「がん治療を中止して下さい」親の苦渋判断で退院し3カ月後に旅立った3歳男児に担当医の心が"青空"だった訳【2023下半期BEST5】
プレジデントオンライン / 2024年1月27日 15時15分
※本稿は、『医学部進学大百科2024完全保存版』(プレジデントムック)の一部を再編集したものです。
■小児科医としての疑問、そして迷いが晴れた日
「すごいでしょ。この子たち、ゲームに夢中です。余命いくばくもない子がここでは徹夜でゲームをしているんです。家では許されないけれど、ここでは大目に見てくれる。付き合っている親御さんや我々スタッフのほうが先に参ってしまいそうや」
困ったような、呆(あき)れたような顔でそう言ってから原純一さんは、「でも、そういうことなんですよ。そういう体験をさせてあげたいんです」。そうつぶやいた。
「TSURUMIこどもホスピス(以下こどもホスピス)」。大阪市の東部・鶴見区の「花博記念公園鶴見緑地」の一角にある、一見、ウッディなペンションかと思えてしまう建物だ。
「ホスピス」というと命を看取るまでの緩和ケアを行う施設を連想するが、「こどもホスピス」に“入院している子供”はいない。難病と闘う子供たちが家族とやってきて「子供なら当たり前の体験」をするための施設だ。原さんはここの創設メンバーの一人で、副理事長を務めている。
「こどもホスピス」がどんなところなのか、詳しくは後述するとして、まずは原さんのこれまでの歩みをたどってみよう。
原さんは大阪大学医学部を卒業後、研修医を経て、小児科の医師として同大医学部附属病院に勤務した。
「小児科を選んだのは、『大人の病気と違って、子供だったらめったに死ぬこともないやろうから気が楽やろうな』という軽い気持ちでした」(原さん、以下同)
ところが現実は違った。特に、大学病院にやってくる患者には、白血病などの小児がんをはじめ、命に関わる病気と闘っている子供が多い。「気が楽」どころの話ではない。
「何とかして助けてほしい」「わずかでも可能性があるのなら、できることは何でもしてください」と懇願する親に向き合うことになったのだ。
それは当然のことだ。原さんもそう思う一方で、疑問も感じていた。抗がん剤治療は、大人でも音を上げるほど、体に大きな負担がかかる。副作用も多い。
当時は大人も含めて本人にがん告知を行うのはタブーとされていた時代。子供に対してはなおのことだ。きちんとした理由を知らされないままつらい治療を受けさせられ、医師や親に対してさえ不信感を募らせる子供もいた。本当にこれでよいのだろうかという迷いを、原さんは拭うことができなかった。
そんなとき原さんは、ある親子に出会った。
■旅立った3歳男児に担当医の心が“青空”だったワケ
筋肉のがんで入院していた3歳の男の子とその両親だ。つらい抗がん剤治療を行っていたが効果が見られず、むしろ転移が広がっていた。原さんは両親に、非常に厳しい状況であること、このままでは余命数カ月だということ、新しい治療を行うが効果があるかどうかはわからないことを告げた。わが子と共に病と闘い抜く覚悟を決めてもらおうと思ったからだ。
しかし、両親の決断は「治療の中止」だった。助からないのならば、これ以上つらい思いをさせるのではなく、可能な限り一緒にいたい。そう希望したのだ。
両親は男の子を退院させると、さまざまなところへ遊びに連れて行った。遊園地、温泉……。関西から東京ディズニーランドへ泊まりがけで出かけることさえあった。
原さんが最も驚いたのは、定期的に外来へ診察を受けに来るその男の子の顔が、みるみる明るくなっていくことだった。楽しかったこと、楽しみにしていることを一生懸命、原さんに話してくれた。
3カ月後、男の子は旅立った。容体が悪化した最後の1週間は入院となったが、ずっと寄り添っていた両親は、落ち着いて彼の旅立ちを受け止めていた。
「息子の人生は短かったけれど、とてもよい人生を送ることができたと思います。最後の3カ月、息子はいつも笑顔でした」。両親はそう語った。
原さんは振り返る。
「青空を見たような気持ちになりました。人は、幼くして逝った子供はかわいそうだと言います。確かにかわいそうです。でも、たとえ短くても、充実した日々を送ることができたのなら、それはそれでいい人生なのではないか……。私たち大人は、精一杯生きられるよう手伝うしかできない。そう教えてもらいました」
それまで原さんは、患者である子供の命を救えなかったとき「敗軍の将の心境だった」という。実際、患者の親から「医者なら治せ」「それでも医者か」などと恨み言を言われることもあった。原さんだけでなく、多くの小児科医がその苦しみを味わい続けていた。
命を救えなくても、諦めるのではない。よりよい生き方に寄り添えたら……。
■日本初となる子供のためのホスピスを!
