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「言葉が出にくいのは単なる老化」医師が診断した直後、86歳老母の「トイレ卒倒」で勃発した50代姉妹の軋轢

プレジデントオンライン / 2024年12月14日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexLinch

現在50代女性は幼い頃に父親が病死し、3歳年上の姉とともに母親に育てられた。姉妹は大卒後、それぞれ広告代理店と銀行に勤め、家庭を持って育児をした。30年後、80代後半となった母親の体に異変が起こると、姉妹の間に関係修復が不可能な深い亀裂が入る――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■姉妹を女手ひとつで育てた母親

東海地方在住の筑紫拓子さん(仮名・50代)には、父親の記憶はない。

母親は地方公務員をしていた23歳の時に、赴任してきた5歳年上の父親と出会い、恋愛結婚。その後、26歳の時に筑紫さんの姉を、29歳の時に筑紫さんを出産した。

ところが当時34歳の父親は仕事を休めず、風邪をこじらせて肺炎を起こし、筑紫さんが生まれた2カ月後に亡くなってしまった。

「のちに母は、『過労死だ』と言っていました。父は優しく穏やかな性格だったと聞いています。母は、公務員として働きながら、父の死亡保険金で自宅敷地内にアパートを建てて家賃の副収入を得ながら、私たちを何不自由なく育ててくれました。私はそんな母を心から尊敬しています」

子どもの頃、母親は職場の人たちと一緒に旅行に連れて行ってくれたそうだ。車で2時間ほどにある母方の実家に帰省するのも子どもの頃の楽しみの一つだった。

やがて筑紫さんも姉も大学を出ると、姉は広告代理店、筑紫さんは金融系の会社に就職。2人とも実家から通勤した。

筑紫さんは26歳の時、職場の同僚の結婚式で、1歳年上の男性と出会って交際に発展。男性は父親が経営する建築系の会社に勤めていた。約1年後に結婚すると、筑紫さんは実家を出て、高速道路を使って1時間ほどの距離の隣の県で新婚生活を始め、子どもにも恵まれた。

その3年後、姉も結婚したが、義兄の両親はすでに他界していたため、いわゆる“マスオさん”として筑紫さんの実家で母親と同居する

ことに。1年半後、第1子が生まれたのを機に姉夫婦は実家を増築した。家賃はなかったので、費用も捻出しやすかったのだろう。姉は育児でも母親にかなり助けてもらっていたようだ。

■母親の異変

筑紫さんは結婚後、家事育児が忙しかった頃は週に一度くらい母親に電話していたが、子どもたちが大きくなってからは、高齢になった母親が心配なこともあり、毎日のように電話していた。

それから30年近く経った2023年春のある日、86歳になった母親と電話で会話していると、「ドライヤー」という言葉が出てこず、「髪をブーンするやつ」と表現し、筑紫さんは違和感を持つ。

ヘアドライヤー
写真=iStock.com/millionsjoker
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/millionsjoker

母親と同居する姉(50代)にそのことを話すと、「いつものことよ」とそっけなく言われた。その後も電話のたびに母親の言葉が聞き取りにくくなることがあり、気になっていた。

2023年夏。関東の大学に通う姉の22歳の長男が帰省するため、代理店から医療事務のパートへと職替えしていた姉の代わりに母親が1人で布団などの準備をしていた。押し入れから布団を出す・干す・取り込むといった作業がしんどかったのか、翌朝、右のお尻あたりが痛くなり、突然ベッドから起き上がれなくなった。

姉夫婦が母親を連れて整形外科・脳神経外科を受診すると、母親はレントゲン・エコー・脳MRIを撮ったがどこでも異常はないと言われ、鎮痛剤などを処方されただけで帰される。幸い、母親は日が経つごとに痛みがなくなり、歩けるようになった。

2023年11月初旬。すぐに言葉が出てこないことや、日課であった日記を書く際に思ったように書けなくなったことに母親は不安を感じ、姉や筑紫さんに相談なく、一人でかかりつけ医を受診。そこで脳神経内科の受診を勧められ、その足で受診したようだ。

脳神経内科でMRIを撮ったあと、脳神経外科を受診するようにと紹介状をもらっている。

「その時、どういう病気の疑いがあるのか、当然医師から説明を受けたと思いますが、気が動転していたのか、母には理解できなかったようです。この日の夕方に母から私に電話があり、一人で病院に行っていたことを知らされました」

11月15日。姉夫婦が関東へ2泊3日の旅行に行くため、その間に筑紫さんと夫が付き添い、脳神経外科を受診し、再びMRIを撮る。

「首の後ろの静脈の先がはっきり映っていないが、86歳という年齢を考えるとカテーテル手術をするほどでもないでしょう。その他に異常はなく、認知症の疑いも、言葉が出なくなる要因もありません。3カ月後にまたMRIを撮りましょう」

