3億円を株投資で失い、40歳で時給850円のバイト…人生に絶望した男性が「19時間待ちのラーメン店」を築くまで
プレジデントオンライン / 2025年1月11日 10時15分
■「人生の成功とは、お金持ちになること」と信じていた
兵庫県尼崎市に、最大19時間待ちのラーメン店がある。JR尼崎駅から徒歩10分ほどの場所にある「ぶたのほし」が、そのお店。ここのラーメンを求めて15時に並び始め、翌日11時の開店を待つ人がいるのだ。
ぶたのほしの店主、髙田景敏(あきとし)さんは、異色のキャリアを持つ。かつて億を超える資産を築いたが、のちに死すら意識するほどのどん底を味わった。その時、京都の有名店「無鉄砲」のラーメンに救われ、40歳にしてアルバイトを始める。9年間の修業を経て、50歳の時に開いたのがぶたのほしだ。
なぜ、ラーメンのために19時間待ってもいいと思えるほど、ぶたのほしは支持されるのか? ヒントは、店主の歩みにある。
大阪市で生まれ育った髙田さんは、物心ついた時から「人生の成功とは、お金持ちになること」と考えていた。この思考は、父親の極端な教育方針で育まれた。不動産業を営んでいた父親は、ベンツやロールス・ロイスを所有していた。家族で出かける時、髙田さんだけがその車に乗ることを許されず、ひとり自転車で目的地に向かった。
「非常に厳しい父親で、よく殴られたし、怖い人でした。直接言われたわけではないけど、いい車に乗りたかったら自分で稼げるようになれということだったみたい」
■「早く儲けたい」の一心で起業
高校生にもなると、「絶対に親父を超えてやる」という反骨心が芽生えた。当時、「最もお金持ちへの近道で、なおかつ親父と違う道を歩める」と考えていたのが株のディーラーで、一獲千金を目指して著名な相場師の豪快なエピソードを集めた『実録・北浜の相場師』などを読み漁った。高校卒業後、一浪して甲南大学の法学部へ。お金持ちへの最短距離を歩むために商法を選択し、就職活動では某大手証券会社から内定を得る。
しかし、大学4年生の時に、有名な経営者が主宰するビジネスサークルに入って気が変わった。1年間、友人とともにうまくいけば合法的に、スピーディーに、大金が手に入るビジネスモデルを学ぶ。そこで手ごたえを得て、大学卒業後、その友人と化粧品販売会社を立ち上げた。「早く儲けたい」一心だった。
サークルで教わった通りにビジネスを始めると、あっという間に大金が転がり込んだ。起業して3カ月で月収が150万円に達し、毎日のように大阪のミナミで飲み歩いた。しかし、爆速で稼いでいた若者グループが失速するのも早かった。組織が大きくなると、末端まで目が届かなくなる。一度、狂った歯車を軌道修正することができず、2年も経たずに会社を畳むことになった。
■いかにロイヤルカスタマーを作るか
髙田さんは次に携帯電話の販売代理店を始め、数カ月で驚くほどの契約を得る。通信会社から表彰されて、ハワイにも行った。ところが、髙田さんにとって「めっちゃ簡単」なビジネスは、通信会社側の事情で1年もせずに終息する。
やることがなくなってブラブラしている時、髙田さんから大量に携帯電話を買い取っていた大手企業の幹部が「京都で独立するんやけど、一緒に来てやれへんか」と声をかけてきた。ふたつ返事で京都行きを決めた髙田さんが入社したのは、高級な和服、洋服、毛皮などを販売するアパレル企業。そこには驚異的な売り上げを誇る女性の本部長がいた。顧客に「崇拝されているように見えた」という本部長から、髙田さんは「お客さんを、いかにロイヤルカスタマーにするか」を教わった。
「例えば、本部長は相手の心を開くのが超得意なんですよ。初めて会った人がみんな、本部長を好きになる。なんでかなと思ったら、本部長が最初にお客さんのことを好きになってるんですよね。どんなお客さんにも、関心を持って話しかける。『あなた初めての人? その猫ちゃんのブローチどうしたの、ステキね』って。それで本部長のファンになった人たちに対して、AIDMAの法則(商品を認知してから購入に至るまでの過程)に従って科学的にアプローチすると、自ら喜んで本部長の勧める高額商品を買うようになるんです」
