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〈那須2遺体〉「4月末には片づける」“番頭”の関根容疑者は経営をめぐってクーデター画策か? 事件直後には得意の英語で部下に指示も。司令塔の逮捕に従業員は「これからどうすれば…」

集英社オンライン / 2024年5月7日 21時38分

〈那須2遺体・急展開〉「店を取られるくらいなら取ってやるか」きっかけは店の“主導権争い”か? 商才に長けていた刺青“番頭”関根容疑者の暴走…「アニキ」とは宝島ロードで談笑も〉から続く

東京・上野で焼き肉店や居酒屋など14店舗を展開する「サンエイ商事」の宝島龍太郎社長(55)と妻の幸子さん(56)が殺害されて栃木県那須町で遺体が見つかった事件は、夫妻の長女の内縁の夫、関根誠端容疑者(32)=東京都世田谷区=が死体損壊容疑で逮捕されたことで、サンエイ系列の店が並ぶ「上野中通り商店街」は衝撃に包まれた。コロナ禍で従来の飲食店がバタバタ倒れた後を埋めるように出店を続け、通りを「宝島ロード」と呼ばれるまでに存在感を高めたサンエイ系列店を差配する司令塔がいなくなってしまったからだ。

〈連続写真〉宝島さんと関根容疑者のツーショット、サングラスをかけ“ライバル”店“にのりこむ関根容疑者など

坊主頭で高校時代はソフトボール部

関根容疑者逮捕の一報が伝わった直後の5月7日未明、小雨が降り始めた宝島ロードは沈痛な空気に包まれた。

サンエイ系列では「24時間営業」をうたってきた店も日付が変わるころには次々と閉店し始めていたが、家路に向かう従業員らのほとんどは、関根容疑者逮捕については「何も言えません」とだけ答え、足早に去った。「どう考えていいのかわからない」と口にする店長もいた。

そんな中で、系列店の外国人男性店員は、宝島さん夫妻が遺体で見つかった4月16日以降に様変わりしたグループの様子を振り返った。

「セイハさん(関根容疑者)は、事件が起きる前はよくママさん(幸子さん)と一緒にお店に指示を出しにやって来ていました。自分で直接来ないときも、スマホのショートメッセージで指示がきました。僕はまだ日本語よりも英語のほうがコミュニケーションが楽なんですけど、セイハさんはそれを知ってて、いつも英語でメッセージを送ってくれていたんです」(男性店員)

関根容疑者の英語力は“本物”だったようだ。高校の同級生も「彼は英語科にいたので英語は得意だったと思いますよ」と証言する。

「関根は入学当初から坊主頭で、野球部出身で部活はソフトボール部でした。お調子者で友達も多くリーダー格。とはいえ不良には見えず、だから今回の変貌には驚きました。皆から『関根』『セイハ』と呼ばれていました。身長も高く女子にも人気でしたが、彼女はいなかったと思います。態度もでかくて、クラスメイトに『おまえ、じゃがいもみたいな顔してるなー』っていじって笑いをとっていました。ですが高校2年の頃になんらかの理由で退学しています」

「宝島か関根か、どちらにつくのかと言われるかもしれない」

一方、殺害された宝島さんは20年以上前に中国から留学生として来日し、そのまま日本に定住した。

「留学生時代にアルバイトで頑張って金をためて、羊肉の串焼きの店を開いていた。そこは経営がうまくいかなくて店をたたんだけど、たしか幸子さんはその串焼き店に客として出入りして宝島さんと知り合ったと聞いた。

宝島さんはその後、串焼き店の失敗を活かして飲食業に本格的に乗り出して、上野に集中的に店を開くまでになった」(上野の飲食店関係者)

その宝島夫妻の長女と関根容疑者が出会って内縁関係となり、関根容疑者は宝島夫妻の飲食業経営を支えるマネージャーとして頭角を現していく。

ときには近隣の店との客の奪い合いに端を発したトラブルで、幸子さんと一緒に相手の店に乗り込むなどサンエイの経営に体を張っていたようにもみえる。

だが実際はそれほど単純な人間関係ではなかった。♯22で指摘した通り、サンエイが系列としてうたっている14店舗のうち、関根容疑者が事実上経営をしている店が5店舗程度あり、ここの売り上げが好調だったことをおもしろく思わない宝島さんと関根容疑者との間で経営の主導権を巡る軋轢が深まっていた。

宝島さんが実権を奪おうとしたことに反発する関根容疑者が「(店を)取られるくらいなら、こっちから取ってやるか」と口にするのも知人が聞いており、対立は深まっていた。

「関根容疑者は今年2月、系列店の店員らにSNSで、自分が主導してきた店のスタッフへの賃金支払いは4月から宝島社長が行うようになるので賃金が下がる人もいるかもしれない、と伝えています。

そのメッセージの中で『納得できなければ言い返せ』『宝島か関根か、どちらにつくのかと言われるかもしれない。思いの丈を(宝島社長に)伝えて構わない。その結果何か嫌なこと言われるかもしれませんが。私はみんなの側にいる』とも表明していました。そして『4月末までにはすべて片付けます』とも書いていました」(店舗関係者)

「4月末」とは、今回の事件のことを念頭に置いていたのだろうか。

事件後、関根容疑者が指示を出した最初のメッセージ

関根容疑者の逮捕後、“関根派”の系列店のスタッフの一人は「関根さんは本当に思いやりがあった。名前入りの店のユニフォームをくれるとか、配慮が深い人だった」と話し、大きな衝撃を受けているようだった。

一方、“非関根派”の店のメンバーは「セイハさんは“自分の店”では料理を運んだり細かい仕事をやったりしていたけど、そうじゃない店には指示に来るだけだった」と話し、サンエイの店員の中でも関根容疑者に対してはさまざまな見方があったことをうかがわせた。

宝島さん夫妻の遺体が見つかった直後の4月17日午前2時すぎ、関根容疑者は経験がある外国人スタッフに「tomorrow every shop are close can you tell everyone(明日店をみんな閉める。みんなに電話してくれる?)」とメッセージを送っている。

宝島社長がこの世からいなくなり、自分ですべての店を仕切ることになって最初の指示だったとみられる。だがその後、関根容疑者はメッセージによる指示は続けたものの、宝島ロードには一度も足を踏み入れず、メッセージも5月1日を最後に途絶えたという。

店員の一人は「今は誰も指示する人がいない。どうしたらいいのか、わからない」とほぼ全てが閉まっていた。関根容疑者は、自分が育てた店舗さえも漂流することになった今の事態をどう受け止めているのだろうか。捜査はまだまだ続く。

取材・文/集英社オンライン編集部

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