいなくてはならない。明利酒類は近年になっても日本酒の銘柄「副将軍」を中心に堅実な利益を上げてきた。

状況が変わったのは2020年、あの新型コロナ禍のせいである。飲食店の営業自粛が始まり、当然ながら酒も売れなくなった。明利酒類の売上高はいきなり半減したという。販売ルートが止まってしまった以上、メーカーの立場ではどうしようもない。

この非常事態を知って、即座に「水戸に帰って家業を継ぐ」と心に決めたのが加藤である。東京の都心近くに住み、広告大手の博報堂で、超多忙ながらもやりがいのある仕事を手がけていた。それまでは家業とはあくまでも父が切り盛りするものであり、自分が深く関与する必要はないと感じていた。加藤はむしろ、社内で新しいビジネスを立ち上げたり、高校、大学、博報堂を通じての先輩である須田将啓が上場企業のエニグモをつくったように、ゼロから起業したいと考えていた。

PRESIDENT MOOK『令和ニッポン「事業承継」大全』(プレジデント社)
PRESIDENT MOOK『令和ニッポン「事業承継」大全』(プレジデント社)

しかし、家業の危機は隠しようもなかった。想定していなかったパンデミックの奇襲を受け、会社は身動きが取れない。このままでは早晩キャッシュが尽き、経営が行き詰まることは目に見えていた。どうすればいいか。

従来のやり方が通用しないなら、新しい発想を持つ自分たちの世代が主導することで、当面の危機を打開し、次の成長へ導くべきではないか――。

家業をそれまで他人事のように見ていた加藤だが、3月の「一斉休校」決定を機に猛烈な勢いで動き出す。博報堂を正式に退職するのは7月末だが、業務の引き継ぎと並行して、4月にはもう、休暇を使って実家に隣接する明利酒類へ日参するようになっていた。

加藤喬大氏
加藤喬大氏は1991年生まれ。水戸第一高校、慶應義塾大学経済学部卒業。高校の先輩である堀義人グロービス経営大学院学長の誘いで、同大学院水戸キャンパスで学んだことが「第二の創業」を考えるきっかけになったという。

家業の危機に直面した瞬間、責任感が目覚めたという「後継ぎ」の証言を取材で何度か聞かされたことがある。人づてに家業の経営危機を知らされたとき、不祥事で信用がガタ落ちになる危険を察したとき、それまでは無関係だと思い遠ざけていた家業を「自分が守らなくては!」と感じるのだという。

加藤の場合も、きっかけは新型コロナ禍による実家の経営危機だった。しかしその責任感は、20年3月になって急に目覚めたものだろうか。

「17年に水戸まで通って経営大学院の授業を受けたのですが、そこで地元企業の若手経営者たちと知り合いました。大企業勤務を経て家業を継いだ方々ですが、大企業やビジネススクールで学んだことを持ち帰り、『第二の創業』のような革新を家業にもたらしている。明利酒類にもこのやり方は応用できるのではないか、とそれからずっと考えていたんです」と加藤は言う。

■65%のウオッカを「消毒用アルコール」に

第二の創業。その意識が加藤の中で3年かけて育ってきていたところへ降って湧いたのがコロナ禍だった。だから加藤は「急に」目覚めたわけではない。「世のため人のため」という教えを意識しつつ、もし自分が手がけるなら明利酒類はどういうビジョンで経営すべきかを念頭に置いて、博報堂のハードワークに向かっていたのだ。

「家族のため、家業のため、地域のため」という行動の軸を定め、まずは会社の生き残りのために何ができるかを考えた。半年間は無給で仕事をします、と社長である父に伝え、経営の実権を握らせてもらうことにした。決死の意気込みを示すために「毎朝、深呼吸してから父の椅子に座らせてもらいました」。そして若手社員を集めてプロジェクトチームを立ち上げる。

すると「第二の創業」を目指す加藤の前向きな熱が伝わったのだろう、社員たちの目が輝き出した。「会社としてはつらい時期でしたが、プロジェクトに集まる若い人たちは生き生きと働いてくれました。『部活みたいですね』と言ってくれる人もいました」(加藤)

「雨下」

加藤と会社にとって幸いだったのは早めに成果が出たことだ。アルコール度数を65%まで高めたウオッカ「メイリの65%」を、当時市場から払底していた消毒用アルコールの代用品として発売し、注目を集めたのだ。「プレスリリースとSNS発信を駆使して話題にし、20万本を売ることができました。まずこの『小さな勝利』を示せたことが社内の信頼を得るために大きかったと思います」と加藤。博報堂仕込みのマーケティングの手腕が生きたのだ。

生き残りのめどがついた今は、「第二の創業」の真っただ中だ。

「1本3万3000円のプレミアム日本酒『雨下』を発売し、アメリカにも売り込みます。また弊社としては60年ぶりにウイスキー事業に参入するべく新ブランド『高蔵モルト』の蒸留を始めています。まずはこの2本柱を将来の主力事業として育てます」(加藤)。今のところまだ父を支える常務取締役だが、「世のため人のため」社業を背負う覚悟は十分である。(敬称略)

【図表】家業の危機を救う3つのポイント

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面澤 淳市(めんざわ・じゅんいち)
プレジデント編集部
1964年、茨城県生まれ。水戸第一高校、法政大学法学部卒。雑誌「財界」などを経てプレジデント編集部へ。著書に『東芝』『ソニー「プレステ2」のマルチ情報革命』など。

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(プレジデント編集部 面澤 淳市 撮影=的野弘路、写真提供=明利酒類)

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