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プロなら「勝たせていただいた」と謙遜する必要はない…福永祐一が最多勝利騎手になるためにワザとやったこと

プレジデントオンライン / 2024年3月31日 14時15分

第69回安田記念(GI)を制し、インディチャンプの馬上で笑顔を見せる福永祐一騎手(中央)=2019年6月2日、東京競馬場 - 写真=時事通信フォト

自分に自信が持てないとき、どうすればいいか。元JRA騎手で調教師の福永祐一さんは「度が過ぎた謙虚は弱気を招く。『自分ならやれる』と思い込めば人は変われる」という――。

※本稿は、福永祐一『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■“絶対王者”武豊を前にあきらめムードだった

2010年は、精神的にも自分を追い込んだ年だった。謙虚であることを美徳とする日本ならではの風潮に、あえて逆らうことにしたのだ。

2010年3月27日、毎日杯の最後の直線で(武)豊さんが落馬。鎖骨や腰椎などを骨折する大ケガを負った。そこからたった4カ月で復帰するという離れ業を見せたのだが、そこはたかが4カ月、されど4カ月。リーディングの順位に影響するには十分な時間だった。

ちなみに、1988年から前年の2009年まで、豊さんが長期でフランス遠征を敢行した2001年を除き、関西リーディングは豊さんの不動の指定席。2010年も落馬があるまでは当然のようにトップに君臨し、終わる気配のない全盛期に周囲があきらめムードだった時期だ。

同年の8月15日、自分はメリッサで北九州記念を勝利。確かその直後だったと記憶しているが、友人の市川海老蔵(現・團十郎)と伊藤英明に都内で会う機会があった。北九州記念の祝いの言葉もそこそこに、二人が自分に向けてきたのは「お前、なにやってるんだよ!」という叱咤(しった)。

■謙虚であろうとしすぎていつの間にか弱気になっていた

豊さんが長らく戦線離脱していたにもかかわらず、関西リーディングのトップに福永祐一の名前がないことに、友人としてもどかしさを感じていたようだった。ちなみに、その時点で関西リーディングのトップに立っていたのは岩田(康誠)くん。自分は確か、僅差の2位だったと思う。

その日は、「武豊がいないときに、お前が一番じゃなくてどうするんだよ!」と何度も何度も発破をかけられた。そこで気づいたのは、豊さん不在の中、自分が2位であることに何の疑いも持っていなかったこと。いつの間にか牙を抜かれていることに気づき、ハッとしたのだ。

自分は父親の名前と北橋(修二)先生、瀬戸口(勉)先生のバックアップにより、人よりもだいぶ前に設定されたスタート地点からジョッキー人生を歩み始めた。

そんな自分を俯瞰で見ていたから、「天狗になってはいけない」「父親と二人の先生の顔に泥を塗ってはいけない」という思いが強く、誰に対しても謙虚であることを自分に課してきたようなところがあった。でも考えてみれば、本来“謙虚な姿勢”とは周りが求めるもの。当時の自分も、周りのそんな空気に気圧されて、いつしか謙虚な気持ちが弱気に変わり、弱気が自信を失わせていたように思う。

その結果、「リーディングなんて……」と、気づけばハナからあきらめているような状態に。そうはっきりと口にしたことはなかったはずだが、海老蔵と英明は、そんな自分を見抜いていたのだろう。

■「自分なら一番になれると思い込め」

彼らはその日、こうも言った。

「自分ならやれる、一番になれると思い込め。自分がどうなりたいのかをちゃんと思い描いて、そうなれると思い込むことで人間は変われるんだ」

彼らはいつだって自信にあふれ、強気な姿勢を崩さずに突き進んでいくタイプで、自分とは正反対だと感じていた。しかし、そんな彼らも時には弱気を押し込め、そうやって自分を鼓舞しながら歩んできたのかもしれない。

あの日を境に自分は変わった。というか、あえてビッグマウスを演じることにしたのだ。北橋先生には散々、「祐一は性格が丸過ぎる」と言われたが、その指摘どおり、元来の自分は良くも悪くも棘のないタイプ。そんな自分を変えるには、心を決めて“演じる”必要があった。

取材でも「今年はリーディングを獲る」とはっきりと口に出し、自分自身にプレッシャーをかけることにした。取材に来た記者さんに「どうしたんですか? 福永さん、なんかいつもと雰囲気が違いますね」と言われたりしたが、おそらく発言だけではなく、表情も口調もそれまでとは違ったのだと思う。

そうした強気な発言を目にしたり、耳にしたりした関係者やファンの中には、「福永ごときがデカい口を叩いて」と思った人もたくさんいただろう。あの時期をきっかけに、“アンチ福永”になった競馬ファンも少なくないと思う。

でも、それも織り込み済みの方向転換であり、多少の向かい風を感じたところで、あのときの自分に迷いはなかった。

■「勝たせていただいた」とへりくだりすぎる必要はない

そんな時期を過ごしたからか、度が過ぎた謙虚な言葉や姿勢に、むずがゆさを感じることがある。

たとえば、調教師やジョッキーがよく口にする、「勝たせていただいた」という表現。その馬の斤量だけを特別に軽くしてもらったり、その馬だけ10メートル前からスタートさせてもらったりしたのであれば「勝たせていただいた」となるが、現実的にはあり得ないわけで、どんなレースも決して誰かに勝たせてもらったわけではない。

