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台湾・ヒマワリ運動から10年、記念集会で「中国の政治的・経済的脅迫の拒否」訴える

Record China / 2024年3月23日 13時0分

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中国とのサービス貿易取り決めをめぐり、学生らが撤回を求めて立法院(国会)を占拠した「ヒマワリ運動」の発生から10年。記念集会では「中国の政治的・経済的脅迫の拒否」を訴えた。写真はヒマワリ。

中国とのサービス貿易取り決めをめぐり、台湾で学生らが撤回を求めて立法院(国会)を占拠した「ヒマワリ運動」の発生から10年となった18日夜、記念集会が台北市の立法院庁舎そばで開かれた。主催団体メンバーは声明で「サービス貿易協議の再開反対や中国の政治的・経済的脅迫の拒否」を訴えた。

名称の由来は生花商が学生らに連帯の意思を示すためにヒマワリを差し入れたことがきっかけ。議場に飾られると、報道を通じて目にした多くの人からヒマワリが届き、運動の名前として定着した。占拠を支持する大規模デモの参加者は主催者発表で50万人、警察発表で11万人に上った。

国民党の馬英九政権は学生側が制定を求めていた立法院などの監視機能を定めた法令案(両岸協議監督条例)を行政院で決定。一定の譲歩を示したが、学生らは納得せずに占拠を続行した。

その後、立法院の王金平院長は学生側の要求に応じ、「両岸協議監督条例」が法制化されるまで、サービス貿易協定の審議を行わないと表明するとともに議場から撤退するよう呼び掛けた。この提案を受けて学生側は「この段階での任務を達成した」として、4月10日に立法院から退去することを発表した。占拠は23日間に及んだ。

台湾・中央通信社によると、当時の学生リーダーの一人で現在の政権与党・民進党の呉沛憶立法委員(国会議員)は「台湾が当時選んだ路線が正しかったことがこの10年の台湾の民主主義、自由度や経済パフォーマンスによって証明された」との考えを示した。

呉氏はヒマワリ運動の重要な精神は「台湾を守り、民主主義を防衛する」ことと「自身の国は自分で守る」の二つだと紹介。10年後の現在から当時を振り返ると、台湾は世界に警告を発した最初の国だったとし、これによって国際社会は次第に経済や政治を中国にくくり付けてはならず、さもなければ国際政治に極めて大きなリスクが生まれると気付いたと指摘した。

やはりヒマワリ運動でリーダーの一人を務めた民進党の林飛帆氏は「この運動を通じて人々に台湾の運命は自分たちで決める」とのメッセージを伝えたと強調。「次の10年もこの道を前進し続けなければならない」として、「中国に台湾の未来を定義させてはならない。台湾の人々が自分たちの未来を定義するのだ」と語気を強めた。

ヒマワリ運動の直接行動主義は香港にも波及。14年秋には当局に対し「民主化」を求める「雨傘運動」が起きた。昨年9月、カナダに事実上亡命した周庭さんはリーダーの一人だった。(編集/日向)

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