■29歳で手取り1500万円の営業部長に
髙田さんが「こういうことか」と肌で感じたのは、大学生の頃から何度も読んだ松下幸之助の本に書かれていたことだ。
「松下幸之助は、人とモノとお金のダムを作るのが経営と書いています。先のことを考えずに人、モノ、お金を使うのではなくて、ダムを作って、貯めたなかから必要な分だけ活用する。使った分が常に溜まるような仕組みと工夫と努力をしなさいという内容です」
髙田さんには、本部長を支える分厚い顧客層が、ダムになみなみと貯まる水に見えた。
厳しい本部長のもとで鍛えられた髙田さんは、凄腕の営業マンとして成り上がっていく。29歳で営業部長に抜擢され、給料は手取り1500万円、さらに会社から支給された経費用のカードを自由に使うことが許された。183センチの長身にアルマーニのスーツを着込み、京都の繁華街を闊歩(かっぽ)していた男はしかし、まだ満足していなかった。もっと儲けたい――。
欲望に燃える髙田さんが目を付けたのは、孫正義だった。孫正義とソフトバンクに関する書籍をすべて読み、スケールの大きさに感嘆した髙田さんは、決意する。
「この人に全財産を賭ける」
■絶望のリーマンショック
2000年4月、日本のITバブルが崩壊し、一時期、4万円がついていたソフトバンクの株価も大きく下落した。その頃に株を買い、反転したタイミングで売った。預金通帳には、1億円を超える残高が記された。この時、髙田さんは原点に返る。
「これを元手に、トレーダーになろう」
2003年、35歳の時にアパレル企業を辞めた髙田さんは、デイトレーダーとして株の売買を始める。この時も、松下幸之助の「ダムの経営」を取り入れた。ブログを開設して、リアルタイムでなんの株をいくら売り買いしたのかを記し、1日の終わりの収支や反省点も明らかにする。狙い通り、右肩上がりでPVが増えていったタイミングで、有料会員限定のコンテンツに切り替えた。すると、200人ほどが会員になった。
デイトレーダーとしての収支は黒字で、有料会員からの会費も入ってくる。髙田さんの資産は、最大3億円に達した。順調に見えた「お金持ち」への道はしかし、一気に崩壊する。2008年9月のリーマンショックで資産の9割を喪失したのだ。
茫然自失の髙田さんは、手元に残った1割の資産で、日々を漫然と過ごした。当時の妻からは「アパレルに戻ったら?」と言われたが、その気力も残っていなかった。ただ毎日、韓国ドラマを観続けていた。
1年が経ち、貯金が尽きかけた頃、「もう、ええか」と感じ始めた。うまいメシも食った。高い車にも乗った。あれもした、これもした。これまで、たくさんいい思いをした。頭のなかには、「死」の文字が点滅していた。
■人生最後のラーメン
ある日、ついに「もう死のう」と立ち上がった。その時、唐突に思い浮かんだ。
「もう1回、最後に食べに行こう」
最後の晩餐に選んだのは、京都に本店を構える「無鉄砲」のとんこつラーメン。大学生の頃からラーメンの食べ歩きを始めた髙田さんが最も愛したラーメンだった。ひとりで昼時を過ごすデイトレーダーになってからは、年間100杯は食べていた。
「俺の一杯を探す旅」というブログも書いていた。無鉄砲では「麺固め」「こってり」「ねぎ多め」などのオーダーができる。毎回オーダーを変えて、最高の組み合わせを探るという内容だ。あらゆる組み合わせを試して出した結論は、「普通のラーメンが一番」。
人生最後の一杯として足を運んだ無鉄砲大阪店で注文したのも、シンプルなとんこつラーメンだった。
