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「旧制一中」のライバル校「二中と三中」の現在の実力…47都道府県の「ナンバースクール」を徹底検証する

プレジデントオンライン / 2024年1月26日 15時15分

滋賀県立膳所高等学校(写真=Bakkai/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons)

47都道府県には、旧制第一中学をはじめとする「ナンバースクール」が存在する。『日本の高校ベスト100』(啓文社書房)などの著書がある評論家の八幡和郎さんは「旧二中に当たる高校はナンバー2都市にあることが多い。都道府県所在地への一極集中の影響で、旧二中は苦戦している傾向がある」という――。

■旧制一中以外の「ナンバースクール」とは

昨年12月に公開した〈47都道府県の「旧制一中」の栄枯盛衰…地元トップを維持する名門22校と凋落した元名門17校の全リスト〉という記事がご好評いただいた。

これは、かつて地元の名門だった旧制一中が現在どうなっているのかを紹介したものだが、旧二中など、それ以外の旧制中学にルーツをもつ「ナンバースクール」は現在のどの高校なのか、また、進学校として健在なのだろうかという質問をよく受ける。

拙著『日本のベスト高校100』(啓文堂書房)で、戦前に公立の旧制中学だった学校の後身を丁寧に拾っている。都道府県によって事情はそれぞれだが、名前としてナンバーが振られていなくとも、設立順は必ずあるので順番を付けることは可能だ。

前回の記事で書いたように、旧一中ないし旧一中的な学校とは、1886年に文部省が出した「中学校令」(便宜上、一県一中学校令と呼ぶ)で、それまで存在した中学が、各道府県一校の尋常中学に集約されたものをいう。その後、1891年にこの方針が弾力化されたので、徐々に数校の中学が各道府県に設置された。

■兵庫には「一中」と「神戸一中」があった

ただし、同時に複数校が設立されたり、いったん設立されて廃止されたりと複雑なケースもあるため、ナンバースクールの選び方は私とは別の解釈もあるかもしれない。

はじめはナンバーを振っていたが、途中で多くなってきたので地名が校名になったところもある。滋賀県の膳所高校でいうと、1898年に創立されたときは、滋賀県第二尋常中学校だったが、10年後には滋賀県立膳所中学校に改称した。

また、神戸一中(神戸)、二中(兵庫)、三中(長田)のように、兵庫県の一中ではないが、神戸市内にある中学校のなかでナンバーがついていた場合もある。東京の場合は二十三中(現在の大森高校)まであって、きちんとナンバーが振られている。

写真左:都立日比谷高校通用門と校舎(写真=Rs1421/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)/写真右:東京都立大森高等学校(写真=あばさー/PD-self/Wikimedia Commons)
写真左:都立日比谷高校通用門と校舎(写真=Rs1421/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)/写真右:東京都立大森高等学校(写真=あばさー/PD-self/Wikimedia Commons)

以下、全国のナンバースクールのうち旧二中・三中を一覧表にして紹介するが、同時設立など複雑なケースについては、本稿後半の都道府県別の紹介をご覧いただきたい。

■二中はナンバー2都市にありがち

地元における進学校かどうかを示すため、北海道は北海道大学、東北地方は東北大学、関東・中部地方は東京大学、近畿・中国・四国地方は京都大学、九州は九州大学の合格者数を比較し、都道府県内の公立高校のなかでの順位を付けた。

【図表1】全国の「旧二中・三中」と都道府県内順位①
筆者作成
【図表2】全国の「旧二中・三中」と都道府県内順位②
筆者作成

旧二中については、旧一中がある都市(原則としては県庁所在地)のライバル都市にあるのが一般的で、設立当初の行政区域で同じ都市にあるのは、仙台第二(仙台市)と錦岡(金沢市)、高知小津(高知市)だ。

なかには、岐阜県高山市の斐太、熊本県天草市の天草のように、遠隔地で人口があまり多くない地域に置かれたケースもある。

城下町など県庁所在地以外の弘前、郡山、松本、彦根、大和郡山、首里(※)に旧一中が置かれたケースでも、旧二中は県庁所在地にあったとは限らない。沖縄県では県庁所在地の那覇に置かれたが、青森県では県下二番目の城下町である八戸、長野県も城下町の上田、奈良県では大和郡山と奈良が近かったので、南部の畝傍(現・橿原市)に置かれた。膳所も当時は大津市外だった。

