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シンディ・ローパーが語る「最後のツアー」への決意、女性として闘ってきた音楽人生

Rolling Stone Japan / 2025年1月24日 17時30分

Photo by Ruven Afanador

シンディ・ローパー(Cyndi Lauper)の6年ぶり、通算15度目にして最後となる単独ジャパン・ツアーが4月に開催される。4月19日(土)の大阪公演に加えて、東京2公演は即日完売となったため、4月25日(金)に日本武道館での再追加公演が決定。永遠のポップ・アイコンが自身のキャリアを締めくくるフェアウェル・ツアー、インスパイアされた音楽界のレジェンド、なにがなんでも諦めないことの大切さについて語った。

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昔からシンディ・ローパーは「静かになにかをする」とは無縁の人だった。80年代にポップ・アイコンとしてメジャーシーンに躍り出てから約40年が経ったいまも、ローパーは音楽シーンを揺さぶり続けている。そんな彼女は、自身のキャリアを締めくくるフェアウェル・ツアー「Girls Just Wanna Have Fun Farewell Tour」をスタートさせたばかり。10月18日のカナダ・モントリオール公演を皮切りに、12月5日のシカゴ公演まで北米のアリーナをまわる。オープニングアクトは、姉妹デュオのAly & AJや、アマンダ・シャイアス、エル・キング、トーンズ・アンド・アイ、ゲイルといったシンガーソングライターに加え、ドラァググイーンのトリクシー・マテルらが務める。ローパーとともにスタイリッシュにアリーナをロックさせることは間違いないだろう。今回のフェアウェル・ツアーは、ニューウェーブのフェミニズム宣言となった革新的なデビューアルバム『Shes So Unusual』(1983年)や、「Girls Just Want to Have Fun」「She Bop」といった初期の名曲からはじまる、ローパーの波乱万丈のキャリアを讃えるセレブレーションでもある。ローパーは、ハリのあるハイトーンボイスとはちゃめちゃなヴィンテージファッション、都会っ子らしい小生意気な態度、そして鮮やかなピンクヘアーによってMTVを征服したニューヨーク・シティガールだった。あるときは「Time After Time」「True Color」「All Through the Night」のようなバラードを熱唱して私たちの胸を打ち、あるときはパワフルに「Money Changes Everything」を歌い上げるローパーに世界が夢中になった。

だが、それはほんのはじまりに過ぎない。2013年には全曲作詞作曲を手がけたブロードウェイ・ミュージカル『キンキーブーツ』がトニー賞のミュージカル部門の最優秀作品賞を受賞。音楽活動のほかにも、女性の権利を支援するために立ち上げた基金「Girls Just Want To Have Fundamental Rights」を通して声を上げ続けている。2023年には、ローパーの人生とキャリアを描いたドキュメンタリー『レット・ザ・カナリア・シング』が公開された。71歳を迎えても、誰にも左右されない強い自立心は健在だ。それどころか、いまだかつてないくらいエネルギーに満ちあふれている。本誌のインタビュー中、突然、牛乳とクッキーを喉に詰まらせて激しく咳き込んだりする姿なんかも、いかにも彼女らしい。そんな彼女が自身の音楽人生とフェアウェル・ツアー、自己流の闘い方、人気バンドのライブに潜り込んだエピソード、自身の”声”との出合い(と喪失)、さらには歌手で女優のバーブラ・ストライサンドへの愛情について語ってくれた。




—フェアウェル・ツアー開催おめでとうございます! いよいよはじまりましたね。

ローパー:そうなの! 死ぬまでにやりたいことがひとつ叶ったわ。アリーナツアーは1986年以来ね。(本国アメリカで)才能あふれる若い女性アーティストたちと一緒にツアーができることに、心からワクワクしている。女性アーティストだけのツアーなんて無理、誰がそんなものを見に行くんだ?って長年言われ続けてきた。「女性アーティストは、男性アーティストほど売れない」って。でも、シェールと一緒にツアーをしたときは、大勢の人が会場に来てくれた。だから、ふざけんなって感じよね。

—若い頃の自分に何かアドバイスをするとしたら?

ローパー:決定権を持っている”門番たち”と必ずしも闘う必要はない、ということを伝えたい。大切なのは、その人たちを迂回する方法を見つけること。彼らの肩越しにある”向こう側の世界”を常に見るようにして、そこで起きていることを把握し、そこにたどり着くための方法を考えるの。自分のほうからすべての人に闘いを挑む必要はない。毎回それで上手くいくとは限らないから。

—ローパーさんご自身は、どのようなものと闘ってきたのでしょうか?

ローパー:腹立たしいことをうんざりするくらい言われた。「どうして〇〇さんみたいに歌わないの?」とか「Tシャツとデニムを着ないの?」とか。そのたびに「はいはい、ロボトミー手術を受けたら、言われた通りにしてあげるから」って聞き流していたけど。

実際、レコード会社の男の人にそう言われたことがあるの。その人は、いやらしい目つきで私のオッパイを見てから「Tシャツとデニムを着ればいいのに、どうしてそういう格好をしないんだ?」って言ったわ。でも、私と同じ信条をもつ仲間たちと出会えた。自分と考え方が似ている人と力を合わせれば、物事はもっとスムーズにいく。それがあるべき姿なんだと思う——毎回闘って解決しようとするのではなく。

アーティストとして目覚めるまで

—子どもの頃に憧れていたヒーローは?

