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いじめ、オムツしてひきこもり、発達障害…自称「生きづらさ5冠王」の43歳男性が、給料泥棒と罵られ30回以上の転職を繰り返しても働きたい理由

集英社オンライン / 2024年3月30日 12時0分

「親が変わらないと俺は死ぬぞ!」死にたい衝動で後戻りできなくなった20年ひきもこりの男性が命を削って書いた『動くと、死にます。』という遺書〉から続く

いじめ、不登校、ひきこもりを経験し、転職をくり返した大橋史信さん(43)。親の理解が得られず追いつめられていく中で、そこから脱することができたのは、意外なできごとがきっかけだった。「回り道をしたけど、必要な時間だった」と言う大橋さんの人生を追った。(前後編の前編)

【画像】自らを「生きづらさ5冠王」と称する大橋史信さん

転校後に始まった陰湿ないじめ

大橋史信さん(43)は、自分のことを「生きづらさ5冠王」と称する。

①いじめ・不登校 ②家族との確執 ③発達障害 ④ひきこもり ⑤ワーキングプア……このうちの1つがあるだけでも生きづらさを感じることがあるのに、大橋さんの場合、すべてが自分に当てはまるのだという。



いったい、どんな人なのか。興味を抱いて会ってみると、とにかく人なつっこい。女性を見ると相手の年齢に関係なく「母ちゃん、母ちゃん」と呼んで、懐に飛び込んでくる。断続的に10年以上ひきこもっていたというが、そんな姿は想像できないくらい明るい。

大橋さんは1980年、東京生まれ。7歳上の兄がいるが、年が離れているため、一人っ子のように大事に育てられたという。幸せな日常が暗転したのは小学3年生のときだ。夏休みに引っ越して、新しい学校に転校して1週間後ぐらいからいじめが始まった。

「ガキ大将みたいな子がいて、最初は仲よくしてくれてたんですけど、その子がある日突然、僕をいじめるようになったんです。そうしたら、クラス全員対私みたいになって、教科書を隠される、物がなくなる、追いかけられる、蹴られる、悪口、無視……全部ありましたね。特にね、女子がひどかった。陰湿ないじめをする子が多くて、すごいきつかったです。

で、私、左目が見えなくなったんですよ。PTSDを起こしちゃって。目の視野が米粒っていうか、本当に弱くなっちゃって眼鏡をかけたんですよ。それぐらい、追いつめられました」

「いじめられるお前が悪い」

教師はいじめを止めてくれなかったのか。不思議に思って聞くと大橋さんは「逆、逆」と身振りを交えて否定する。

「いじめが本当にひどくなってきたときに、うちの担任は『大橋くんをなぜいじめるのか』という作文を学年全員に書かせたんですよ。それを私と親に読ませました。そういう先生。何が書いてあったか、もう詳しくは覚えていないですよ。私を非難する言葉とか、デブ、とかだったかな」

小学校の教師だった父方の祖母がいじめの話を聞き、教育委員会に訴えた。両親は学校の管理職とも話をしたが、返ってきたのは、信じがたい言葉だったという。

「転校生がちょっかいを出されるのは通過儀礼です」

大橋さんは学校に行くのをしぶるようになる。通学路で児童を見守る「緑のおばさん」と仲よくなり一緒に登校してもらったりしていたが、学校に行けず家にひきこもる日も多かった。

「うちの親は世間体をすごく気にするから、『いじめられるお前が悪い』、『お前が弱いからつけ込まれるんだ』とか、すごく言われました。それで、精神を叩き直してやるって、地域の警察官がやっている柔道教室に入れられたんです。ハハハハ。でも、自分の今のこういうキャラクターは昔から変わっていないので、警察官にはかわいがられたんだよね。同級生はダメだけど、年上年下はOKみたいな」

性に目覚めて両親とバトル

小学校高学年になると勉強についていけなくなった。特に苦しんだのは算数だ。割り算や図形の空間認識がまったく理解できない。運動も苦手なのに無理やり教師に鉄棒をやらされ、落ちて大泣きしたこともある。手先も不器用でおまけに音痴だった。

地元の中学が荒れていたので、進学塾に通って中学受験をしたが、不合格。越境して別の公立中に進み、いじめられることはなくなったが、新しい友だちもできなかった。

「私ね、性に目覚めるのが結構早くて、小学校でいじめられたころから傾向はあったんだけど、中学生になってひどくなって。女の子と付き合いたくてトラブル起こしたり、エロ本とか、いかがわしいもので喜んでみたり。性的な欲求を親に話すとぶん殴られたんですよ。両親ともに手が出たし、あとは兵糧攻め。要するに飯抜きが始まるので喧嘩になっちゃう。だから、中学時代は親子関係、きつかったっすね」

中学では吹奏楽部に入部。2年生のときは生徒会で会計をやるなど、自分なりにできることを探して頑張ったそうだ。

血尿、黄疸まで出て「高校は地獄」 

やがて推薦で私立高校に進学したのだが、本人曰く、暗黒時代の再来だったという。

「高校は地獄ですよ。数学とか理科系がほんとダメで、赤点取って怒られてばかりでした。担任が数学の先生で、指導の名のもとに自分のやり方を押し付けてくるから、チョー合わなくて。今思えば、僕、軽度の知的障害があるから勉強ができなかったんだけど、そのころはまったく気が付いてなかったから」

