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パセラ“2代目”跡継ぎ娘、社長就任の知られざる舞台裏。カラオケ業界のコロナ苦境を乗り越えて

日刊SPA! / 2024年3月29日 8時52分

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「カラオケパセラ」を運営する株式会社NSグループ 社長兼CHO(最高人事統括責任者)の荻野佳奈子さん

コロナ禍で大きな打撃を受け、苦境に追い込まれたカラオケ業界。
だが、2023年にWHOが緊急事態宣言を終了すると発表、人流や宴会需要の回復に伴って再び活気が戻りつつある。

コロナ明け2年目となる2024年は、カラオケ各社も生き残りに向け、真価が問われる局面だと言えるだろう。

こうしたなか、業界最多の190万曲数を誇り、首都圏および大阪を中心に24店舗を展開しているのが「カラオケパセラ」(以下、パセラ)である。

また、アニメ・ゲームとの常設コラボ店舗や、“推し活”を応援する「推しカラーアフタヌーンティー」、料理の味に満足できなかった場合に返金する「お味保証制度」など、パセラならではの独自性を追求しているのが特徴だ。

パセラを運営するNSグループ(ニュートン・サンザグループ)は、2023年4月に創業者の娘である荻野佳奈子さんが跡取りとして引き継ぎ、新体制のもとで事業に取り組んでいる。

じつは、荻野さんは先代に「社長をやらせてください」と直談判したそうだが、その裏側とは……。そして、“2代目”として約1年が経とうとしているが、彼女が見据える未来とは!?

◆マイナスイメージを払拭するため、カラオケ業界へ後発で参入

パセラの歴史は今から30年以上前までさかのぼる。

1992年にパセラ池袋西口を1号店としてオープンさせると、そこから怒涛の勢いで店舗数を拡大していく。

池袋、御徒町、秋葉原、上野、新宿、お茶の水など、都内の主要エリアに出店し、90年代に事業の礎を築いたのだ。

幼少期から、経営者である父(荻野勝朗氏)の背中を見て育った荻野さん。
だが、「小さい頃に、父がカラオケに連れて行ってくれた記憶は一度もない」と語る。それなのに、なぜカラオケビジネスを始めたのか。

実は当初、日本最大級の遊技場を目指す予定だったものの、想定以上の大失敗に見舞われ、存続の危機に陥ってしまったのだ。そうした状況下で社員数名が集い、緊急で開いた会議であがったのが、カラオケのアイデアだったという。

「熾烈な競争を繰り広げていたカラオケ業界に後発で参入したのは、『汚い・まずい・不親切』という“3つの負”に着目したからです。真反対の『綺麗・美味しい・親切』で他社と差別化し、この業界のマイナスイメージを払拭できれば勝てる。そう信じてパセラ事業を立ち上げたのです」(荻野さん、以下同)

◆独自の付加価値を追求し「歌いに行く場所」から「ハレの日を過ごす場所」へ

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