と医師に言われた。

「では言葉が出にくいのは単なる老化でしょうか?」と筑紫さんが訊ねると、医師は「そうですね」と答えた。

筑紫さんは、2月14日に予約を入れて診察室を後にした。すると母親は、「今度(2月14日)もお前たちが連れて来てくれないか?」と手を合わせて筑紫さん夫婦に頼む。筑紫さんは、「もちろん付き添うつもりだよ」と微笑んだ。

「思えば、この頃から急に弱ってきたように思います。モノの名前が出てこなかったり、数字を正しく読めなかったりしたので、私も母自身も、絶対に何かおかしいと思っていました。旅行から帰った姉に、『物忘れ外来を受診したほうがいい』と伝えましたが、姉はあからさまに嫌そうな顔をして、連れて行ってくれませんでした……」

■母親の救急搬送

2023年12月下旬。87歳になった母親が早朝、自宅トイレで倒れているのを、起きてきた姉が発見。近くの脳神経外科に救急搬送され、CTの結果、左脳出血だとわかる。

朝7時に姉から連絡を受け、すぐに2時間半かかる病院へ向かう。筑紫さんは母親の無事を天国にいる父親に祈った。病室に着くなり、「お母さん! 来たよ! 分かる?」と言いながら母親の手をとると、母親は握り返しながら、言葉にならない声を発した。

ジェスチャーで「右手が動かないこと」を伝えてくる。母親は右半身が動かなくなったうえ、言葉が話せなくなってしまっていた。

その2日後に手術を受け、術後5日目には食事はほぼ1人でできるまでに回復。「ちがう」「ありがとう」「ごめんね」という簡単な言葉なら出るようになり、右肘や右膝を少し動かせるようになった。

翌年2月にはリハビリ病院へ転院し、リハビリをスタート。筑紫さんが面会に行くと「嬉しい」と言い、母親はリハビリを頑張っていた。

しかし2月半ばのカンファレンスに、姉と義兄が出席したところ、主治医に「歩けるようになる見込みは薄い」と告げられる。

母親は病院で、看護師2人体制でのトイレ介助を受けているという。

トイレの個室内
写真=iStock.com/fadfebrian
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fadfebrian

姉は、

「平日は私も夫も仕事があるので、月曜から金曜はデイサービスを利用して、土日は自宅で介護する。施設入所ではなく通所なら、お母さんも納得するよ」

と筑紫さんに言った。

■姉との確執

筑紫さんは、母親にとってどうすることが最善なのかを考え始めた。

「実は、母が倒れる8日前に姉は『お母さんと一日中一緒にはいられない』と私に言いました。そんな姉が土日に母を介護できるわけがありません。また、3月にパートを辞める予定だった姉は、母が倒れてから『これからお母さんにお金がかかるから仕事を続ける』と言い出しました。母は所有するアパートの家賃収入もあるので介護費用は十分まかなえます。私も叔母(母親の妹)も、母を看たくないための口実だろうと思いました」

悩んでいる筑紫さんを見て、夫は「うちで看てあげたら?」と言ってくれた。

「3年ほど前に、母自身が、『お母さんはお前と暮らしたほうがよさそうだ。将来的にね』と話していたことがありました。母の妹である叔母にも、『お前のところがいいだろう。姉さんのところじゃ治るものも治らない。でもお前が大変になる……』と言われました」

筑紫さんは在宅介護について調べた結果、「自分にもできそうだ」と思った。

「残念ですが、母にとってのこれからは“余生”なんだ。母が一番望む生活を送らせてあげたい……と思い、私は約2週間悩んだ末に、母を引き取ることを決意しました」

3月初め、筑紫さんは姉に電話をし、

「姉ちゃんにはお母さんを愛情持って看ることは無理でしょう? 私がお母さんを看るよ」

と伝えた。

すると姉は「私を責めるの?」と怒り出し、これまで母親と暮らしてきて、自分がどんなに大変だったかをあげ連ね始める。

「私が聞く限り、どれも決して母のわがままでも何でもなく、ただ姉が自分の思うようにならない事への八つ当たりにしか思えず、そこに母を尊重する気持ちは全く感じられませんでした」

最終的には

「じゃあ、お母さんに聞いてみれば! お母さんを看てみればわかるわ!」

と姉は吐き捨てるように言い、電話を切った。

背中合わせで立つ二人の女性
写真=iStock.com/Chris_Tefme
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chris_Tefme

「姉の子どもたちが小さいうちは、子どもの世話や家事で母にかなり頼っていたので、母に対する愚痴はなかったのですが、子どもたちに手がかからなくなってから、姉と母は折り合いが悪くなっていきました。母は神経質でせっかちなところがあるので、姉にとっては自分のペースで生活することができず、不満が募っていったのだと思います」

姉は母親を邪魔者扱いするようになり、筑紫さんに話すことといえば、母親の悪口ばかり。うんざりした筑紫さんは、姉と距離を置いていた。

「母が倒れてから、“雨降って地固まる”というように、姉の母に対する態度や考え方は変わるかもしれないと少し期待していましたが、全く変わることはなかったので、姉が愛情を持って母の介護をすることは難しいと判断したのでした……」(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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