勉強面に加えて、苦しんだのは同級生とのコミュニケーションだ。

「これも、当時はわからなかったけど、高校時代から多動とか多弁とか、発達障害の気質が出ていたのかなって思う。同級生と話をしても、もう北と南って感じですれ違っちゃうし、相手にされない。掃除やっておいてとか、ノート見せてとか、いいように使われておしまいになる、みたいな感じで」

発達障害は先天的な脳の発達の偏りによるものだ。知的障害もそうだが、本人の努力で簡単にどうにかなるものではない。それなのに一番理解してほしい親にも、「怠けている、努力不足だ」と責められて、大橋さんはイライラを募らせていく――。

「一生懸命愛情を持って育ててくれたとは思うよ。教育とか食事とか。でも、親のよかれと本人のよかれが本当に違ったんです。

一番は『俺の話を聞け』ってことですよ。親は聞いてるつもりだろうけど、ちゃんと反応してくれない。だから“親が話を聞いてくれない”とずっと感じていたんですよね。私の話をありのままに受け止めて、『ああ、そうなんだ、あんたはそう思ったんだね』と言ってほしかったのに……」

大橋さんはストレスからか血尿や黄疸が出るようになる。だが、病院で検査をしても異常は見つからず、「お金の無駄遣いだ」と親からは怒られた。精神的に追い詰められて、カッターで手首を切ったことも。学校も休みがちになり祖父母の家にしばらく家出した時期もあった。

 給料泥棒と言われ、30回以上転職

ギリギリの成績で高校を卒業し、一般入試で大学の福祉系学部に進んだ。「人に感謝してもらえる仕事がしたい」と思ったからだ。だが、大学が合わず、すぐに行けなくなってしまう。結局、2年生が終わったときに中退した。

「うちの親父は六大学出身で商社に入ったけど、辞めて飲食店をやるようになったんです。父親には、お前にはサラリーマンは無理だとか、あれをするな、これもダメだって言われることが多くて。私が大学に行けなくなったとき、私に相談せずに、親が勝手に退学届を出したんですよ。それで親への不信感と、学歴コンプレックスだけが残ってしまったんですね。

その後の20代は自分探しの旅ですよね。福祉、教育、NPOとか手当たりしだい、いろんな仕事をして、クビになり……」

仕事は長くても1年くらいしか続かず、転職は30回以上におよんだ。同僚や上司とコミュニケーションがうまく取れず、「報告、連絡、相談」ができなかったことが大きい要因だという。

最初に就いた介護の仕事ではこんなことがあった。例えば、利用者の洋服を脱がせるときに2つのやり方がある。時間がかかっても自分でボタンを外させるか、介護者が代わりにやるか。大橋さんが勤めていた施設では、自分でやらせる方針だったのに、大橋さんはよかれと思ってやってあげていた。それを同僚が目にして、「違うやり方をしている」と問題になったのだ。

「最初に一言報告しておけばよかったんだけど、黙っていたことで大火事になっちゃう、みたいな感じですかね。頭ごなしに怒られると、私、耳を閉じちゃうんですよね。後からわかったけど、そういう傾向のある発達(障害)の人は、結構いるみたいです」

数字の転記をするとズレて書き写してしまうなど、ケアレスミスも多かった。業務の優先順位をつける、締め切りを守ることも苦手だった。

「期待に応えたい、認められたいという気持ちも強いので、最初に大風呂敷を広げちゃうんだよね。でも仕事をしていると、発達(障害)の特性もあって、ボロが出てくる。なんでこんなことができないのってなっちゃうわけですよ。それで注意されて、居づらくなって辞めることが多かったですね。給料泥棒、育てた親の顔を見てみたい、ってよく言われました。無断退職、俗に言うトンズラっていうのもやっています」

話しているうちに、当時の辛い思いがフラッシュバックしたのだろうか。大橋さんは突然、「ごめんなさい。しんどいので、一旦、やめてもいいですか」と言って話を中断。「続きは後日にしましょうか」と声をかけて見守っていると、すぐに落ち着きを取り戻し、再び話し出した。

部屋にひきこもり、歩けなくなる

大橋さんは仕事を辞めるたびに、自分の部屋にひきこもった。ネットへの依存がひどくなり、課金し過ぎて借金をしたことも。

「ボトラー、オムツラーって聞いたことあります? ボトラーっていうのはペットボトルに用を足すこと。オムツラーはオムツをしてゲームをすること。私もそんな風に、ガチのひきこもりをして一歩も出なかったときは、部屋の中を立って歩けなくなりました。体が弱ってしまい、息をしているだけで精一杯という感じでしたね」

そのまま何年もひきこもってもおかしくない状況だったが、しばらくすると大橋さんは部屋を出て仕事を探したという。なぜ働こうと思ったのかと聞くと、大橋さんはくったくのない笑顔を浮かべてこう答える。

「嫌なことはたくさんあったけど、働く楽しさとか、おもしろさも教えてもらえたから。利用者さんが元気になって、『ありがとう』って言われる喜びとか。人と関わることで、気付けたこともたくさんあるんですよね。まあ、そういう風に美化しないと、やってこれなかったのかもしれないけど、働くのをあきらめたことはないです」

働いては辞めて、ひきこもる生活は10年以上続いた。そしてそこから抜け出すことができたのは意外なことがきっかけだった――。

取材・文/萩原絹代 

「もう結婚も子どもも無理だね」母の言葉に「俺だって、こうなりたくてなったわけではない」…それでも知的障害と発達障害を抱える43歳男性がたどりついた場所〉へ続く

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