自分たちの力でつかみ取った勝利なのだから、そこで変にへりくだる必要はないだろう、といつも思っている。

もちろん、育ててもらう必要がある若い時期は、謙虚な姿勢が何よりも大事だし、常に感謝の気持ちを忘れてはいけないことは言うまでもない。何しろデビューして数年間はどんなジョッキーも技術が足りなくて当然なのだから、それこそ「乗せていただかなければ」技術は磨けない。

そういう意味では、「応援してあげたい」と思ってもらえる謙虚な人間であることは大事なことだと思う。ただ、所属厩舎から離れて独り立ちすれば状況は変わる。フリーになってから依頼されたレースに関しては、必要以上にへりくだる必要はないし、感謝もそこそこでいいと自分は思う。

依頼された仕事に自分がきちんと応えることができれば、次も継続騎乗になるし、応えられなければ替えられて終わりだ。

競馬
写真=iStock.com/Deejpilot
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Deejpilot

■ライバル不在のリーディングで勝っても達成感が乏しい

2010年は、春から小野(雄次)さんのコーチングを受け、夏を機に気持ちも大きく変わり、秋も半ばを迎えるころには、心身共にだいぶいい流れになっていた。そして、順調に勝ち星を重ねた結果、その年に初めて関西リーディングを獲ることができた(全国リーディングは横山典弘騎手)。

心技共に転換を計ったことで、まさかこんなに早く結果が出るとは思わなかったが、小野さんのメソッドが自分に合っていること、方向性として間違っていないことを確信でき、このまま続けてさらなる高みを目指そうと心に決めた。

一方で、2010年は豊さんの長期にわたる戦線離脱に加え、岩田くんも9月から11月にかけて休養しており、実力でもぎ取ったという実感は乏しかった。

■好調のつもりが、いつのまにかできていた円形脱毛

やはり、全員揃った状態でトップに立ちたい──。

そんな思いで迎えた2011年。前半は騎乗停止もあり、ややスロースタートとなったが、秋競馬に入った頃にはトップの岩田くんに追いついた。その後は、年末まで抜きつ抜かれつの大接戦。気を抜けない日々が続いたが、いつの間にか岩田くんへの嫉妬心は消え去り、ジョッキーとして充実感を味わっていた……はずだった。

福永祐一『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA)
福永祐一『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』(KADOKAWA)

そんな激戦のさなかのある日、行きつけの美容院へ散髪に行ったら、いつも担当してくれている美容師さんの手が止まり、「あれ? 祐一さん、ここポッカリ空いてますよ」と言われた。「は?」と思って指摘された部分を触ってみたら……髪の毛がなかった。円形脱毛症である。

「今、一番勝っているし、充実していてストレスもない。え~、なんで?」と言いながら、ちょっとしたパニックに。500円玉くらいの立派なモノができていたが、ちょうど髪の毛で隠れる場所だったから、自分では気づけなかったのだ。

最後までもつれたリーディング争いは、岩田くんが131勝で2位、自分が133勝で、2年連続の関西リーディングに加え、初めて全国リーディングを獲得。

もちろん達成感はあった。だが、それ以上に身体からのメッセージを無視するわけにはいかなかった。

■闘争心を自ら煽り立てて戦ってきた反動

リーディングを獲るには数多くの厩舎の馬に乗ることが必須で、場合によっては、乗りたくないなと思う馬にも乗らなければならない。そういったことから目を背けるために、自分で自分の闘争心を掻き立て、攻撃性を高め、ビッグマウスを演じながら自己暗示をかけた。それにより一時は獲れるはずがないと思っていた全国リーディングが獲れたのだから、結果的には大成功だ。

だが、やはり自分本来の性格的に、そういったやり方は合わなかったのだろう。思い返せば、酒癖の悪さや運転の荒さを指摘されるなど、その弊害がいろいろと出ていたのもこの頃だ。

自分を俯瞰して捉える冷静さを持っていたつもりだったが、攻撃的な自分を演じるうちに、いつの間にか本来の自分を見失っていたのではないかと思う。円形脱毛症というわかりやすいSOSが出るまで、そのことに気づけなかった。

かねてからの目標を達成できたことで、人格を変えてまでトップを獲りにいくのはここで終わり。これからはきちんと厩舎とコミュニケーションを取りながら、ありのままの自分で気持ちよく仕事をしていくことを決めた。

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福永 祐一(ふくなが・ゆういち)
調教師
1976年生まれ。父は現役時代に「天才」と呼ばれた元騎手の福永洋一。96年にデビューし、最多勝利新人騎手賞を受賞。2005年にシーザリオでオークスとアメリカンオークスを制覇。11年、全国リーディングに輝き、JRA史上初の親子での達成となった。18年、日本ダービーをワグネリアンで優勝し、父が成し遂げられなかった福永家悲願のダービー制覇を実現。20年、コントレイルで無敗のクラシック三冠を達成。23年に全盛期での引退、調教師への転身を決断。自身の厩舎を開業してセカンドキャリアをスタートさせる。

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(調教師 福永 祐一)

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