ローパー:母がブロードウェイ・ミュージカルのサウンドトラックをたくさん持っていて、家でいつもそれをかけていたの。ある日、『ファニー・ガール』(同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品でバーブラ・ストライサンドの出世作。1968年公開)のサントラをかけてくれた。私にはイタリア人の血が流れているから(母親はシチリア系アメリカ人)、子どもの頃から家事を手伝っていたわ。地下室で洗濯をしながら、バーブラと一緒に声を張り上げて歌った。私にとってバーブラは、とても身近な存在だった。彼女のことなら、なにからなにまでわかっているつもりだった。

ある年のクリスマスに、いとこから『Meet the Beatles』(1964年)と『Meet the Supremes』(1962年)をプレゼントされたの。私にとって初めてのビートルズとスプリームスで、夢中になったわ。その日を境に、母の好きな音楽と私の好きな音楽が分かれていった。でも、当時のラジオ局はいろんなアーティストの曲をごちゃまぜにオンエアしていた。あるときはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲を流していたかと思えば、あるときはソニー(・ボーノ)やシェール、さらにはエリック・クラプトン、ジョーン・バエズ、オーティス・レディングの曲をかけていた。まるで色とりどりの音楽が並ぶパレットのようだった。テレビでは、ジェームス・ブラウンのライブをよく観ていたわね。ステージの上でブラウンが力尽きて崩れ落ちると、司会者がコートをかけてステージから下がらせようとする。それを振り切ってブラウンがまた歌いはじめる、あの名物パフォーマンスを。いつか自分もあんなことができるようになる、なんてことは考えもしなかったわ。


Photo by Thiago Ribeiro/AGIF/AP

—曲づくりをはじめたきっかけは?

ローパー:最初はフォークシンガーになってギターを弾いたり、わけのわからないことをしていた。高校時代は”迷える魂”だったというか、音楽とアートの世界で自分の道を見失っていたの。家族は服飾関連の仕事——服の型紙を作ったり、生地を裁断したり縫ったり——をしていたから、私もファッションの勉強をしないといけなかった。でも、本当は歌いたかった。高校を退学し、仕事を転々とした。競馬場で働いたこともあるわ。(ニューヨークの)ベルモントパーク競馬場でホットウォーカー(引き馬を行う厩務員)をしていたの。ヒッチハイクしてバーモント州まで行き、犬小屋の清掃員をしたこともある。与えられた仕事はろくにできなかったけど。有名になる前に、すでにいろんな人生を経験したわね。

ロックシンガーになるのは難しいだろうと思っていた。女の私がロックを歌えるわけがないって諦めていたの。ロックを歌えるのは男性だけ。声を枯らして歌い、ウイスキーを飲んでいたジャニス・ジョプリンは例外だけど。ジャニスとグレイス・スリック(ジェファーソン・エアプレイン)は私のヒーロー、女性のヒーローだった。男性のように生き、それを歌にしたジョニ・ミッチェルにも憧れていた。ジョニ・ミッチェルは、自分でアルバムのアートワークを描いていた。それを知って「ワオ! ジョニ・ミッチェルは絵も描けるし、楽器も弾けるし、曲も書けるのね! 最高だわ! 私が求めているのは、こういう人生なんだ!」って思ったの。

—自分もそうした女性たちのひとりになれると気づいたのは、いつ頃のことですか?

ローパー:最初はグルーピーの女の子たちと、彼女たちのファッションや見た目に惹かれた。グルーピーは、まさにロックンロールそのものだったから。あの頃は、フィルモア・イースト(ニューヨークの伝説的なライブハウス)に行けば、ライブのチケットを持っていなくても、外でたむろするイケてる子たちとつるむことができた。一緒にいるだけでかっこよくなった気分になれる、最高の子たちよ。ある日、私は仕事を終えてフィルモア・イーストに向かった。その日の主役はオールマン・ブラザーズ・バンドで、ジョニー・ウィンターがリック・デリンジャーとエルヴィン・ビショップと一緒にオープニングアクトを務めることになっていた。私はグルーピーたちとライブハウスの外にいて、うっとりと彼らを眺めていた。チケットは持っていなかった。すると、グルーピーのひとりが言ったの。「どうやったらなかに入れるか知りたい? バンドが来たら、彼らと一緒に入ればいいの」って。すると、向こうからジョニー・ウィンターとリック・デリンジャーがやって来た。私は、ふたりの後ろにぴったりついてなかに入った。ロードマネージャー——名前はレッド・ドッグ——が私のほうを見たわ。ヤバいって思っていたら、突然、「何をしているんだ! 遅いぞ! もうステージに立っていなければいけない時間なのに!」と怒鳴られて、わけがわからなくなってしまった。どうやらマネージャーは、私をバックコーラスのひとりだと勘違いしていたみたい! おかげで、舞台の袖からエルヴィン・ビショップとバックコーラスの女性たちを観ることができた。それを観ながら、「私にもできる。不可能なことではない」って思ったの。

自身の”声”との出合い

—どのような経緯でご自身の歌声を見出したのですか?