※旧一中設置当時は首里市(現在は那覇市首里)

また、立川、日川(山梨市)、防府、脇町(美馬市)、育徳館(みやこ町)、大村、臼杵、川内などは、現在の都市規模から考えると少し意外なところにあるかもしれないが、その事情は後半に解説する。

■公立トップに輝く二中は膳所、岡崎など8校

表に掲げた順位は都道府県内公立高校のなかでの難関大学合格者の順位である。ただし、前回の旧一中についての記事では、東京大学・京都大学の合格者の合計でランク付けしたが、本記事の対象校では、そもそも両大学の合格者がほとんどいない場合も多いので、地方によって調査対象の大学を変えている。

旧二中のなかでも、その都道府県の公立校ナンバーワンとなっている高校が7校ある。仙台第二、土浦第一、高崎、長野(事情が複雑なので都道府県別の解説参照)、岡崎、四日市、膳所、神戸だ。膳所と神戸は、一中が彦根と姫路という県庁所在地でない城下町につくられたので、県庁所在地のトップ高校として結果を出している。

四日市は津より人口が多いし、岡崎は名古屋市内が群雄割拠なのに対して三河地域で群を抜いた存在だ。仙台第二は、仙台市内のインテリ層が多いとされる高級住宅街を通学区域に含んでいるのが決め手だ。土浦第一は筑波研究学園都市に近く、人口が増えている茨城県南にある。高崎も東京からのアクセスが良い地域だ。このほか、公立トップ校とほぼ互角なのが、八戸だ。

■県庁所在地一極集中を解消する一手に

こうして見てみると、都道府県庁所在都市への人口集中と通学区域の全県化もあって、旧二中は全般的に苦戦している。

それに加えて、旧一中をはじめとする進学校が県庁所在地に集中していることが、県内のそのほかの地域が衰退する原因になっていたりもする。進学校の通学区域であるかどうかで、不動産価格や賃料にかなりの差があるほど、進学校の存在はどこに住みたいかに影響するのだ。

そうでなくとも、県下ナンバー2都市へのテコ入れは全国的な課題だが、逆に高校へのテコ入れを通じて、ナンバー2都市を浮上させるという考え方もあるのではないかと思うほどだ。

そんななかで、最近増えている公立中高一貫校は、旧一中は千葉高校くらいにしか設けられず、旧二中に設けられているケースも多い。しかし、旧二中所在都市のほかの高校に設けられている場合もあり、そういう場合には、旧二中の地盤沈下がますます進む可能性がある。

千葉県立千葉中学校・高等学校
千葉県立千葉中学校・高等学校(写真=Industrial spy/Copyrighted free use/Wikimedia Commons)

それでは、都道府県別の紹介に移ろう(以下、旧二中を②、旧三中を③と表記)。

■宮城では二中が一中に逆転し、県下トップ

北海道では、札幌南が「札幌尋常中学校」として旧一中とされているが、実は函館中央も「函館尋常中学校」として同時に設立された。一覧表では、便宜上、函館中央を旧二中としている。札幌では東京大学などに行くなら札幌南が優位だが、北海道大学なら札幌北が強いというイメージだ。

写真左:北海道札幌南高等学校(写真=禁樹なずな/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)/写真右:函館中部高等学校(写真=Abeshi 1212/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
写真左:北海道札幌南高等学校(写真=禁樹なずな/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)/写真右:函館中部高等学校(写真=Abeshi 1212/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

青森は、②八戸③青森が旧一中の弘前と拮抗(きっこう)している。ただし、東京大学については、八戸が優位。

岩手は、②一関第一で、③は福岡と遠野が同時設立。現在は旧四中の黒沢尻北(北上市)が県下2位。

宮城は、②仙台第二③古川。現在では仙台第二が旧一中の仙台第一より進学校。

秋田は、②大館鳳鳴③横手。横手は作家の石坂洋次郎が赴任していたことがあり、小説『靑い山脈』のモデルとも言われる。

山形は、②鶴岡南で、③は米沢藩校の系譜を濃厚に引き継ぐ米沢興譲館。

福島は、②磐城③福島が旧一中の安積と拮抗。ただし、②より先に「会津中学校」(現在の会津高校)が皇室から下賜金などを受けて私学として設立され、のちに県立に移行した。旧一中の安積高校は郡山市にある。

