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日本で失踪28年の中国人男性、老母が来日「探し出して好物だった手料理食べさせたい」

Record China / 2024年4月25日 14時30分

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李偉さんが東京都内で失踪したのは28年前の1996年2月で、当時は26歳だった。79歳の母親は、人生最後の願いとして息子を探し出したいと、このほど改めて来日した。

李偉さんは身長173センチ程度の中国人男性だ。東京都内で失踪したのは28年前の1996年2月で、当時は26歳だったから現在は54歳ということになる。79歳の母親は、人生最後の願いとして息子を探し出したいと、このほど改めて来日した。在日中国人の公益団体「龍組」(正式名称は龍在日華人援助協会)も、李偉さん探しに協力している。

突然の失踪、思い当たる点はなし

李さんは1989年3月に来日して、まず日本語学校で日本語を学び、1991年には日本大学理工学部に入学した。来日当初は親族の家に住んでいたが、新聞配達のアルバイトをするようになってからは、新聞社が用意した寮で生活した。しかし李さんの母親によると、1996年2月19日に、李さんが寮から姿を消したとの連絡を受けた。パスポートを含め貴重品は部屋に残されていなかった。

李さんが姿を消した日は同年の春節(旧正月)で、最後に確認されたのは前日に親族の家に行って大みそかを過ごした時だった。変わった様子は全くなかったという。

李偉さんの母親

李さんの母親が李さんと最後に会ったのは、1994年3月に李さんの父が病没して、李さんが葬儀に参列するために一時帰国した時だった。李さんの母親によると、自分の夫の死の直後だったのでぼうぜんとしており、息子ときちんと話すこともなかった。近況や将来について尋ねる余裕もなかったという。

李さんは日本に再び戻ってからも母親やその他の家族と連絡を取っていたが、もともと自分の心配事を話したがらない性格で、後になって思い当たるようなことは何も話していなかった。寮から姿を消した直後には、26歳にもなったので、引っ越しをしてからしばらく連絡を怠っているのだろう程度に考えていたが、それから28年が経過した現在も、音信不通のままだ。

ネット普及以前で、通信記録などの手がかりはなし

李さんの母は、しばらくしてから息子が失踪したと気づき、日本に行って探そうと思ったが、当時は海外渡航の制限が厳しくて実現できなかった。李さんの母は、息子探しをあきらめず、東京の華人メディアに人探しの広告を掲載したり、日本にいる親族に探してもらったりした。

71歳になった特にパスポートを取得できたので、日本に行って息子を探した。大きな問題は、李さんが姿を消した時期はインターネットの利用が本格化する前だったので、通信記録を調べるなどもできず、手がかりが極めて少ないことだった。

李偉さん

母の願い「息子に手料理を食べさせたい」

このほど来日した李さんの母は、「28年もたっているので、見つかる見込みが少ないことは分かっています」と語った。しかし、体が衰えつつあることを日に日に実感している現在は、1万分の1の希望でもあれば、まだ歩けるうちに探し出し、李さんの好物だった手料理を食べさせたいと願っている。

李さんの母によると、李さんの父も自分も仕事が忙しくて、少年期の李さんのそばにいることがあまりできなかった。子供にとって必要な「愛情のかけ方が不足していた」と思え、そのことに罪悪感と負い目がある。李さんはそんな状況でも幼いころから物分かりがよく、いつも一生懸命に勉強をして、妹の世話もよくしたという。

李さんの母は、自分の年齢からして遠くない日に、自分の夫や先祖と再会することになっても、自分の口から「息子を失ってしまいました」とはとても言い出せないと思い悩んでいる。李さんについては「日本のどこかで、私が迎えに来るのを待っているのかもしれない。帰る道を忘れたのかもしれない」と考えている。李さんの母は息子に向けての言葉として改めて、「あなたがどんな姿になっていても、あなたはずっと私の息子です。私と血がつながっています」と語った。

李さんの母親(写真中央)と李さん探しに協力している龍組

在日中国人の公益団体が李さん探しに協力

李さん探しに協力している龍組は、関連情報を知る人がいれば、電話番号080-4729-6686に伝言を残すか、微信アカウントの「arking7188」にメッセージを残してほしいと呼びかけている。

龍組は2021年9月に、新型コロナウイルス感染症の流行下にあって、言葉のハンデやその他の原因で困難に直面する在日中国系住民を支援することを当初の目的として結成された。その後は同胞を対象にする活動だけでなく、「海外在住華人として現地に対する責任を果たす」などの考えに基づき、一般的な公益活動も手掛けるようになった。最近の活動事例としては、1月1日の能登半島地震の発生直後に支援物資の活動に着手して、「現地に負担を追加しない」を徹底するために入念に情報収集するなどした上で、自らの手で大量の物資を現地に送り届けたことがある。(取材・構成/如月隼人)

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