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「選手からすれば最も説得力がある」辻発彦が明かす広岡達朗独自の指導法

日刊SPA! / 2024年3月26日 15時51分

この日の試合で、辻は広岡の言う通りバットを短く持って打席のホームベース寄りに立った。すると、南海のエース山内孝徳から2本のツーベースを放った。監督の言う通りにしたら、打てた。2本のツーベースを打った感触がまだ残っている手を見ながら、心のモヤモヤが取り払われた気分になった。

すぐに結果を出した辻は、この日を境にバッティングにも自信が持てるようになり、打率も上がってきた。ホームベース寄りに立ったことが功を奏したのか、ランナーがいるときにはライト方向にもおっつけて打てるようになった。こうして先発で起用する機会がどんどん増えて、次の年からレギュラーとして全試合出場。初めてゴールデングラブ賞とベストナインを受賞する。

85年に広岡が辞任するまで2年間だけのつながりだったが、ここでの教えが辻を一流に育て上げた。

◆辻が学んだ広岡野球の大切なこと

人間、長い人生の間、苦渋の決断をするときが一度や二度必ずあるものだ。

辻にとっての決断は、1995年のオフではなかろうか。

93年に3割1分9厘で首位打者を獲ったものの、翌年はシーズン後半に腰を痛めたせいで打率は三割を切った。そして九五年も腰痛のため試合数が激減し、ルーキーイヤー以来最低の成績。このシーズンは辻にとって屈辱的なシーンがあった。

4月22日の西武対日ハム戦、西武先発は郭泰源、日ハム先発はエース西崎幸広。西崎は近鉄阿波野秀幸とともにトレンディーエースとして一世を風靡し、端正な顔立ちでプロ野球の女性ファン層の拡大に大きく貢献したピッチャーだ。辻は、西崎と相性が良かった。一対〇のまま四回の二打席目に入ろうとバッターボックスへ向かおうとしたそのとき、スタンドが何やらざわつき始めた。

「ん? どうした?」

辻が辺りを見回した。監督の東尾修がベンチから出てきて代打を告げたのだ。この交代に、辻は不服というより頭がこんがらがった。

「まだ試合は序盤だし、西崎との相性が良い俺を交代?」

解せなかった。37歳のベテランである自分を信じてもらえてないことに、憤りを感じた。バットを持って下がり、ベンチ裏の素振りができるミラールームに行くと、置いてあった椅子をガシャーンと思い切り蹴り上げた。怒りに任せてモノに当たったのは初めてだった。このシーンが起点となったのか、生まれて初めての行為により、辻のなかでせき止めていた思いが決壊し始めたのかもしれない。シーズン終了後、二軍コーチのオファーをされると同時に引退を勧告された。

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