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鈴木彩艶が挑み続ける西川周作の背中。「いつかは必ず越えたい」16歳差の守護神が育んだライバル関係と絆

REAL SPORTS / 2023年8月24日 11時30分

今夏に、マンチェスター・ユナイテッドからのオファーを退けてベルギーのシントトロイデンへ期限付き移籍した鈴木彩艶(すずき・ざいおん)。小学生から浦和レッズ一筋で育ってきた21歳の鈴木は、正守護神として君臨し続ける西川周作の背中を追い続けてきた。16歳の年齢差を超えて、2人のGKが切磋琢磨してきた歴史をひも解き、未来像を追う。

(文=藤江直人、写真=森田直樹/アフロスポーツ)

浦和からベルギーへ。鈴木彩艶が日本に残した心残り

感謝の思いと壮大な目標、そして心残りをトランクに詰めてホープは海を渡った。今夏にベルギーのシントトロイデンへ期限付き移籍した21歳の鈴木彩艶は、小学生年代のジュニアから育ててくれた浦和レッズへの愛と、近い将来に世界一のGKになる夢を常に抱いてきた。

当然のように、これらを新天地へも持ち込む。ならば、対極に位置する感情の心残りとは何か。答えは浦和の守護神として君臨し続ける37歳の大ベテラン、西川周作の存在にある。日本を発つ前に行われた取材対応で、背中を追い続けてきた西川へ、鈴木は畏敬の念を込めてこう言及していた。

「越えなければいけない存在でした。正直、試合に出て西川選手を越えてから移籍したいと考えていましたが、それを達成できなかったことに対しては自分の力不足を痛感しています。ただ、いまは越えられなかったとしても、いつかは必ず越えたいと思いますし、越えられるように頑張っていきたい」

8月6日の横浜F・マリノス戦を最後に鈴木は浦和を離れた。それまでのリーグ戦22試合すべてで西川が先発し、鈴木はYBCルヴァンカップと天皇杯の計6試合の出場にとどまっていた。

最も重視されるリーグ戦で定位置をつかんだときに、初めて偉大なる先輩を越えられると自らに言い聞かせてきた。だからこそ鈴木はあえて心残りとして言及し、ベルギーで成長していく糧に変えた。

200試合連続出場。不動の正守護神と積み重ねたトレーニングの日々

ガーナ人の父と日本人の母の間にアメリカのアーカンソー州で生まれ、浦和のお膝元であるさいたま市浦和区で育った鈴木は幼稚園でサッカーを始め、小学生からはGK一筋でプレーしてきた。

浦和のジュニアの一員になったのは小学校5年生のとき。きっかけは埼玉スタジアムで観戦した浦和のリーグ戦。鈴木は「この雰囲気のなかでいつかプレーしたい」と子ども心を震わせた。

そして、翌2014シーズンに西川がサンフレッチェ広島から浦和へ加入してきた。同年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会を戦った日本代表にも名を連ねた西川はすぐに浦和の守護神を拝命。19年10月29日の広島戦まで、リーグ戦で実に200試合連続で浦和のゴールマウスを守り続けた。

同年11月1日の鹿島アントラーズ戦で連続出場が途切れたのも理由があった。西川がAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で、累積によりアル・ヒラル(サウジアラビア)とのACL決勝ファーストレグは出場停止処分を科されていた。その試合で西川に代わって起用されたのは福島春樹(21シーズン限りで引退)。それまでJ1リーグに出場経験がなかった福島を、ファーストレグをにらんで直前の鹿島戦で初めて先発させ、西川をリザーブに回した。その後は再び守護神を担い続けた西川は21年3月に、実に3年4カ月ぶりに日本代表復帰を果たしている。

実はこの19シーズンから、ジュニアユースを経てユースに昇格していた鈴木は西川との距離を縮めている。同年2月にプロ契約を締結。プロ選手としてユースで活動していた鈴木は、17歳になる直前の同年8月から2種登録選手としてトップチームに帯同。公式戦に出られる状況にあった。

しかし、引き続き2種登録選手となった20シーズンもチャンスをつかめない。19年秋にブラジルで開催されたFIFA・U-17ワールドカップで、世界から注目される活躍を演じていた鈴木は、浦和のトップチームで西川らとトレーニングを積み重ねた日々をこう振り返っている。

「悔しい思いをしながら、まずは一つ出る、出たらしっかりプレーするために積み重ねていました。その上で試合に出るだけでは意味がない、試合に出続けなければいけないと言い聞かせていました」

