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「見えない体に生んでくれて…」ブラサカ発展の功労者・落合啓士が引退試合で見せた“愛される理由”

REAL SPORTS / 2021年12月29日 10時2分

12月24日、ブラインドサッカー元日本代表の落合啓士氏が、日本の同競技史上初となる自身の引退試合を開催した。10歳の頃から網膜色素変性症にかかり徐々に視力が落ち、18歳で視覚障害者に。その後ブラインドサッカーに出会うことが転機となり、同競技を背負う象徴的な存在として長年にわたりブラインドサッカー発展を支えてきた落合氏。多くの人に愛され、プレーで魅了してきたレジェンドが見せた、現役最後の晴れ舞台の姿、そして会場に集まった多くのファンの心に響いた言葉とは?

(文・撮影=岡田仁志)

「周囲に文句ばかりつけていた落合が…」前例のない存在の意外な背景

今年8月の東京パラリンピックで、日本チームの活躍が注目されたブラインドサッカー(5人制サッカーB1クラス)。その元日本代表キャプテン・落合啓士の引退試合が、12月24日、横浜武道館で開催された。通称は「おっちー」。ブラインドサッカー界のレジェンドと呼ぶにふさわしい、日本屈指の名選手だ。

日本のブラインドサッカー界で引退試合が企画されたのは、これが初めてのこと。障害者スポーツ全体を見渡しても、これほど盛大な引退イベントは前例がないだろう。クラウドファンディングで約370万円もの資金を集めたことも含めて、じつに画期的な試みだった。

引退試合に先立って行われたブラインドサッカー体験会とウォーキングサッカーの試合には、元サッカー日本代表選手の北澤豪氏、名良橋晃氏、石川直宏氏のほか、丸山祐市選手(名古屋グランパス)、倉田秋選手(ガンバ大阪)ら何人もの現役プロ選手たちがゲスト参加。ブラインドサッカーという競技の普及・発展にも積極的に取り組んできた落合が、長年かけてサッカー界に築いてきた人脈の広さと深さを感じさせた。

落合が20代の頃から厳しく指導してきた風祭喜一元日本代表監督も関西から駆けつけ、こう語りながら目を細めた。

「これほど大きなイベントをやれるなんて、すごいですよね。周囲に文句ばかりつけていた昔の落合のままだったら、こんなに人は集まらなかったでしょう。人の気持ちを思いやれる人間に成長してくれたのが、たいへんうれしいです」

日本が初優勝を遂げた2005年のIBSA ブラインドサッカーアジア選手権で、力量は十分に高かった落合をあえて代表メンバーから外したのが、当時の風祭監督だった。チームメートや指導陣に不平不満をストレートにぶつけすぎ、チームの和を乱す存在だったからだ。落合本人も、かつて「あの頃は心が未熟でした」と語ってくれたことがある。その後、2006年の世界選手権で代表に復帰して以来、2015年のアジア選手権まで、落合は日本代表の中心選手であり続けた。


「もう俺らの時代だと見せつけてやろう」主役ビビらせた白熱の“ガチ勝負”

引退試合は、「代表フレンズ」チームと「おっちーアミーゴ」チームが対戦。代表フレンズには、かつて落合と共に多くの国際試合を戦った田中章仁(たまハッサーズ)、川村怜(パペレシアル品川)、加藤健人(埼玉T.Wings)、園部優月(free bird mejirodai)、GK佐藤大介(たまハッサーズ)が顔をそろえた。

一方のおっちーアミーゴは、19年前に落合をブラインドサッカーの世界に引き込んだ葭原滋男(乃木坂ナイツ)、同じクラブチームで名コンビを組んだ阿部良平(たまハッサーズ)、引退後の落合が監督を務めるクラブチームでプレーする平林太一と清水冴恭(松本山雅B.F.C.)、代表の控えGKとして東京パラリンピックにも出場したGK神山昌士(GLAUBEN FREUND TOKYO)というメンバーだ。前半は、日本のブラインドサッカー草創期からこの競技を支援し、現在は日本障がい者サッカー連盟の会長も務める北澤豪氏が、このチームのセンターガイド(監督)を務めた。