豚骨と水だけで作る、濃厚かつ滋味豊かなスープをすする。ジュレのようなスープによく絡む麺、トロトロに煮込まれた自家製チャーシュー。40年の人生で一番多く食べたラーメンは、その日も変わらない味だった。
■「無鉄砲」の大将のもとへ
丼を傾け、スープを飲み干す。その時、髙田さん自身も予想しなかった思いが、グツグツと沸き上がってきた。
「どうせ死ぬんやったら、これを1回、自分で作ってから死んだらええ!」
その日、無鉄砲の大将、赤迫重之さんが不在だったため、自宅に戻った髙田さんは、便せん3枚にわたって手紙をしたためた。
「自分がどれぐらい無鉄砲のラーメンを食べてきたか、なぜこれだけ無鉄砲が好きなのか、過去にどんなとんこつラーメン食べたのか、僕が入ったらどんな仕事をしたいのか、思いのたけを書きました」
3日後、大将から「今すぐうちに来なさい」と電話がかかってきた。京都の郊外にある邸宅で、大将、女将さんと向き合った。そこで、髙田さんは無鉄砲への思いを訴えた。この時、40歳。髙田さんと同じ年の大将はなにを思っただろう。30分ほどの面接を終えた時、「明日から来なさい」と言われて、髙田さんは、ホッと胸をなでおろした。
■洗い場から抜け出すために
2009年6月、髙田さんが「地獄」と振り返るラーメン修業が幕を開ける。
時給850円のアルバイトとして入店したのは、奈良の大和郡山駅から徒歩40分ほどの場所にある無鉄砲の支店「豚の骨」。当時、髙田さんが住んでいた大阪市福島区の自宅から片道2時間以上をかけての通勤が始まった。
最初の仕事は、食器洗い。厨房の奥の狭い場所で食洗器の熱気がこもり、エアコンがまったく効かない。湿度90%の熱帯にいるような環境で9時から22時45分まで働き、終電で帰った。2日目には、「もう無理やわ……」と音を上げそうになった。
無鉄砲でスープに触れることが許されるのは、店長のみ。当時、無鉄砲には腕に覚えのある若い店長候補が10人ほど働いていた。40歳のアルバイトがラーメンを作れるようになるには、できる限り早く彼らのレベルに達しなくてはならない。
ではどうするか? 洗い場から早く抜け出したい一心で、髙田さんは全力でアピールを始めた。洗い物を頑張るというレベルではない。休憩に行ってと言われても、「必要ないです」と頑としていかない。それじゃあ会社が困ると怒られると、外に出て、スープを作る大将が厨房の窓から見える位置で腕立て伏せ。
大将から「あきちゃん、なにしてんの?」と呆れ顔で聞かれた時には「ラーメンを作る日に備えて体力作りです」と答えた。
■運命を変えた“移籍”
アピールを始めて間もなく、総本店に店長候補が集まる研修会に呼ばれた。そこで、鉄の棒を使ってスープを混ぜる無鉄砲独特の方法を体験した時には、その棒を誰にも渡さなかった。その日の夜、「あきちゃん、すごいな。棒、離さんかったらしいな」と苦笑まじりの電話が大将からかかってきた。
「あいつアホちゃうかって思われたでしょうね。自分の過去の話は一切しなかったから、大将にとっては、人生こけてこけてこまくって、ラーメン屋の門を叩いたかわいそうな同い年のおっさんだったと思います」
アピールの効果か否か、入店から4カ月後、大将の指示で新店舗の「つけ麺 無心」に移ることになった。この移籍が、髙田さんの運命を変える。
その店は、オープンからすぐ人気店になった。あまりに多忙で、間もなくして店長が離脱。スープ担当になった二番手は、いきなりの大役に技術が追い付かない。大将はここで、洗い物と掃除担当だった髙田さんを抜擢する。
大将は、数日だけスープの作り方を指導すると、あとは髙田さんに任せた。髙田さんによると、無鉄砲では5年働いてもスープに触らせてもらえない人もいる。それが、入店から5カ月目にして、スープにたどり着いた。つけ麺のスープは当然、ラーメンに通じている。
「おれはついてる!」と幸運を噛み締め、一心不乱に働いた。しかし、40歳の身体が気持ちについてこなかった。
