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尾野真千子の“ある部分”をつい見てしまう理由。色っぽい濡れ場でも気になる“場所”とは

日刊SPA! / 2024年3月27日 15時51分

「この漬物も『珍しい漬物』として主人公がミヤゲに持って帰りましたが」と前置きがありつつ、猪肉と同様だった。『GOOD NEIGHBORS』(J-WAVE)に冨永監督がゲスト出演したときには、オダギリさんから「一言で言うと、不思議な人ですね。(中略)頭の中を見てみたい、僕にとってはそういうタイプの人」 とコメントがあったけれど、ほんとうにそう。

石原さとみ出演のサントリービール「NO.1」篇でディレクター役の男性俳優が冨永監督にあまりにも似ていたものだから、あのときも思わず「先生ですか!?」とメッセージを送ると、ほんとにそうで驚いた。なんだろうか、定期的にインパクト大で登場する冨永監督って……。尾野真千子に続いて今度は監督の存在論的な問いが急浮上?

◆AI化した尾野真千子が登場するかも?

フランスの批評家ロラン・バルトがいうように、映画でもドラマでも作品は常に見る側に広く開かれている。観客や視聴者、批評家の考察、解説、それから妄想は多様であって然るべきだけれど、冨永監督の作品は作り手の意図したことの先で、あとは野となれ山となれ的な豊かな楽しみ方がある。

だからこそ、大学時代から強く惹きつけられてきた。つい最近だと、池松壮亮(監督コース出身の先輩)主演のジャズ映画『白鍵と黒鍵の間に』(2023年)がドンズバ。音楽プロデューサーの松尾潔さんが日刊ゲンダイの連載「松尾潔のメロウな木曜日」で取り上げているのを読んで、劇場に駆けつけると、これがたまらない運動体映画だった。

1986年、ある夜の銀座。冒頭数カット、実景がつながれただけでもうため息。池松扮するピアニストが、クラシックからジャズに転向するきっかけとなる先生が、軽く鍵盤に両手を添えてざれ弾くとき、くわえている煙草の灰がぱらぱら。クラシックの世界じゃ絶対にあり得ない鍵盤上のジャズ的現実に目が釘付け。

煙草の灰のパラパラ運動体の佐野さんを豊かな細部として、ここでも運動っぽいものが最終的に回収され、一人二役的に振る舞う池松壮亮の完全体が現れる。これはやっぱり尾野真千子と同様、俳優が有機的にカスタマイズされる冨永監督作の一例。きっと次は、AI化した尾野真千子が登場したりして(と、妄想はさらに膨らむ)。

<TEXT/加賀谷健>

【加賀谷健】
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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