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「なぜ私は母親から虐待を受け続けたのか?」“虐待サバイバー”の40代女性が対人恐怖を乗り越え、心の傷を回復するのために必要だった理解

集英社オンライン / 2023年9月6日 9時1分

重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。その根底にあったのは、幼児期の虐待経験だった。彼ら「虐待サバイバー」たちにとって、真の回復とは?生きづらさの背景には何があるのか。植原亮太氏の『ルポ 虐待サバイバー』より一部を抜粋、再構成してお届けする。

強い対人恐怖の背後に隠れていた虐待経験

虐待されてきた本当の理由を知るという、自身の生い立ちに関する理解は、“虐待サバイバー”の心の傷の回復には重要である。

しかし、これはつらい過程でもある。残酷な事実も突きつけられる。これまでのがんばりと我慢によって、必死に見ないようにしてきたものが眼前に次々と容赦なく現れ、深い眩暈(めまい)が襲い、心がよじれることもあるだろう。


彼らにとっての回復とは、深く自分に向きあう過程である。と同時に、私のようなカウンセラーにとっても、自分の限界と向きあうきっかけにもなる。

以下で、自身の過去に向き合うことで心の傷から回復した、ひとりの女性の事例を紹介したい。

「ひきこもるために生活保護費をだしてもらっているわけではないのに」と初回のカウンセリングで漏らしたのは、武田朱莉(たけだあかり)さん(43歳)である。彼女は強い対人恐怖が原因で、人と関わらず、ひきこもりの生活を長年にわたって送っていた。

私は、ごく簡単に生活保護になるまでの経緯と成育歴を聞きとった。そうして得られた情報は、彼女が虐待環境下で育ってきたことを示していた。

人前に出られないほどの極度の緊張。町を歩くだけでも嵩じる恐怖心。その背景には幼少期からの虐待が深く関係しており、愛着障害による影響があることを、私は彼女に伝えた。

これまでに通った精神科クリニックや親子関係を専門に扱うカウンセラーからは、親子の問題を指摘されることはあっても、愛着関係(筆者注:親との情緒的なつながり)そのものが「ない」かもしれないと指摘されたことは、なかったという。

どのカウンセリングでも共通することだが、その目的はクライエントが自分を深いところで知ること、理解することである。

「自分の気持ちを見ていくといいと思います」

いつもカウンセリングの終わりに私が伝えるのは、この言葉である。

なにも覚えていなかった母親

「自分の気持ちを見ていくといい、と言われて考えていました。私は、母からされたことが本当につらくて、怖くて。ずっと、そのことを母にわかってほしいと思っていたんです。

母に正直な気持ちを伝えれば、絶対にわかってくれると考えていました。多分、それは無理だとここで言われたので、先生への反抗もあったんだと思います。私の母は共感性が乏しいから、理解しあうことは無理だと、はっきり言われたのははじめてでした。

それで、急にたしかめたくなったんです。十数年ぶりに実家に行って、母と話しました」

と彼女は、前回と今回のカウンセリングのあいだの出来事を話しはじめた。

彼女の実家は、夜行バスで走り続けて7時間のところだった。十数年ぶりの母親との再会。駅で待ちあわせると、不機嫌そうな顔をして立っている母親がいた。

「勇気をだして、小さいころに叩かれて押入れに閉じ込められたのがすごく長い時間だったので、とても怖かったと、言ってみようと思ったんです。

そのとき、家はいろいろと大変でした。父は借金があってお酒ばかり飲んでいたし、弟は小学校に行きたくないと言っていたし。だから、母も大変だったんだと思って。そんな最中だったから、いまとなれば、あれはひどいことをしたと思ってくれているだろうと思ったんです。『悪かったね』と言ってくれるのを期待していた私がいました。

だけど母は、『そんなことあったっけ?』『あんたの記憶違いじゃないの?』『そんなことするはずないでしょ? 大事に育ててきたんだから』という返事でした。

もし母が本当に私のことを大事に思ってくれているのなら、ちょっとくらい連絡してきてくれてもいいのに、と思いました。それも言ったんです。そしたら母は、『あんたから電話してこなかったんじゃないの! こっちは忙しいのよ!』って。

しかも、私が受けた母からの暴力や暴言の数々は、母の頭から綺麗さっぱり消えているんです。そんな人に、私が一生懸命につらかったと訴えても、なんにも響かないというか。

すごく残念というか、なんというか、どうにもならないような、打ちのめされた気持ちになりました……。無力感です」

「掃除をしてもらうために迎えに行ったのに」

母親は、家に着くなり荒々しく玄関の扉を開けた。そして、どかりと板の間に座り込んで言った。

「あんたの話に付きあっていたら疲れた」

そういう母親の態度に、彼女はいつも怯え、機嫌をうかがっていた。

彼女は、母親に機嫌を直してもらおうとした。なにかしてほしいことはないかと聞くと、「掃除」とひとこと。彼女は従った。しかし、カビだらけになった風呂場の掃除をしていると涙が出てきた。それから少しして、彼女は言った。