前半、落合は代表フレンズの一員として出場。背番号は、代表主将時代に背負っていた10番だ。監督は風祭、ゴール裏のガイドはこちらも元日本代表監督の魚住稿。ちょうど10年前の2011年に、ロンドンパラリンピックを目指してアジア選手権を戦った代表チームの指導陣である。仙台で開催されたその大会で、イランに敗れてパラリンピックへの道を断たれたのは、この日と同じクリスマスイブだった。

その翌年には魚住が風祭の跡を継いで代表監督に就任し、落合をキャプテンに指名。2016年のリオデジャネイロパラリンピックを目指したが、このときもあと一歩で出場を逃している。

試合は、主役の落合に花を持たせる友好ムードになるかと思いきや、選手たちが全力で走り、激しく体をぶつけ合う白熱の展開になった。試合後に川村が「こんなに強度が上がるとは思ってなかった」と苦笑したほどだ。2019年の東日本リーグ以来、2年ぶりの実戦となった落合も「予想外にガチな展開になって、正直ビビりました(笑)」と言う。

「試合前の代表フレンズは完全に引退試合モードだったんですが、相手がガチで来ると、そうもいかなくて。最初にいいシュートを1本打たれてから、ギアが上がりましたね」

阿部によると、試合前のおっちーアミーゴは、ふだん「落合監督」の下でプレーする若手選手がひどく緊張していたとのこと。そこで「選手として監督に負けちゃダメだ」と声をかけると、「よし、もう俺らの時代だと見せつけてやろう。敬意を持って、たたきつぶすぞ!」とテンションを上げたそうだ。

本番の1カ月前から本格的なトレーニングを始めて準備を整えていた落合は、戸惑いながらもブランクを感じさせないプレーを見せた。ひとたびボールを持てば、貪欲にゴールを目指して強引に突破を図る。

「ボールを持ったら何かやってくれそうな雰囲気がありましたね。おっちーの後ろでフォローして声をかけても、たぶんパスは来ないな、という感じでした(笑)」とは、加藤の弁。田中も「たまに『ツラい』とかボヤきながらプレーしてましたけど、ゴールに向かう姿勢は変わっていませんでした」と言う。「久しぶりに一緒にやりましたが、やりたいプレーのイメージは最初から共有できました」という川村の言葉からも、長く共に戦ってきた仲間への強い信頼感が見て取れる。


「これ左ね」「右じゃね?」最後に見せた驚異の“空間認知能力”

前半で最大の見せ場は、ゴール前6メートル、およそ60度という絶好の位置で得たFKだった。セットプレーで無類の勝負強さを誇ったのが、代表時代の落合だ。対欧州勢初勝利という歴史を刻んだスペイン戦の決勝ゴール(2007年)、アジア選手権の準決勝進出を決めた韓国戦での同点ゴール(2011年)など、多くのゴールをセットプレーからたたき込んでいる。ボールを挟んでポジションに立った川村と落合のあいだでは、「おっちー、行きなよ」「ありがとう」という言葉が交わされた。

期待が高まる中で、小さなハプニングが起きた。ブラインドサッカーでは、セットプレーのときにガイドが両サイドのゴールポストをたたいて鳴らし、選手にゴールの幅を伝える。ゴール裏のガイドと選手では左右が逆になるので注意が必要だが、数年ぶりにガイドを務めた魚住は、まず落合から見て右側のポストをたたきながら、うっかり「これ左ね」と伝えてしまった。

そこで即座に「右じゃね?」とツッコミを入れたのは、ほかならぬ落合だ。本人は「自分に近いほうのポストを叩いたので、すぐに違うとわかりましたよ」と事も無げに言うが、視覚のない状態でその距離感や位置関係を把握するのは容易ではない。ガイドの指示を受ける前から、落合はゴールの位置がイメージできていた。どんなに足元のテクニックを磨いても、こうした空間認知能力を高めなければ良いプレーにつながらないのがブラインドサッカーだ。そのことをあらためて再認識させる落合の「ファインプレー」だった。