両足の皮下と筋肉組織の間に細菌が入る病気に罹り、10日間ほど入院。その間に別の店からきた助っ人が店長に就いた。
■大阪でこっそり学んだスープづくり
そのタイミングで再び異動になり、大阪店へ。デイトレーダー時代、大阪店によく食べに来ていた髙田さんは、「スープの達人」と称される店長と顔見知りだった。すぐに意気投合した店長は、ホール係の髙田さんにラーメンやスープ、接客に至るまであらゆるノウハウを伝授した。
しばらくすると、また大将から連絡があった。東京に無鉄砲の支店を出す、大和郡山の店長を連れていくという話で、「あきちゃん、大和郡山の店長しな。ちょっと面接するわ」。
面接の日、「スープ作ってみて」と言われた髙田さんは、緊張しながらも大阪店で学んだスープを出した。それを飲んだ大将の顔色が一瞬で変わる。
「あきちゃん、なんでスープ作れるん?」
先述したように、無鉄砲でスープに触ることを許されているのは、店長のみ。ギクッとした髙田さんだが、大阪店の店長のことを高校生の頃から知る大将はなにが起きたのかすべて悟ったような表情をした後、特に問い詰めるでもなく、「店を黒字にしてくれ」と言い残して、東京に向かった。
■店長としての執念
2010年6月、大和郡山の支店「がむしゃら」(元「豚の骨」)の店長に就任。モノを売る、売り上げを伸ばすのは得意分野だ。髙田さんはスタッフに「一緒に売り上げを伸ばそう」と呼びかけ、とにかく褒めて、褒めて、褒めまくって働く気持ちを盛り上げた。
トイレ掃除、ゴミ捨ては自分でやり、店をピカピカに磨き上げ、「皆さんはお客さんに集中してください」と伝えた。お客さんにも、アパレルで働いていた時に鬼の本部長から教わったように接した。
「常連さんの名前を覚えて、名前を呼んで『いつもありがとうございます』と言うのはもちろん、常連さんが友達を連れてきたら、その人の顔を立てるように話しかけます。お客さんがスープを残して出ていったら、追いかけて、なんで残したのかを聞きました。そのお客さんのことを覚えておいて、次に来た時に、『あの時はすいません、今日はちゃんと改善しますので』と伝えます。そういうことを、コツコツ、コツコツ続けました」
■クビになるかもしれなかった「事件」
髙田さんが店長に就任してから、右肩上がりで売り上げが伸びた。その背景には、クビになるかもしれなかった「事件」もあった。
豚骨と水しか使わない無鉄砲のスープは野性味が特徴だが、髙田さんはそれを苦手にする女性客が多いのではと仮説を立てた。そこから骨の配合など試行錯誤を重ね、3、4年目に入った頃には「めっちゃどろっとしてるのに上品」なスープに仕上がった。
この頃、無鉄砲の女将さんが突然店に来て、一口食べた瞬間、「あきちゃん、これ無鉄砲のラーメンとちゃうやん!」と小さな声で叫び、怒って店を飛び出した。間もなく、大将から「どうしたの?」と電話がかかってきた。店長が勝手に店のスープをいじったのだから、クビになるだろうとビクビクしながら正直に話した。大将は少しの間沈黙した後、尋ねた。
「お客さんはそれで喜んでるんか?」
大将の判断基準は、いつもお客さん。それを知る髙田さんは神妙に「そう信じてやってます」と答えると、大将は言った。
「あきちゃんの好きにしたらええ。その代わり約束してくれ、お客さんを絶対に笑顔で帰すこと」
この言葉を聞いた瞬間、髙田さんは、「この人には絶対に勝てない」と感服した。
■「あきちゃん、ほんまは店やりたいんやろ」
独立することになったのは、事故がきっかけだった。2016年10月、渋滞中の道路でトラックから追突され、左肩の筋肉を支える4本の腱のうち3本が切れてしまったのだ。手術とリハビリで、全治10カ月。その間、自分の店をやりたいという思いが溢れ出し、手帳一冊分の構想を記した。
ケガがほぼ治りかけた頃、大将から奈良の実家に来るように呼び出された。近所の串カツ店に入り、昼間からふたりで焼酎を飲む。しばらく時間が経った頃、大将は言った。