■千葉にある「公立御三家」は…

茨城は、②土浦第一③下妻第一。土浦第一は旧一中の水戸第一と拮抗。つくば市の中高一貫校である並木中等教育学校も台頭。

栃木は、②栃木③真岡。旧一中である宇都宮は栃木市に創立され、県庁移転とともに宇都宮市に移転し、のち旧二中として栃木高校が設立された。

群馬は、②高崎と太田が同時設立。高崎は福田赳夫、中曽根康弘の母校で旧一中の前橋とライバル関係にある。

埼玉は、②熊谷③川越。もともと男女別学が原則だった埼玉で、公立2位の大宮は例外的な県立男女共学。浦和第一女子は全国レベルの公立女子校の名門。

千葉は、②佐倉、このほか木更津、佐原、成東、大多喜、銚子と同時期に複雑な経緯をたどって旧制中学が設立されている。現在の公立では、野田佳彦元首相がOBの船橋、柏市の東葛飾が旧一中の千葉とともに御三家と言われる。

東京は、②立川③両国。旧四中の戸山は、スパルタ教育で戦前は日比谷のライバルだった。学校群で凋落した日比谷、西、小石川、国立、戸山など伝統校が復活傾向にある。

神奈川は、②小田原③厚木。厚木は県内順位は低いものの、地域の進学校としては健在。旧五中にあたり横浜二中だった横浜翠嵐が公立トップで、旧六中の湘南がそれに次ぐ。

■長野は旧一中とその分校が両雄に

新潟は、②高田(上越市)③長岡。皇后陛下の祖父である小和田毅夫は旧制高田中学および新制高田高校の校長だった(旧制柏崎、巻、六日町中学、小千谷女学校の校長も務めていた)。

富山は、②高岡③魚津だが、現在のナンバーワンは富山中部。富山・高岡と御三家。

石川は、②錦丘③七尾。旧二中はいったん廃止になり、1963年に錦丘として再建した。中高一貫も開始。

福井は、②若狭(小浜市)③武生(越前市)だが、中高一貫の高志(こし)が公立2位に。ここは旧制中学の系譜ではない。

山梨は、②日川(山梨市)③韮崎。戦後できた甲府南が甲府市内では優位だが、抜きん出た高校がない。日川のある地域は1907年の大水害までは県内有数の豊かな町だった。

長野は複雑な経緯があり、どこが旧二中・三中かははっきりしない。長野中学が松本に移り、それが一中的存在になった。松本深志の前身だ。そこから長野、上田、飯田に分校が設けられ、やがて独立した。いずれにせよ、松本深志と長野はよきライバルとなっている。

岐阜は、②斐太③大垣北。斐太は高山市にあって「白線流し」で知られる。

白線流しの舞台になっている大八賀川(斐太高等学校前)
白線流しの舞台になっている大八賀川(斐太高等学校前)(写真=アレックス/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

静岡は、②浜松北③韮山で、公立では静岡と浜松北の激しいトップ争い。

愛知は、②岡崎③津島。愛知は公立高校のレベルが高いが、名古屋市内の学校群制度の影響もあって岡崎と旧一中の旭丘が横並び。

三重は、②四日市③上野。津市内は津と私立の高田が並立していることもあり、四日市が公立最強。

■神戸一中と神戸三中が横並び

滋賀は、②膳所③水口。進学実績では膳所が旧一中の彦根東に水をあけている。守山が中高一貫で急成長し、公立3位に。

京都は、②鳥羽③福知山。鳥羽は京都二中として夏の高校野球第一回大会優勝。ただし、中断があって、現在の鳥羽高校としての創立は1984年。総合選抜で公立が不振だったが、京都市立の堀川と西京が急成長。

