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横浜開港の地から山下町をめぐる文化観光ウェブサイト 「 こい旅横浜 ~山下町~ 」を公開します【横浜開港資料館】

PR TIMES / 2024年4月17日 14時45分

街に恋して、あなたに恋して、歴史に出会う濃い旅を https://koitabi.yokohama/

横浜開港資料館では、街歩きの文化観光ウェブサイト「こい旅横浜~山下町~」を令和6年4月17日(水)から公開します。友達、家族、カップル、一人旅の旅行シーンにあわせ山下町の懐かしい歴史と交流の跡をお楽しみ下さい。



[画像1: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-55c0c379dfc6eb0b04b0-0.jpg ]

「こい旅横浜 ~山下町~」 とは                             


文化観光ウェブサイト「こい旅横浜」は、横浜開港の地に立地し横浜開港の歴史と文化を伝える記憶装置としての横浜開港資料館と、横浜の伝統的な観光地を結ぶ、インストール不要のウェブコンテンツです。

スマートフォンやタブレット、PCなどのブラウザから手軽にアクセスでき、その場所の歴史や文化の移り変わりを現在、目の前に映る街の姿と開港資料館が所蔵する歴史資料に見るかつての様子とを見比べながら知ることができます。厳選された10か所のスポット解説は専門職員が監修し、友達、家族、カップル、一人旅の旅行シーンにあわせて楽しんでいただけるコンテンツとなっており、それぞれ日本語のほか、英語、中国語(簡体字・繁体字)、韓国語に対応しています。巡った厳選スポットを記録するスタンプラリーや、知る人ぞ知るシャッタースポットを見つけてSNSに投稿できる「MISSION 山下町の”ヒミツ”を発見せよ」等の機能も備えています。

「こい旅横浜 ~山下町~」は、文化庁の補助事業「横浜開港資料館における文化観光拠点計画」として、横浜の伝統的な観光地の歴史や文化を普及する事業の一環で横浜関係資料館を管理運営する(公財)横浜市ふるさと歴史財団が山下公園通り会と協働して、エイベックス・エンタテインメント株式会社(東京都港区)に開発を委託して制作しました。

昨年度の横浜中華街編につづき、今回は令和5年度の成果として山下町の歴史にふれることが楽しめるコンテンツを紹介しました。今後も、順次コンテンツの充実を図っていきますので、ぜひご紹介いただければ幸いです。

【厳選スポットの紹介】 訪れた先をタップすると解説やかつての様子をご覧いただけます。 


[画像2: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-638fa63ab2e63876de3b-4.png ]


【コンテンツ紹介画面】 訪れた先をタップすると解説やかつての様子をご覧いただけます。
[画像3: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-ac83a7bc4e75832a0a57-5.png ]

[画像4: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-ee6d3b0dbd58d79a30c8-7.png ]

                                       ※画像は開発中のものです
山下町と山下公園通り会について    


江戸時代、現在の山下町は、横浜村という半農半漁の村でした。幕末に横浜が開港されると、来日する諸外国の外交官や商人たちが暮らす「外国人居留地(山下居留地遺跡)」がこの場所に設けられました。現在の日本大通りをはさんで、外国人居留地と日本人街が広がり、この一帯を開港場と呼びました。開港場の中央には波止場(後の大さん橋)が築かれました。1899(明治32)年に外国人居留地制度が廃止されて山下町となりますが、諸外国の人びとが暮らす、コスモポリタンの風情が漂う街でした。

1923年9月1日の関東大震災で、山下町は壊滅的な被害をうけ、居留地時代の景観が失われました。震災後に瓦礫を埋め立て、臨海公園として山下公園が誕生し、人びとの憩いの場所となりました。しかし、1945年5月29日の横浜大空襲で、山下町の半分あまりが再び焦土と化しました。

戦後は米国をはじめとする進駐軍によって山下町の一部と山下公園が接収され、進駐軍の施設や住宅が立ち並びました。1952年に占領の時代が終わると、山下町は再び活気を取り戻します。1970年代に飛行機の時代が到来するまで、山下町と大さん橋は、海外からの人・もの・情報が行き来する日本の玄関でした。この幕末以来の波乱の歴史ゆえ、山下町界隈には今でも異国の面影が漂い、多くの人びとを魅了しているのです。

山下公園通り会は、山下公園前の海岸通り周辺の40企業・団体を中心に編成された組織です。会員相互の情報交換と親睦を図ることにより、ミナトヨコハマの観光事業の充実と、地域経済の発展に貢献しています。また、令和5年度には山下公園周辺を活用したイルミネーションイベントを開催し、山下町を新たな取り組みで盛り上げる活動も行っています。
※山下公園通り会ホームページ:http://yamashitapark.net/

横浜開港資料館 施設概要                                 


【名称】 横浜開港資料館
【所在】 横浜市中区日本大通3
【概要】 横浜開港資料館は、横浜開港百年を記念して実施された「横浜市史」編纂事業の資料を基礎に、昭和56年(1981)6月2日の開港記念日に開館しました。この地は安政元年(1854)の日米和親条約締結の地であり、また、旧館は旧イギリス総領事館(横浜市指定文化財)です。19世紀半ばの開港期から関東大震災に至る時期を中心とした資料を収集・保管、整理し、調査研究を行い、その成果を常設展や企画展で紹介するとともに、閲覧室で公開しています。横浜開港資料館は資料を通じて横浜の歩みを次の世代に伝える「近代横浜の記憶装置」としての役割を果たしている施設です。
[画像5: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-236bb259604ee4d65d29-6.jpg ]


【所蔵資料】 幕末から昭和初期までの、横浜に関する歴史資料約27万点を収蔵し、近代横浜の政治・経済・文化など幅広い分野の資料、古文書・海外資料・新聞・雑誌・図書・写真など様々取り揃えています。
【管理運営】 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団






文化庁認定「横浜開港資料館における文化観光拠点計画」について          


[画像6: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-cd0b0859b67601f08b74-7.jpg ]

横浜開港資料館では、「横浜開港資料館における文化観光拠点計画」に基づく事業を展開しています。この計画は、文化の振興を、観光の振興と地域の活性化につなげ、これによる経済効果が文化の振興に再投資される好循環を創出することを目的として、令和2年に施行されたいわゆる「文化観光推進法」※に基づき、文化観光拠点施設を中心に、文化についての理解を深める機会の拡大と国内外からの観光客の来訪を促進させ、文化・観光の振興、地域の活性化の好循環を全国各地で創出するため、文化庁が認定している計画です。

横浜開港資料館は「横浜開港」の歴史を中心に文化振興を観光と地域活性化に結び付ける拠点となることを、共同申請者である山下公園通り・元町・横浜中華街の各団体とともに目指しています。

※「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律」
※文化観光推進法に基づき認定した拠点計画及び地域計画
 文化庁ウェブサイト:https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/92441401.html
[画像7: https://prtimes.jp/i/64384/119/resize/d64384-119-e015f8b1f54e861c45ee-8.jpg ]


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