「あきちゃん、ほんまは店やりたいんやろ。やったらええわ。もしあかんかったら、帰ってきたらいい」
髙田さんはそれまで一度も、独立したいと口にしたことはなかった。それだけに、意を汲んで背中を押してくれた大将の言葉は胸に沁みた。
「その一言は、ほんまもう一生忘れません」
その後、大阪店でアルバイトをさせてもらいながら、店を開く場所を探した。最初の条件は、無鉄砲の支店がないエリア。もうひとつの条件は、私生活でも一緒に行動するようになった常連さんが何人もいる大和郡山周辺から通える距離であること。
どちらも満たすのが、尼崎だった。
■ラーメンがつなぐ縁
10カ月かけて探し歩き、ようやく出会ったのが、フラリと入った不動産店で紹介された、もともと工場だった物件。JR尼崎駅から徒歩10分ほどでありながら、準工業地帯で豚骨のにおいも行列も問題なしという好条件だった。
しかし、手持ちの資金が圧倒的に足りなかった。2009年6月に働き始めてからずっとアルバイトだったため、120万円しか貯金がなかった。それは、一度ガンの手術をした時に入ってきた保険金だった。
ある金融機関に工場のリフォームと運転資金に必要な1000万円の借金を申し込むと、最初の担当者にはどう頑張っても800万円しか出せないと言われた。しかし、途中で代わった担当者が大和郡山の無鉄砲がむしゃらに通っていた人で、「あなたのこと、知ってますよ。任せてください」と1200万円の融資を通してくれた。
加えて、不動産店のオーナーの息子が「がむしゃらのラーメンを食べたことがある」という偶然から、家賃は格安、保証金も安くしてもらうなど優遇してもらった。
「こんなことある? ってぐらい、うまいこといき過ぎました。僕の知る限り、利害の関係のない人がこうやって乗っかってくる事業って成功するんです。これは俺の店、いけるんちゃうかなと思いましたね」
■AIにできないこと
2018年1月20日、ぶたのほしオープン。メニューはとんこつラーメンと、さかなとんこつラーメンの2種類。がむしゃら時代に探求した独自のスープがベースになっているが、それだけで勝負しようとは考えなかった。
「(おいしい)味が作れたから偉いわけじゃない。僕は自分のラーメンがおいしいと思ってるけど、もっとおいしいところはいっぱいありますよ。そのなかでうちに来てもらうにはどうしたらいいかを考えるんです」
パッと見ではラーメン店と思えないほどスタイリッシュな内装。音が「上から降ってくる」ように、お店の高い位置に設置した高級スピーカー。そのスピーカーから流す音楽も、髙田さん自身がセレクトしている。15時の閉店後には、毎日数時間かけて清掃する。
がむしゃらの時と同じように、できる限りお客さんが気持ちよく過ごせるように接客する。どんなに忙しくても、笑顔で話しかける。
「お客さんがラーメンを食べて帰るときに、なんか元気なっとる、なんか心が軽なっとる、そういうことに対して僕らはお金もらってるんです。だからお客さんに全神経を集中するし、非日常的な雰囲気を作ったり、気持ちよく過ごせる環境を整える。そういうことも含めて、自分という人間を売るしかない。もうすぐAIが人間よりおいしいスープのレシピを作る時代が来ます。AIにできないことを僕らはやっていかないと」
■常連客が19時間並ぶ理由
冒頭に記した、19時間待ちのお客さんは遠山太一さんという。年間300杯から400杯は食べるラーメン好きで、ぶたのほしがオープンした年に初めて来店している。それから6年が経ち、全国で2000杯前後のラーメンを食べてきた遠山さんが「食べ歩きしてきたラーメンのなかで一番」と断言するのがぶたのほしだ。その評価は、味だけにとどまらない。
