「バンド名もなし、牛がいるだけのジャケットでどうやってレコードを売るんだ!?」〈ジャケ買い〉を生んだ伝説のデザイン集団『ヒプノシス』、コンピュータもフォトショもない時代の熱い手作業
集英社オンライン / 2024年4月18日 11時0分
名作と呼ばれる音楽は、楽曲そのものとそのアートワークの両方で評価が高いものが多い。今回はロックのレコードジャケットが芸術的なキャンバスとなり得ることを証明した伝説のデザイン集団『ヒプノシス』のことを紹介しよう。〈サムネイル/『Atom Heart Mother (2016 Vinyl) (LP) 完全生産限定盤 [US輸入盤]』(Columbia/Legacy)〉
【画像】全英・全米1位という大ヒットを記録した伝説のジャケット写真
金欠の美術学生が掴んだピンク・フロイドとの初仕事
1968年のある日のこと。
ロンドンの安アパートに友人たちと同居していた金欠の美術学生ストーム・トーガソンは、アパートの住人の絵描きが成功したばかりのロックバンドのアルバムカバーの仕事を断ったのを見て、代わりに自分にやらせてくれと頼みこんだ。
ストームはすぐに「誰か一緒にやらない?」と友人たちに話を持ちかけた。するとオーブリー・パウエルがやりたいと言ってきた。ストームとオーブリーは二人で仕事に取りかかることにした。
正直、目の前のチャンスをつかんだものの、何をどうすればいいのかわからなかった。でも何とか仕上げてみた。それは同年に『A Saucerful of Secrets』(邦題『神秘』)というタイトルでリリースされた。バンドの名前はピンク・フロイド。
「これをきっかけに僕たちは一緒にビジネスを立ち上げ、ヒプノシス(Hipgnosis)と名乗ることにしたんだ。これは僕たちが住んでいたアパートのドアに誰かが引っ掻くようにして殴り描いた文字だった」(ストーム・トーガソン)
Hip(新しいもの)とGnosis(霊的意識)の合成語。「Hipnosis」であれば催眠術という意味になり、別のスペルでは「HiP&New」という意味にもなる。二人はこの言葉が気に入った。
その後、大学を卒業した二人は、1970年にロンドンのソーホーの東にあるデンマーク・ストリート6番地にオフィスとスタジオ用に2フロアを借りた。
デザインの仕事場というよりは、みすぼらしい衣料品工場のように見えた。打ち合わせの広間は、いつも暗室から漏れる定着液のきつい臭いに支配されていた。
だが、この場所で伝説的で独創的な仕事のアイデアが次々と生まれていったのだ。
コンピュータもフォトショップもない時代の熱い手作業
「僕たちはいつも自分たちに言い聞かせてきた。自分たちの作品は音楽そのものに匹敵するようなアートだって。音楽による聴覚的な経験と同じくらい、芸術的な価値のある視覚的な経験を創造することを常に考えてきた」(ストーム・トーガソン)
バンドの写真をカバーにするというお決まりのやり方を避けたからこそ、革新的にもなった。まずは手掛けるアーティストの音楽を聴いて歌詞を読んだ後、二人でアイデアを交換して練り上げていく。
それが固まるとスケッチに起こしていく。次に二人とも絵が下手だったので、友人のイラストレーターに頼んで描き出してもらう。そしてアーティスト側へ説明し、正式に話が決まればスケッチに基づいて本物の制作に取り掛かる。
写真素材がほとんどだったので、いろんなロケ地へ撮影しに行くといった流れだ。それはコンピュータもフォトショップもない時代の熱い手作業だった。
ほぼ毎日のように新しいプロジェクトが現れた。仕事を探す必要などがなかった。彼らのスタジオには、バンド、マネージャー、画家、イラストレーター、クリエーターなどが頻繁に出入りし、ポップカルチャーの中に高くそびえ立っていた。
レコード会社に縛られない力を持ち始めたアーティストたちは、彼らに自家用機、スタジオ、自宅、舞台裏など、本来は禁止されていた場所での撮影を喜んで提供するようになった。
激動の60年代後半から70年代前半の真のロック黄金期。そして巨大化と商業化していく70年代。膨大な予算と創造的な自由が、ヒプノシスを更なる成功に導いた。
MTVの登場で表現の場をビデオに移行したが…
ヒプノシスが生み出すアルバムジャケットには、時代の空気、ミュージシャンたちの音楽、そして純粋な作品としてのアートが結実していく。
「レコードの売り上げのためにアルバムジャケットを制作していたわけじゃない。何らかのアーティスティックなインパクトを考えて作ったのであって、マーケティングとかイメージ戦略とかそういうことじゃなかった。僕たちはミュージシャンが音楽を作るのと同じくらい、真摯な姿勢でジャケットをデザインしてきた。だから人々が長いこと僕たちの作ったイメージを楽しんでくれるのはとても嬉しい」(ストーム・トーガソン)
1978年には、アシスタントだったピーター・クリストファーソンが対等パートナーとなり3人体制となったヒプノシス。
そんな彼らに転機が訪れたのは80年代。MTVの登場だった。やり遂げた感があったという彼らは1983年に解散。
そして表現の場をビデオに移行するため、映像制作会社グリーンバック・フィルムズを起こすも、あえなく倒産。ストームはデザイン制作、オーブリーは映画制作、ピーターはビデオディレクターや音楽制作と別々の道を歩んでいった。
デザイン仕事を再開したストーム・トーガソンは、90年代以降もピンク・フロイドのほか、オーディオスレイヴ、マーズ・ヴォルタ、ミューズなどの新世代バンドのヴィジュアル世界を創造した。2013年4月18日に死去(享年69歳)。
ファンが捨てたはずのゴミを持ち去り、オークションに
オーブリーによると、ヒプノシスの仕事場は、プロジェクトが増えるにつれてゴミと混沌も拡大。スタジオは散らかり放題だったという。時には掃除に専念して、使わなくなったアートワークや却下された写真などは路上のゴミと一緒にして捨てられた。
今になってヒプノシスにまつわる品々がオークションにかけられているのを見かけるが、実はそれらはそのときに捨てたゴミをファンが引っ掻き回して持ち帰ったものばかり。しかし、彼らはそんなことは気にも留めなかった。
「次の仕事のことで無我夢中だった。ワクワクと興奮していて、後ろを振り返る余裕なんてなかった。前へ進むこと。それが僕たちの日々の規則だった。ヒプノシスのスタジオを通り過ぎていったすべての吟遊詩人、芝居じみた人々、奇人変人に敬意を表したい」(オーブリー・パウエル)
誰かが言ったそうだ。「フロントジャケットは牛だけで、バンドの名前が出ていない。これでどうやってレコードを売るんだ!?」──ピンク・フロイドやレッド・ツェッペリンの作品群に象徴されるように、アーティスト名やタイトルの文字を排除した、演出された写真や斬新なデザインだけの表現手段はヒプノシスの真髄であり、ロックのレコードジャケットが芸術的なキャンバスとなり得ることを証明した歴史的な仕事だった。
文/中野充浩、TAP the POP
*参考・引用
『ヒプノシス・アーカイヴス』(オーブリー・パウエル著/河出書房新社)
『ロック・ミーツ・アート』(ストレンジ・デイズ)
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