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7シーズン公式戦出場なし。それでもフロンターレGK・安藤駿介が手にした成長。「どっしりとゴール前に立てた」

REAL SPORTS / 2023年6月2日 11時43分

2017年の鬼木達監督の就任以降、4度のリーグ優勝を誇る川崎フロンターレ。その間、一度も公式戦の出場機会は得られていないが、チームへの貢献度の高さを誰もが高く評価する選手がいる。32歳を迎えたGK・安藤駿介だ。15歳から下部組織に所属し、2009年にトップチームへ昇格。フロンターレでのリーグ戦出場は2012年以来、カップ戦出場は2016年以来、長らく出場機会を得られていない。プロ15年目、フロンターレを愛し、日々自己研鑽を重ね、ピッチに立てば“等身大”の活躍でチームに貢献する安藤駿介の流儀とは?

(文=いしかわごう、写真提供=©️川崎フロンターレ)

振り返る7年前の公式戦出場。「当時はまだ『空自信』で…」

最後に出場した公式戦から7年が過ぎたことになる。

2016年5月25日。ヤマザキナビスコカップ(現在のJリーグYBCルヴァンカップ)の第6節・ベガルタ仙台戦。安藤駿介は等々力陸上競技場のピッチに立ち、川崎フロンターレのゴールマウスを守っていた。

試合は2-1で川崎フロンターレが勝利している。喫した1失点は試合終盤に与えたPKを決められたものだ。当時の記憶は安藤の中ではいまだ鮮明で、試合中の心境を懐かしそうに振り返る。

「いいプレーはできたと思いますが、気持ち的にはいっぱいいっぱいでした。失点も2-0からPKで1点を返されて、気負いが出てしまうシチュエーション。自分にボールが近づいてくるたびに『来るなよ』と、どこか体温が上がる感覚がありました(笑)。勢いだけでやっていましたからね。今のようにどっしりしていなかったし、当時はまだ『空自信』でやっていましたから」

ふと漏らした「空自信」というフレーズが、彼らしいと思った。「空元気」というものがあるが、それの自信バージョンのようなものだろうか。

当時25歳だった安藤には、若さゆえの「勢い」があり、底知れぬ自信を持っていた。試合中に感情が渦巻くことがあっても、ピッチではそれを周囲に見せずに、常に堂々とプレーし続けることを信条としていた。そんな当時のスタイルを支える背景を「空自信」と表現したようだった。

「勢いが僕のテーマなんですよ」。32歳になった彼は、そう言って、ゆっくりと言葉を続けた。

「勢いがあるなら、それに任せればいいと思うんです。ただ勢いはもろいもので、それがなくなった時に何が残るのか……。でも実力がある人は、勢いがなくてもしっかりとした実力があるじゃないですか」

自身のパフォーマンスにはいつも波があった。だから、勢いについて自分なりに向き合い始めるようになったという。

「自分の課題は波だったんです。それは若い頃からずっと。小、中、高校まで全部です。両親からも『落ち着きなさい。あなたは波があるから』と口酸っぱく言われていたぐらいです。その波をなくすにはどうすればいいのか。いろんな人の言葉を聞いて、やはり勢いに頼らないこと。ここ1、2年はそれを心がけています」

30歳を迎えてたどり着いた「勢いに頼らない」スタンス

今年でプロキャリア15年目を数える。

湘南ベルマーレに期限付き移籍していたシーズンもあったが、2009年からのクラブ在籍歴は、同期である登里享平と並び現役で最古参である。育成年代も含めた在籍期間を考えれば、人生の大半をこのクラブで過ごしてきたといっても過言ではない。今ではチーム関係者の誰もが一目置く重鎮だ。

一方でピッチに目を移すと、長らく出場機会が得られていない。

2016年からはチョン・ソンリョンが守護神として君臨し、控えGKとしての立場で過ごす日々が長く続いている。2017年から鬼木達監督が就任してチームは4度のリーグ優勝を達成しているが、16年の仙台戦以降、安藤は一度も公式戦のピッチに立っていない。

そんな年月を過ごした中でたどり着いたスタンスが「勢いに頼らないこと」だった。

些細な意識の変化がすぐに結果に直結するほどプロサッカーの世界は簡単ではない。だが一つ一つ時間をかけて、自分なりの成長の階段を上っていったことで、若い頃のように勢いに依存することはなくなった。

「ここ1、2年ですね。30歳になってからです。コロナ禍の前ぐらいは感情の起伏だったり、プレーの波もまだありました。ただ年齢を重ねてきて、『あれはできる』、『これはできない』と自分の中でもうまく整理されてきました。だったら、一段ずつ自分のレベルを上げていけばいい、というシンプルな考えになって、できることを伸ばしていけばいいと思うようになりました」