子供の人権を大切にする欧米では、子供の緩和ケアも広がっていたが、日本では当時、大人の緩和ケアがやっと始まったばかり。原さんは「子供の緩和ケア」の必要性を訴えるさまざまな普及活動に、仲間と共に取り組むようになった。
2009年には子供の緩和ケアの先進国・英国の子供ホスピス「ヘレンハウス」の創始者シスター・フランシスを招いて大阪で講演会を開催。これを機に、翌年「こどものホスピスプロジェクト」を発起。
13年にはユニクロと日本財団から資金提供を受けることが決定し、ホスピス実現に向けての動きが加速。そして、16年、日本初の子供のためのトータルケアセンター「TSURUMIこどもホスピス」がオープンしたのだ。
代表理事には、IT企業の経営者でスタートアップや組織運営のノウハウをもち、自身も難病の子を抱える高場秀樹さんが就任し、原さんは副理事長に就いた。
運営の費用は企業や個人からの寄付で賄われている。予算は決して潤沢ではないが、利用者の費用負担はゼロ。難病の子供を抱えた家庭では、医療費の負担が大きく経済的に厳しい状況に陥っているケースもある。
「チマチマと利用料をとったところで、いくらにもならん。そんなことより、どんどん利用してもらうことが大切や」と原さんは笑う。
「こどもホスピス」のテーマは「生命を脅かす病気の子供とその家族の『やりたい』を『できた』に変える」こと。原さんは、「ここは第二のおうち」だともいう。病にかかっていても、子供は成長する。言葉を覚え、体も少しずつ大きくなる。そんな子供たちを、保育士や教師、看護師や理学療法士たちが温かく見守る。原さんは、「僕は医師ですが、ここでは子供たちの友達として寄り添っています」という。
ゲーミングルームのほか、おもちゃの部屋や絵本の部屋、カフェ風の部屋にちょっとしたキッチンのある部屋など、子供なら誰もが一度は「こんなところで遊んだり、友達とおしゃべりしたりしたいな」と思い描くような、さまざまな部屋がある。宿泊室はどんな高級ホテルも顔負けするようなおしゃれさ。高場さんの「人生の短い子供にこそ本物を」という理念が生きている。
中庭の芝生でピクニックをすることもできる。生まれて初めての水遊びをここでした、という子も。取材した日は、魚をさばいて握りずしを作っていた。感染症の予防のため、普段は自分のきょうだいや友達と遊べない子も、ここでは「普通の子」として笑っている。利用している子供たちの笑顔を見ていると、この子たちが手ごわい病と闘っている真っ最中だとはとても思えない。子供時代にしか得られない楽しみを満喫している喜びがあふれ出ている。
原さんは語る。
「医師は病気を『治す』ことが仕事。それは確かにそうやけど、『治す』ことを追求するあまり、患者さんを見失っていることもあるんやないかな。医師の仕事の目的は、患者さんがよりよい人生を送るための手伝いをすることなんやということを、忘れてはいけないと思います」
1973年 大阪府立大手前高等学校卒業
1980年 大阪大学医学部卒業。トロント小児病院、大阪大学医学部附属病院小児科などに勤務
2008年 大阪市立総合医療センター副院長、小児医療センター長、小児血液腫瘍科部長
2010年 こどものホスピスプロジェクト発起
2016年 TSURUMIこどもホスピス副理事長に就任
2020年 大阪市立総合医療センターがん医療支援センター長を務める
2022年 大阪市立総合医療センター顧問 日本小児科学会専門医、日本小児血液・がん学会暫定指導医、NPO法人シャイン・オン!キッズ副理事長などを兼務し、重い病気を抱える子供とその家族を支援している
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大阪市立総合医療センター顧問
日本小児科学会専門医、日本小児血液・がん学会暫定指導医、NPO法人シャイン・オン!キッズ副理事長などを兼務し、重い病気を抱える子供とその家族を支援している。
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(大阪市立総合医療センター顧問 原 純一 文=金子聡一)
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