大阪は、②三国丘③八尾。三国丘は泉州堺、八尾は河内の代表。天王寺は北野から分かれたもので旧五中にあたる。大阪では、名門公立が堅調だ。

兵庫は、②神戸③豊岡。旧神戸一中の神戸と旧神戸三中の長田は同レベルで、東大・京大合計でも同数。公立も悪くないが、灘・甲陽・神戸女学院など私立が強い。

奈良は、②畝傍③五條。公立1位の奈良は1924年創立で新しい。高市早苗の母校である畝傍は県南の名門で、堂々とした校舎も有名。

奈良県立畝傍高等学校
奈良県立畝傍高等学校(写真=Own work/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)

和歌山は、②田辺③新宮。旧一中の桐蔭は健在だが、私立・智弁和歌山の天下。

■広島では中高一貫の広島高校が台頭

鳥取は、②米子東③倉吉東。公立1位の鳥取西以外は東大・京大合格者が出ることは珍しい。

島根は、②浜田③大社。出雲市では女学校を前身とする出雲のほうが優位。松江南も健闘していたが、学区制の廃止などで松江北の優位に。

岡山は、②津山③高梁。総合選抜の時代は岡山市内の岡山大安寺や岡山操山も健闘していたが、旧一中の岡山朝日が優位に。

広島は、②福山誠之館③忠海。忠海は池田勇人の母校。総合選抜で公立は不振。最近、中高一貫の広島が台頭し、東京大学合格者では県内公立1位に。

山口は、②防府③豊浦。豊浦は城下町である下関市長府に所在。旧一中の山口が東京大学については断然トップだが、岸信介・佐藤栄作兄弟の時代からの伝統か。2023年、京都大学についてはユニクロの柳井正の母校である宇部が1位だった。

徳島は、②脇町(美馬市)③富岡西(阿南市)。旧一中の城南は不振で、徳島市内は城東が健闘。脇町のある地域は藍の集散地として栄え、「卯建(うだつ)」を持つ商家で有名。

香川は、②丸亀③観音寺第一と大川が同時。高松と丸亀が突出している。

愛媛は、②西条と宇和島東が同時設立。両校ともに甲子園優勝経験がある。西条には紀州藩支藩の陣屋があった。総合選抜制度の緩和で旧一中の松山東など伝統公立校が復活。

高知は、②高知小津③安芸だが、総合選抜制度の影響で公立高校は進学校としては十分に機能していない。ただし、2023年には旧一中の高知追手前から2名の東京大学合格者が出ている。

■沖縄では一中など伝統校は振るわず

福岡は、②育徳館③明善。みやこ町の育徳館は、小倉藩が長州戦争で敗北したのち、この町の豊津に移転していたことから県内で2番目に設立された。現在の豊前地域のトップは小倉。

佐賀は、②鹿島③唐津東。佐賀では鍋島分家が鹿島市など県内各地にあって、教育にも熱心だった。茨城県にあるのは鹿嶋市。

長崎は、②大村③佐世保北。分散型の県土だけに各地域の名門が健在。大村はかつてのキリシタン大名・大村氏の城下町にある。

熊本は、②天草(旧本渡町)と鹿本(山鹿市)、八代が同時設立。熊本高校は旧一中である済々黌が分割されて誕生した。山鹿は宿場町で県北の中心都市だった。

大分は、②臼杵と竹田、杵築が同時設立。いずれも城下町。中高一貫の大分豊府が台頭しつつある。

宮崎は、②延岡と都城泉ヶ丘が同時設立。分散型の県土なので各地の高校がそうそうたる卒業生をもつ。都城は薩摩藩領の中心都市。

鹿児島は、②川内(薩摩川内市)③加治木(姶良市)。県北西部および北西部の中心都市。公立2位の甲南は第七高等学校の付属から分離してできた鹿児島市内の旧二中。私立の雄、ラ・サール高校もあるが公立も健闘している。鹿児島市外では理数科もある国分がトップ。

沖縄は、②那覇③名護。旧一中の首里をはじめとした伝統校は振るわず、中高一貫校の開邦や球陽のほか、向陽や那覇国際が設置され、それなりの進学校になった。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

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