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スマホを使うほど「つまらない人間」になる…デキる人が自分の希少性を高めるために選ぶ"失礼覚悟の話題"

プレジデントオンライン / 2024年4月3日 8時15分

新宿・歌舞伎町の商業ビルの屋上に設置されたゴジラ像。第96回アカデミー賞で山崎貴監督の『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』が視覚効果賞を獲得した(2024年3月11日、東京都新宿区) - 写真=時事通信フォト

AI時代にビジネスパーソンにとって武器になるスキルは何か。教育改革実践家の藤原和博さんは、「AIを使いこなすことは重要だ。しかしAIにつながったスマホを使えば使うほど、人間は同じ道を通り、同じ店を選び、均一化していく。その怖さに気づくべきだ」という――。

■ゴジラを倒した人間力

私たちはもう、AI以前の世界には戻れない。

ならば、AIを押しの強い友として見極め、ベストな距離感を身につけるのが得策であり秘策だ。意外にも、「ゴジラ」がそのすべを教えてくれる。

2024年アカデミー賞視覚効果賞となった山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』(英題:Godzilla Minus One)。図らずも受賞は3月11日、13年前に東日本大震災が起こった日。

『ゴジラ-1.0』は全編CGだった。もはや人間が着ぐるみを着て模型で作った都市を破壊する特撮の時代は終わったのだ。万が一にもジッパーが見えちゃったら興ざめになるからだろう。監督も、「もし現在の高精細撮影に耐えられる着ぐるみを作ったら、とんでもなく高いものになっただろう」と語っていた。

筋はネタバレになってしまうのでここでは明かさないが、印象的だったのは、最後にゴジラを倒すのが、波動砲でも戦略核でもなく、主人公が乗り込んだプロペラの戦闘機だったことだ。

しかも、のちに撮影秘話が明かされると、全編CGというわりには、戦闘機や船の甲板を部分的に現物で作り、それをスタッフがえっちらおっちら揺らして傾けたりしながら撮影しているではないか。完成した合成シーンには、まことにアナログな努力が満遍なく施されているのだ。まさに人間力であり、ここが象徴的なところだ。

■AIは何の怪物か?

『ゴジラ-1.0』は何を象徴しているのか? この映画は、ウクライナ、パレスチナなどますますきな臭くなっている世界各地での核の脅威を訴えているのだろうか。あるいは、いざとなったら、政府もアメリカ軍も頼りにはならないという現実だろうか。それもあるかもしれない。

でも、私が感じたのは、ゴジラはそのままAI社会のダークサイドを表現してもいるのではないか、という印象だ。

AIがゴジラだとすれば、私たちはどうやって身を守ればいいのか。『ゴジラ-1.0』で東京は一部破壊されたが、無残な壊滅から救ったのは「アナログ技術」と、意外なことに「民間人の狂気」だった。

断っておくが、私はAIは恐ろしい存在だから使わないほうが良い、と言うつもりは毛頭ない。現実には、私が推進している学校のスーパースマートスクール化では、生徒のスマホを教室に持ち込んでWi-Fiにつなぎ、100%授業に利用する方法をとる。また、私が校長をしているオンライン寺子屋「朝礼だけの学校」ではChatGPTベースの「校長くんAI」を道化役に配していて、生徒の日常の相談に応じながら、人生のさまざまな悩みに応えられるAIをみんなで育てようともしている。

しかし、AIとつながったスマホ社会には落とし穴があることも事実だ。

私が恐れるのは巷間言われるようにAIが意志を保つことではない。それより、AIとつながったスマホを使えば使うほど、信じれば信じるほど、人間同士が似通ってきてしまうこと。均一化すること。既視感ありまくりの人間で社会が営まれること。その恐ろしさだ。

■中心化は滅びの予兆?

種族が似通ってきてしまうと滅びるのも早い。それをコロナ禍が教えてくれたはずだった。ダイバーシティ(多様性)こそが存続の条件であるのだ、と。

いいかえれば、「中心化」と呼ばれる脅威への警告を、私たちはすでに経験したはずだ。

実際、地球人口の半数以上がスマホを使うようになると、新製品や新サービスの情報はアッという間に伝わるから、他社にまねされるのも早く、新機能はみな似たようなものになってしまう。ちょうどスマホという商品自体が、長方形の姿で片面に液晶ディスプレーがあり、ちょっと見にはどこのメーカーの製品かわからないように、だ。クルマもヘッドライトにLEDを採用して以降、正面から見た顔がみな“つり目”で怒ったようなスタイリングに中心化してきた。

あなたがGoogleマップを見ながら運転すれば、推薦される道をみんなが選ぶだろうし、レストランを選ぶのに評価が高い店を選べば、みんなが集中して列をなすことになる。

スマホを頼りにし、AIの指示にしたがって行動する限り、人間がみな同じように生きるような流れになる。バラバラに行動しているつもりが、中央に寄ってきて「中心化」するというわけだ。世の中では「個性が大事」「多様性の尊重」「ダイバーシティを推進せよ」と掛け声だけはさんざん多様化を強調しているにもかかわらず。

オフィスで話をするグループ
写真=iStock.com/imtmphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/imtmphoto