笛が鳴り、ゴール正面に向かってボールを運んだ落合が、相手の作った壁を打ち破るように左足を振る。しかしキックはわずかにボールの芯を外し、シュートは枠を捉えることができなかった。

「引退試合のこの場面で、なんできっちり壁を作るんだよ……と思いましたけど(笑)、それもガチな試合だったことの象徴ですよね。壁の右側に行くか左側に行くかギリギリまで迷ったのがよくなかったかな。代表では左足で決めたゴールが多かったので、最終的には左を選んだんですが」

ゴール裏で指示を出した魚住も「おっちーは大舞台に強い『持ってる男』なので決めてくれると思ったんですが、惜しかったですね」と悔しがる。「でも、仲間には期待を持たせ、相手には脅威を与えるプレーは健在でした」

後半、落合はユニフォームを着替えておっちーアミーゴ側で出場。相手ゴール前に陣取って何度かチャンスを作ったものの、残念ながら最後まで得点を決めることはできなかった。

試合は、川村が大先輩への餞(はなむけ)となるゴールを決めて、1-0で代表フレンズの勝利。シュートをキャッチしたGK佐藤に「空気読めよ〜」とボヤき、「いや、さすがに真正面すぎるでしょ」と言い返されたあたりは、常にユーモアを忘れない落合の一流のファンサービスだろう。「ガチな展開」の合間に和やかさも垣間見せた引退試合は、最後の勇姿を見ようと集まった多くのファンを心から楽しませるものになった。


多くの人の胸を打った母親への感謝の言葉「1億円もらっても…」

試合後のセレモニーでは、遠藤保仁選手(ジュビロ磐田)、木梨憲武氏(タレント)など多くの著名人からのビデオメッセージも披露された。落合がプレー以外の面でも幅広い活躍をしてきたことが、観客にもしっかりと伝わったことだろう。イベント終了後に、田中、川村、加藤らの仲間たちが口をそろえて称賛したのも、落合が持つ周囲の人々をブラインドサッカーに「巻き込む力」だ。魚住が言う。

「私が彼を日本代表キャプテンに選んだのも、仲間たちを引っ張る力、周囲を巻き込むその影響力に期待したからです。私たちはピッチ外の人々も含めた『総力戦』を目指しましたが、おっちーはその礎でした。これからも持ち前の影響力を発揮し続けてほしいですね」

名選手であるだけでなく、落合はブラインドサッカー界随一の「広報マン」だったとも言えるだろう。引退イベントを終えてから2日後、その落合に心境を聞いた。

「いまは、自分の役目をやり切ったと感じています。現役時代は、ブラインドサッカーというマイナー競技の認知度を高めるために、SNSで情報発信したり、いろんな分野の人たちを巻き込んだりしてきました。そうやって最前線に出て行く役回りも、これでひと区切りつきましたね。もちろん引き続き松本山雅B.F.C.の監督としてがんばっていきますが、今後は裏方として選手たちを支えていこうと思います」

引退セレモニーで、落合は妻の彩さんと母親の幸子さんに感謝を込めて花束を贈呈した。10代で網膜色素変性症を発症した当時の落合は、視力が低下するにつれて気持ちが荒れ、「目が見えなくてバイトもできないのは、おまえのせいだ!」と母親を詰ったこともあるという。その落合が母親にかけた言葉は、会場にいた人々に強い印象を残した。

「見えない体に生んでくれて、ありがとうございます。このサッカーに出会ってから、いろんな人たちのおかげで成長させてもらいました。いまは見えないことが幸せすぎて、1億円もらっても病気を治したくないと思うほどです。母さん、本当に感謝しています」

ブラインドサッカーの「広報マン」としての役目は終えたという落合だが、今後もその情報発信力が衰えることはないだろう。スポーツという枠組みを超え、広く障害者の生き方や働き方をめぐる議論に一石を投じ続ける存在になっていくに違いない。

<了>


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