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「即戦力だと聞いていたが、この程度か」広岡達朗がルーキー辻発彦に浴びせた“洗礼”

日刊SPA! / 2024年3月20日 15時50分

ゆっくり転がるボールに対して、タイミングよく自分の型で捕る反復練習だ。見た目が地味なだけにやっている選手は面白味を感じない。しかし、捕球の際に安定した形を身体で覚えることこそ、速い打球にも対応できる一番の近道。やみくもにノックの嵐を浴びせられてなんとか捕ったとしても、基本の型ができていなければ結果は安定しない。辻は、やっていくうちにこの練習の意図がわかってきた気がした。

広岡は、やはり細かいことまで教えない。

「ただここに来たボールをすっと捕って、すっと投げればいい」と手本を見せてくれる。

辻はそれを見て「確かにこれが基本だよな」と思った。
捕りました、さあ投げますよ、じゃダメ。すっと捕って、すっと投げるためには、どうすればいいかを自分で考える。まずは上半身を動かさずに捕る構えを決める。構えさえ早めに決まれば、あとは足を使って捕るだけ。捕球時にちゃんと自分からボールを迎えに行けば、自然とグラブは下から上に上がってくる。しかし、最後までボールを見ようとすると頭は下がってグラブは上から下に行くし、捕る時にはもう投げる方向を見なきゃいけない……考え出すときりがない。こうやってみずから熟考することが、プレーの質を上げていく。

どれだけ自己鍛錬してプレーの質が向上しようとも、広岡は絶対に褒めてくれない。ただ唯一、辻、鈴木康友、行沢の三人でバックトスの練習をしている時に広岡が「人間、何かひとつ取り柄があるもんだな」とボソッと発したことがあった。辻は今も、この言葉が広岡からの最高の褒め言葉だと捉えている。

辻の良さは、人当たりだけじゃなく、貪欲に何かを吸収しようとする姿勢にあった。自分は下手くそだと思って春季キャンプに参加し、人から盗めるものはすべて盗もうと目を皿のようにして他の選手の動きを見ていた。辻には、驕りがない。それでいて努力家。だから広岡は、こいつはモノになると思って目をかけた。
(次回へ続く)

【松永多佳倫】
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

―[92歳、広岡達朗の正体]―

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