コロナ禍で一時的に逆転した序列

一方の西川は20シーズンに、身長190cm体重91kgの巨躯に恵まれ、キック力を含めて桁外れのパワーを誇り、フィジカル能力も高い鈴木の存在を強く意識するようになった。開幕へ向けたキャンプで同部屋になった当時高校3年生の鈴木が、湘南ベルマーレとの開幕戦でリザーブに名を連ねたからだ。

しかも、同シーズンは開幕戦を終えた直後に、新型コロナウイルス禍による長期中断に入った。先を見渡せない状況下で、Jリーグは各カテゴリー間で設けられている昇降格制度のうち、各クラブにとって最大のリスクとなる「降格」だけを排除する同シーズン限定の措置を定めた。

各クラブもトレーニングを含めた活動をすべて停止し、選手たちは自宅待機を余儀なくされた。そのなかで浦和は定期的にオンライン取材を実施。キャプテンを務めていた西川は、前例のない状況がベテランの域に入った選手たちに想定外の試練を招きかねないと危機感を強めていた。

「僕が監督だったら、逆に若手を使うチャンスだと考えるかもしれません。なので、ベテランと呼ばれる選手たちはよりいっそう頑張らないといけない、と思っています。まだまだ若手の選手には負けられない、という気持ちがあるので、いつも危機感を持ちながら生活しています」

弱肉強食のプロの世界では必須の世代交代が、降格がなくなった例外的な要因で加速されるかもしれない。具体的な名前こそ言及されなかったが、浦和で西川を脅かす若手は鈴木以外にはいなかった。

そして、翌21シーズンに浦和のGKにおける序列が逆転した。埼玉スタジアムにベガルタ仙台を迎えた5月9日のリーグ戦。このシーズンから指揮を執るリカルド・ロドリゲス監督は、トップチームに昇格していた鈴木を先発に抜擢。期待に応えた鈴木は2-0の完封勝利に貢献した。

西川がリザーブに名を連ねていた点からも、ケガをしていたわけではない。ロドリゲス監督も試合後に「これまでのパフォーマンスが悪かった、というわけではない」とJ1通算500試合出場を、フィールドプレーヤーを含めて史上最年少で達成したばかりの当時34歳の西川に言及している。

ならば、唐突にGKを代えたのはなぜなのか。スペイン人指揮官はこう答えた。

「ここまでのトレーニングやルヴァンカップでのプレーを見てきたなかで、彩艶がすごくいいプレーをしていた。彼のパフォーマンスを評価した結果として、今回の起用に踏み切った。彼はまだ若いが落ち着きを持って、しっかりとプレーしていた。すごくいいデビューになったと思う」

「GK全員」でつかんだ初勝利と3試合連続無失点

フィールドプレーヤーとは異なり、ポジションが一つしかないGKをシーズン途中で代える理由は限られている。ケガなどで戦列を離れた場合か、レギュラーのGKが極度の不振に陥った場合か、あるいはチームの嫌な流れを変えたいと監督が決断した場合となる。

仙台戦を前に、浦和はリーグ戦で5勝2分け5敗といまひとつ波に乗れていなかった。嫌な流れを変えたいと考えたロドリゲス監督が、ルヴァンカップのグループリーグですべて先発させ、リーグ戦でもリザーブとしてスタンバイさせてきた鈴木に対して機は熟したと判断したのだろう。

もちろん、西川は腐ったりしない。リーグ戦デビューで緊張しているはずの16歳も年下のライバルへ、試合前のウォーミングアップ時や前後半に設けられた飲水タイムで何度も声をかけた。

「ポジティブな声がけが多くて、戦術的に自分が見えていなかった部分を的確に伝えてくれました」

西川へ感謝の思いを捧げた鈴木は、元日本代表スタッフの浜野征哉GKコーチや第3GK塩田仁史(現浦和GKアシスタントコーチ)も含めた全員で手にした結果だと強調した。

「トレーニングのなかで自分のほうからいろいろと聞くこともありますし、周りから教えてくださることもある。ゴールキーパー陣が一つのチームとなって、常に高みを目指しながらトレーニングを積んできました。そのなかで、今日の勝利はキーパー全員の勝利だと自分では思っています」

続くガンバ大阪戦、ヴィッセル神戸戦も零封した鈴木は、95シーズンの川口能活以来、史上2人目となるデビューから3試合連続で無失点をマークしたGKになった。しかし、先発に名を連ねた軌跡は6試合目の湘南戦を最後に途切れる。

コロナ禍で設けられていた公式戦出場に必要な申請手続きを、直前までU-24代表に招集されていた鈴木の分だけ浦和側が失念。資格のない鈴木が出場した湘南戦は浦和の負け扱いとなり、鈴木が欠場を余儀なくされた続く柏レイソル戦で完封勝利に貢献した西川が、再び序列をひっくり返した。