「急な用事を思いだしたから、今日はもう帰るね」

それを母親は止めなかった。そして、再びひとことだけ言った。

「掃除は終わったんだよね? 掃除してもらうために、わざわざ駅まで迎えに行ったのに」

人の気持ちが考えられない母親

「言われたことは本当でした。本当だ、本当だ、って実家を出てきてバス乗り場に着くまで、何回も心のなかで繰り返していました。

私の母は人の気持ちを考えられない、だから行動の前後に整合性がない、それに、その場の感情で動いているから子どもの気持ちを汲みとれない、と言われたことを思いだしていました」

彼女は、私がカウンセリングで指摘したことを反芻(はんすう)したという。

気がつくとバスターミナルの待合に座っていた。いつの間にか乗るべきバスは到着していた。発車を知らせるアナウンスが聞こえてきて、慌てて飛び乗った。

「私のなかにある小さいころからの記憶が、母のなかでまるっきりなかったことになっていたんです。母のなかにないのであれば、それはもうないんだろうと思います。

私は母のなんなのか。母は私のなんなのか。私は、母になにを期待して、なにを求めてきたんでしょうか」

急に、これまでの人生の意味が失われたような気がした。と同時に、本当にひとりぼっちだったのだと思った。母親からの愛情を、必死に信じようとしていた自分が見えた――。

バスの車内。遠く離れていく自分の育った町を見た。あの無数にある家々のうちのひとつで、長いあいだ過ごしていた。小さな町の、小さな家だった。小学校からの帰り道は決まってひとりだった。その道を遠く離れて見ると、小高い丘に続く住宅街へとのびていた。

いつも向こうのほうの家に帰っていく子どもたちを遠くから見ていた。やさしいお母さんがいていいなと思った。手をつなげていいなと思った。授業参観にきてくれていいなと思った。おいしそうなご飯の匂いが家のなかから外まで漂っているのを嗅いで、「家庭」を感じた。風呂場できゃっきゃと騒いでいる子どもと父親の声を聞いて、「家族」を想像した。

いつの間にか治っていた対人恐怖

彼女が座る席の近くには、母親が女の子を抱きながら一緒に眠っていた。眠っているはずの母親なのに、柔和な表情で、すやすやと寝息を立てている女の子を見つめているかのようだった。

「あんなにやさしそうな眼差しで母が私のことを見てくれたことなんて、ないように思いました。私は、母に理解してもらおうと、がんばっていました。だけど、それは無理でした。そんな自分を理解したから、いままでのことは、もうどうでもいいです。叶いもしない願いのために、私は一生懸命だったんです」

彼女は、その小旅行の一部を私に聞かせてくれ、そしてこう付けくわえた。

「よく、がんばってきたんだと思います、私は……」

母親をたしかめに行った日から、また数週間が経った。

「もう少し、自分を褒めてあげようと思います。私は、あの家のなかでよくやってきたと思います。あの母のもとに生まれた自分がかわいそうに思えました。いまは、私が子どものころの私の母親になって、抱きしめて、頭を撫でてやりたいと思います。えらかったねと、言ってあげたいです。よく、ひとりでやってきたんだよと、言ってあげたいです」

――そう言って、彼女は静かに泣いた。

そういえば、彼女の最初の主訴であった対人恐怖は、いつの間にか治っていた。電車に乗ることができそうだという。もうしばらくしたら、就労移行支援事業所に通おうと思っていると報告してくれた。

「この前、久しぶりに家の近くの駅前を歩きました。いままでは、みんなが私の悪口を言っていると思ったんです。だけど、よく耳をすませると、私のことなんか話していないんですよ。当たりまえですよね。みんな、『今日のご飯どうしよう』とか『仕事を休みたい』とか、そんな話題でした。

いままで、自分が悪いという固定観念しかなかったですけど、それがなくなりました。私は、悪いことなんてひとつもしていませんでした。だからもう少し、胸を張って生きようと思います」

『ルポ虐待サバイバー』

植原 亮太

2022年11月17日発売

1,045円(税込)

新書判/256ページ

ISBN:

978-4-08-721240-2


田中優子氏・茂木健一郎氏推薦!
第18回開高健ノンフィクション賞で議論を呼んだ、最終候補作

生活保護支援の現場で働いていた著者は、なぜか従来の福祉支援や治療が効果を発揮しにくい人たちが存在することに気づく。
重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。
彼ら・彼女らに接し続けた結果、明らかになったのは根底にある幼児期の虐待経験だった。
虐待によって受けた”心の傷”が、その後も被害者たちの人生を呪い続けていたのだ。
「虐待サバイバー」たちの生きづらさの背景には何があるのか。
彼ら・彼女らにとって、真の回復とは何か。
そして、我々の社会が見落としているものの正体とは?
第18回開高健ノンフィクション賞の最終選考会で議論を呼んだ衝撃のルポルタージュ、待望の新書化!

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