「アキさんぐらい熱意のあるラーメン店主にはなかなか出会えないっていうのはもちろんなんですけど、アキさんってオシャレやし、音楽もオシャレやし、工場をリノベーションしたスタイルとかも、すごい好きやし。ぶたのほしって、普通に食べに行っても2時間は待つんですよ、でもあの空間におるっていうのが居心地いいんですよね」
オープン以来、「ここは僕の店じゃありません。皆さんのお店です。僕は皆さんに雇われている職人です。だから肩書きが工場長なんです。皆さんがこの店を盛り上げてください」とお客さんに伝えている髙田さん。
その徹底した「お客様第一主義」は、ラーメンも変える。髙田さんは基本的に「自分がおいしいと思っているものを出す」スタンスだが、オープンした時から多かった「ぶたのほしのラーメンにニンニクをトッピングしたい」という声を無視しなかった。
■「アキさんのラーメン」を食べたい
2019年より年に数回、15食限定でニンニクとチャーシューをたっぷりと盛ったラーメンを出し始めたのだ。これが、またファンの心に火をつけた。
「一番おいしいのは、ベーシックな豚骨ラーメンです。ただ、たまにある限定ラーメンをアキさんがどういう感じで出してくるのかがすごく楽しみで。もう絶対に食べないといけないみたいな感覚ですね」(遠山さん)
限定ラーメンを提供する前日、髙田さんは15時に営業を終え、片づけと掃除をした後、外で待つお客さんを店のなかに招き入れ、自分は帰宅する。お客さんはキャンプ用のイスなどを持ち込み、ウーバーイーツを頼んだりしながら、夜を過ごす。
19時間待つことを厭わないラーメンマニアの集まりだから、ラーメン談議が弾んで「キャンプみたいで楽しい」(遠山さん)そうだ。それにしても、お客さんとここまでの信頼関係を築く飲食店があるだろうか。
髙田さんは、2024年12月23日、25日にも限定ラーメンを出した。遠山さんは22日のランチにとんこつラーメンを食べた後、今回もそのまま15時から19時間並んだ。その日、一緒に夜を明かしたぶたのほしファンは、ほかに4人いた。
■「人生は絶対にお金じゃありません」
ぶたのほしは、2018年1月20日のオープンから1日もお客さんの行列が消えたことがない。売り上げは毎年、前年比を上回る。しかし、髙田さんは現在56歳。ぶたのほしのスープは鉄の棒で常にかき混ぜ続ける重労働のため、「60歳が限界かもしれない」と考えている。それでも現場に立つのか、人を雇って育てるのか、悶々と悩み続けている。
まだ答えは出ないが、理想の終い方は頭のなかにある。「つけ麺の神様」と呼ばれる大勝軒の創業者、故・山岸一雄さんの今際(いまわ)の際の言葉は「いらっしゃいませ」。その事実を知って、「さぶいぼが立った」という髙田さんは、最後の最後まで職人を貫き、厨房でバタッと倒れて死ぬことに憧れる。
「お客さんの笑顔を思い出しながら、ニヤニヤしながら死んだろと思ってるんです。そこで最後に一言、『いらっしゃいませ』。めっちゃかっこよくないですか」
若かりし頃、「お金持ちになる」という野望に燃えていた髙田さんは「人生は絶対にお金じゃありません」と笑った。
「一風堂の河原成美さんが書いた本にね、どんな辛い状況でも、どんな悲しい状況でも、どんな苦しい状況でも、仕事をしている時に心の底からありがとうという言葉しか出ない時期がある、もしそう思えたら、それがあなたの天職ですよって書いてあったんです。僕も地獄の修業時代にそう感じた瞬間がありました。生まれ変わってもラーメン屋さんしますよ」
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フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。
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(フリーライター 川内 イオ)
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