無失点試合はJ1歴代最多に。カリスマコーチが吹き込んだ「新しい風」

以降は守護神とリザーブの関係が続き、西川を越えられないまま鈴木はベルギーへの移籍を決断した。もっとも、主戦場がカップ戦になっても、浦和での日々に充実感を覚えていた。理由は昨シーズンから浦和のGKコーチを務める、スペイン出身のジョアン・ミレッ氏の指導にある。

バスク地方の小さなクラブ、ゲルニカで長年にわたってアカデミーからトップチームまでのすべてのGKを指導。優秀な人材を次々と育てた手腕から「カリスマ」と呼ばれ、13年から活躍の舞台を日本へ移した62歳のミレッ氏から受けたカルチャーショックを西川がこう語ったことがある。

「僕の長いサッカー人生で、これまでのゴールキーパーのやり方を一度リセットしています。たとえシュートを止めたとしても、もっとこうしたほうがよかった、と止め方などを追求しているし、その意味では相手にビッグセーブと思わせてしまったプレーも反省材料になる。ゴールキーパーの考え方は奥が深いといつも感じているし、新しい風を自分のなかに吹き込んでいただいている」

なかなか肉声が伝わってこないミレッ氏だが、他と一線を画すその指導方法や言葉は西川の言葉を介して伝わってくる。ミレッ氏のもとで成長した証が、昨年7月に達成したJ1歴代最多となる「170」の無失点試合であり、1年あまりが経過したいま現在、記録は「182」にまで伸びている。

西川と同じ思いを鈴木も抱いている。浦和でも成長を続けられる、と確信しているからこそ「日本国内では、浦和というクラブ以外でプレーする自分の姿は考えられなかった」と秘めた思いを明かした。しかし海外、それもヨーロッパから届いたオファーを前にしたときには心が大きく揺れた。

ユナイテッドのオファーを蹴ってベルギーへ。夢から逆算した“急がば回れ”の決断

世界一のGKになるために、いつかはプレミアリーグでプレーしたいと思い描く。今夏にはプレミアリーグを代表する名門、マンチェスター・ユナイテッドから完全移籍のオファーも届いた。しかし、自分自身の現在地と何度も照らし合わせた鈴木は“急がば回れ”を決断した。

「いまの自分はより高いレベルで、とにかく試合に出ることが重要です。そこで活躍することで、他のクラブの目にも留まる。自分の夢を考えたときに、ベルギーでプレーしようと決めました」

もちろん無条件で試合に出られるとは思っていない。それでも自らの意思で決めたシントトロイデンへの期限付き移籍を、もちろんミレッ氏にも伝えた。来夏のパリ五輪世代でもある鈴木が、いままさに成長途上にあると確信していたのだろう。最初はこんな言葉が返ってきたという。

「もう少し私のもとで学んでほしかった」

それでも覚悟と決意をしっかりと伝えたなかで、鈴木は「最後は『僕の決断をリスペクトする』と、ジョアンも言ってくれました」と振り返る。覚悟がさらに強まったと、鈴木はミレッ氏にも感謝する。

「ジョアンに指導していただいたこの1年半で、すごく成長できた部分があると感じています。ジョアンからの学びを生かして、世界で活躍していくことが浦和の価値も高めると思っています」

西川からは「楽しむことを忘れずに戦ってこい」とエールをもらった。鈴木にとって最後まで高い壁であり続けた西川は、後輩へ送るアドバイスを問われると「僕からは特にないですよ」と目を細める。

「これからもそういう(高い壁のような)存在であり続けたいですね。僕自身も年齢で判断されないように、プレーで自分自身を証明していかなければいけない、という強い思いがある。それでも一緒にやってきた一人として、彩艶が試合に出ている姿はやっぱり見てみたいですよね」

シントトロイデンでは日本代表のシュミット・ダニエルが守護神を務める。さらに高いレベルでの競争が待つ新天地での挑戦を、西川の背中を追いかけた日々の延長線上にあると鈴木は位置づける。

「自分は浦和というクラブで常に高みを目指して、日々のトレーニングから取り組んできた自負がありますし、人としても成長できたと思っています。競争を含めて、これからの人生でいろいろな壁があると覚悟していますが、ここでの経験はそういったところで必ず生きてくると思っています」

海外挑戦に備えて2年ほど前から英語を学び、試合で使えるレベルにあると笑って飛び立った鈴木のシントトロイデンでの背番号は、浦和で西川が背負い続ける「1」に決まった。名伯楽の教えを生かしながら新たな一歩を踏み出したホープと、引き続き名伯楽の指導で成長を求めるベテラン。16歳も年齢が離れたライバルはベルギーと日本とで離れても、お互いを意識しながら切磋琢磨を続けていく。

<了>






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