■人間にしかないアナログな武器

このAIスマホ連合による中心化にあらがい、自分の人生を自分らしく個性的に生きるためには、個人にも武装が必要である。武装といっても、限りなく平和な武装だ。さっそく、そのための武器なるものについて見ていこう。

まずは、アナログのススメ。『ゴジラ-1.0』からの教訓として、アナログで戦うことが挙げられるだろう。

プロペラの戦闘機や、特撮の過程でスタッフがリアルに実物を左右に揺らすことがヒントになる。AI武装したロボットも続々と市場投入されていくだろうが、AIロボット時代が侵攻すればするほど、人間にしかできないアナログな動きの価値が高まる。

ビジネスシーンでも、高速で正解を出すような情報処理的な仕事は遅かれ早かれAIロボットに置き換わるだろう。工場の流れ作業やホワイトカラーのきれいな事務仕事だけでなく、医療分野での医者の診断業務や手術の大半も、弁護士の法律事務や行政の大半の文書業務も。

いっぽうで、ヒューマンケアに関わる介護、看護、保育、あるいは日本がリーディングインダストリーに育てなければならない観光業での接客の仕事などでは、「ほほ笑みがすてき」とか、「優しさがハンパない」とか、「その人がいるだけで癒やされる」というような、アナログな武器がクローズアップされるようになる。

■相手の名前を話題に盛り込めるか

要は、「もう一度、会いたい」と思わせる人になるだけでも、AI時代には価値があるのだ。

そうしたアプローチがロボットに不可能なのは言うまでもない。

たとえば、ビジネスランチ。誰かがスマホを取り出した途端に検索競争が始まり、話題は個人的なものからそれていく。そんな時、その流れに乗らずに目の前の人に意識して集中するだけでも、相手はあなたの意図をよりはっきりと感じてくれるだろう。

「どこの出身でしたっけ?」
「何がきっかけでこの仕事に入ったんですか?」
「部活やってました?」
「パートナーとはどこで?」
「お子さん、そろそろ塾通いですか?」

失礼を承知で突っ込もう。リスクを冒して叱られたところで挽回は可能だ。

さらに言えば、仕事ができる人は、大事な話題の中に、相手の名前を欠かさず盛り込むことができる人だ。そんなアナログな大胆さと細やかさが、あなたという存在の希少性を高めてくれる。

握手をするビジネスマン
写真=iStock.com/Tippapatt
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tippapatt

■「なんでおとなしくしてんの?」

ゴジラがアカデミー賞を獲得した3月、京都市京セラ美術館に「村上隆 もののけ 京都」(2024年9月1日まで)を見に行った。ここにもヒントが隠されていた。

遭遇することになるのは、ルイ・ヴィトンをもうならせた村上隆の圧倒的な「突破力」と「狂気」だ。生意気を言うが、日本人は全員、そのむちゃくちゃなパワーに触れて一皮むけたほうがいいと思う。

まさに歌舞伎だった。

村上隆は沈滞した現代社会をけしかけ、かぶいて見せているのだ。

個展のタイトルが「もののけ 京都」で、京都に昔から住んでいるかもしれない「もののけ」を描いているように見せてはいるが、実は村上隆は、訪れたすべての人に「あなたも、もののけの一人でしょ」「あなたにも狂気が宿っているでしょ」「なんでおとなしくしてんの?」と問いかけているのだ。

まず、入り口前にたたずむ仁王像に圧倒される。そして、日本庭園にそびえる、あの花の精のような金ピカの巨人にも。醜悪さと美しさは共存できる。

村上隆の阿吽像より「吽像」(制作2014年)
筆者撮影
村上隆の阿吽像より「吽像」(制作2014年) - 筆者撮影
ルイ・ヴィトンのトランクとコラボレーションした村上隆の「お花の親子」
筆者撮影
ルイ・ヴィトンのトランクとコラボレーションした村上隆の「お花の親子」 - 筆者撮影

もう、説明するまでもないだろう。

「正解至上主義」に覆われた日本のムードのゲームチェンジャーは、手であり足腰であり、ぶっ飛んだ想像力だ。ここに挙げた2つの武器、「アナログ」と「狂気」は、いずれも時代の流れに逆行する。AIロボットが進める高度な情報処理社会の対極にある「逆張り」なのである。

年齢も世代も性差も関係ない。あなたも反逆の戦いを今日から準備し、自分という武器を磨こう。AIロボットの効用を目いっぱい利用しながら、そのダークサイドの支配に人間力であらがおう。完璧なデジタルゴジラの牙を抜くには、「逆張り」思考が決め手になる。

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藤原 和博(ふじはら・かずひろ)
「朝礼だけの学校」校長/教育改革実践家
1955年、東京都生まれ。教育改革実践家。78年東京大学経済学部卒業後、リクルート入社。96年同社フェローとなる。2003~08年杉並区和田中学校校長、16~18年奈良市立一条高等学校校長を務める。21年オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」開校。主著に『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』『10年後、君に仕事はあるのか?』『学校がウソくさい』など。

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(「朝礼だけの学校」校長/教育改革実践家 藤原 和博)

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