「基本は嘘をつかない」「どっしりとゴール前に立てた」

昨年末、クラブはシーズン後にタイとベトナムで2022アジアツアーを行っている。その1戦目、タイのBGパトゥム・ユナイテッドFC戦で、安藤はスタメンとしてピッチに立っている。

公式戦ではなく親善試合だ。それでも1万人の観客が詰めかけたスタジアムで自分のプレーを披露できる環境には高揚感があった。

「公式戦と同じようにやれた試合がなかったので、すごく久しぶりでした。本当に、普段と同じような気持ちでゴール前に立てたし、緊張もありませんでした。その中でも、一つ一つのプレーにこだわってやることはできたと思います」

国際経験もあるベテランGKは、少々のピンチにたじろぐことはない。ただ少しでも気を抜けば失点する難しさも痛いほどわかっていた。どんなに優勢に試合を進めていても、数少ないピンチで決められることがあるのがサッカーだからである。

前半24分。相手のブラジル人FWコンハードがエリア内でDF2人に囲まれながらも反転し、角度のないコースから強烈なシュートを放ってきた。不意を突くタイミングだったが、鋭く反応して阻止した。

「常にシュートはくると思って準備していました。ああいう助っ人の外国籍選手は、わけのわからないところから足を振ってきますからね(笑)。弾いてコーナーキックにするのは嫌だったし、そういうピンチにはしたくなかった。なんとかライン上にボールを残したい。そういう弾き方をしました」

キャッチこそできなかったが、近くにいた味方の位置は冷静に把握していた。瞬間的な判断で狙い通りの場所にしっかりとボールを弾き出した。

ところが、ライン上でクリアしようとした車屋紳太郎がピッチに足を取られて滑ってしまい、ボールが中途半端になってしまう。クリアを拾った相手選手は、ペナルティエリア中央から思い切ったミドルシュートを放ってきた。

コースは真正面。ただし無回転のシュートで、処理を少しでも間違えるとボールが後方に逸れて、ゴールに吸い込まれてしまう危険性があるものだった。その軌道を冷静に見極め、腰を落としてシュートを体に当てた。ボールを抱え込むようにし、今度はセカンドチャンスを与えないようにシャットアウトした。

「あれはがっちりとはキャッチしていないんです。ああいうシュートは脇を抜けやすいので膝でブロックして取っています。ボールが抜けないように膝を折りたたみました。そういう理論があるんですよ。基本は嘘をつかないですね」

出場は前半45分のみだったが、無失点でベンチに下がっている。最低限の仕事を果たしたと同時に、久しぶりの有観客でのプレーに結果とは別のところで満たされている自分がいた。

「失点しないことは常に頭の中にあります。それは日本での練習試合もそうです。失点しないためにはどうするのか。その中でも、一つ一つのプレーにこだわってやることはできました。もちろん相手のレベルもありますから、一概に何がというのはないですが、自分の気持ちとして、どっしりとゴール前に立てたのもよかったです」

自分の持っている100の力を、120に見せる必要はない

2022アジアツアーの第3戦目、ベトナムのベカメックス・ビンズンFC戦でも無失点で前半を終え、2-0で勝利。

たとえ親善試合であっても、勝ち負けを争う感覚は大事にしていた。ピンチに心が揺れることもなく、味方に安心感を与えた自負もある。2試合を通じた見せ場は少なかったが、これまで取り組んできた準備が正しかったと安藤は胸を張った。

「準備という言葉をこれまでもいろんな取材で自分は言ってきました。自分の持っている力が100としたら、95から100を出せる準備を心がけてきました。120の力は出せないと思っているので、そういう緊張感を持たずにやれたのがよかったと思います」

自分の持っている100の力を、120に見せる必要はない。その代わり、100の力を出すための準備は絶対に怠らない。長く研鑽(けんさん)を積み重ねて、プロ15年目にたどり着いた境地だった。

「GKに限らず、サッカーにも限らずですが、いろんなスポーツでもそれはあると思います。緊張とか準備不足が重なったり、不安で70の力しか出せない選手も多いと思います。そういうことはもうやめようと自分の中で言い聞かせていました。背伸びしなくていいんだからって」

もう「勢い」には頼らない。「空自信」も必要なかった。背伸びしない等身大の自分でゴールマウスに立つことに、今の安藤駿介の流儀がある。



<了>






[PROFILE]
安藤駿介(あんどう・しゅんすけ)
1990年8月10日生まれ、東京都出身。J1・川崎フロンターレ所属。ポジションはゴールキーパー。小学生からサッカーを始め、川崎フロンターレU-15、U-18を経て、2009年にトップチームに昇格。2011年に公式戦初出場。2012年にはロンドン五輪に出場するU-23日本代表に選出。2013年に1年間、湘南ベルマーレへ期限付き移籍を経て、2014年に復帰。チームの後輩たちから慕われ、良き手本となってチームを支える存在。

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