ローパー:あるオーディションでのことだった。曲の途中でミスをしたけど、構わず続けたの。間違っているときも強くあれって言うじゃない? まさにその言葉どおりだと思うの。起きてしまったことは変えられない。だから、そこでふんばるしかない。そういうわけで、続けてグラディス・ナイトの「Ive Got to Use My Imagination」を歌うことにした。バックバンドもいたわ。ものすごく緊張して、思わず1オクターブ上げて歌ってしまった。その瞬間、自分でも出したことのない音が口から出てきたの。我に返ったときは、審査員の顔をぽかんと見つめていた。「驚いたでしょう? でも、私のほうがその何倍もびっくりしているんだから!」って思いながら。

これが私の音楽人生のはじまりだった。それからわりと早く声を失ったんだけど。でも、それは歌手である以上、避けられないことでもある。最初に声帯を損傷したとき、医者に「ローパーさん、こういうロックソングはもう二度と歌ってはいけません。声帯に負担がかかりすぎます。絶対にダメです。ダイナ・ショアのように、カントリー/ウエスタンの歌手に転向するべきです」と言われた。それを聞いて「私がダイナ・ショアに? 本気で言ってるの?」って思った。『愛の勝利』(1939年)で余命宣告を受けたベティ・デイヴィスみたいに、絶望しながら医者のオフィスをあとにしたのを覚えている。

—どのようにして歌声を取り戻したのですか?

ローパー:コーチについてボイストレーニングをしたり、ジャズスクールに通ったりした。でも、自分のロックバンドを脱退するつもりはなかったから、退学処分を受けてしまった。学校側は、私は生まれながらのジャズシンガーだと思っていたみたい。だからロックではなく、ジャズという自分にふさわしい領域で歌い続けるべきだと。でも、在学中はいろんなことを学んだ。レスター・ヤングのサックスのソロを一音一音完璧に歌わされたこともあった。ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルド、フランク・シナトラとか、いわゆるキャピトル・レコード黄金期の50年代のアーティストの曲も歌った。でも、結局は退学させられちゃったから、フランク(・シナトラ)と一緒にキャピトル・レコードの名曲を掘り下げることはできなかったわ。

—それでも、諦めなかったんですね。

ローパー:諦めたことなんて一度もないわ。当時は、バンド練習のために郵便局の前をよく通っていたんだけど————8thアベニューにあるスタジオで練習をしていたの——そこには「郵便配達員たちは、雨や雪、暑さ、闇夜にも負けず、郵便物を正確かつ迅速にお届けします」というスローガンが掲げられていたの。来る日も来る日も、それを読みながら「そうよ、これは私のこと」と自分に言い聞かせていた。たとえ雪、雨、みぞれが降ろうとも、私を止めることはできない。いつかはそこにたどり着けるから。諦めなければ、かならずたどり着けるって信じてた。




—座右の銘を教えてください。

ローパー:周りの人たちに親切であること。瞑想して、運動して、人生を楽しむことも必要ね。人生は短くて、あっという間に終わってしまうから。喜びの気持ちとともに創作するのも大切。

—ローパーさんといえば、周りに左右されない強い自立心の持ち主ですが、そうした態度を貫き続ける秘訣は?

ローパー:昔から私は、馬鹿げたことには耐えられない人間だった。でも、生きていると馬鹿げたことをうんざりするくらい浴びせられる。しばらくすると、もう十分っていう気分になって、その場から立ち去りたくなるの。そんなときは「いまそこに飛び込んで闘う必要はない」って考えるようにしている。なにかが間違っていると思ったときは、一歩下がってそれが去るのを待てばいい。一歩下がれば、物事の全体像がもっとよく見えるから。キャンバスに絵を描いて、美術の先生に「いいですよ。次は、一歩下がって自分の絵を見てみましょう」って言われるのと似ているわね。そうすることで、あなた自身の”絵”がもう少しはっきり見えてくるはずだから。

【関連記事】シンディ・ローパー独占取材 日本との固く結ばれた絆、今を生きる女性へのメッセージ

From Rolling Stone US.



Girls Just Wanna Have Fun Farewell Tour
2025年4月19日(土)Asueアリーナ大阪
2025年4月22日(火)東京・日本武道館 *SOLD OUT
2025年4月23日(水)東京・日本武道館 *SOLD OUT
2025年4月25日(金)東京・日本武道館【再追加公演】 
公演ページ:https://udo.jp/concert/CyndiLauper25

【シンディ・ローパーの代表曲・ヒット曲を今すぐ聴く】
https://SonyMusicJapan.lnk.to/CyndiHits  


シンディ・ローパー
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発売中
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再生・購入:https://sonymusicjapan.lnk.to/CyndiHits



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