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「自分が信じる正義はちょっとしたことで転覆する」“信じること”の意味を問う長編小説/角田光代・著 『方舟を燃やす』書評

日刊SPA! / 2024年4月2日 8時50分

 飛馬は小学生の頃に母親を亡くしている。体調を崩して入院した母親を見舞いに行った際、病院内の談話室で、母親と同部屋の患者が「手術で開腹したけど、(癌が進行して)もうどうすることもできなかった、という話だよ」と話しているのを耳にして、「この話は母親のことだ」と思い込む。母から自身の病状が思わしくないと聞かされた飛馬は、談話室で聞いた内容と母の言葉をリンクさせて病室で慟哭してしまった。飛馬の母親はそれから間もなく亡くなった。飛馬は自分が泣いたことで母親に「自分はもう助からないのだ」と察知させてしまった、という後悔を抱えている。

 不三子は妊娠後に参加した講習会を通じて肉や魚、化学調味料を使わないマクロビオティックの食事法に出合い、「家族に健康にいいものを食べさせたい」という願いから家庭内に取り入れていく。しかし「身体に悪いものは取り入れない」という考えの不三子の食事方針は、夫や子供たちとの間に少しずつ距離を与えていく。小さな隙間を生みながら続いていた親子関係は、やがて決定的な亀裂が入る出来事を迎える。

「なぜこんなふうになってしまったんだろう」という欠落感を抱えた二人は、やがて子ども食堂を運営する地域プロジェクトで一緒になる。しかしそこでやってきたのはパンデミック。「これは危ない」「これがいいらしい」という情報が錯綜する世界だった……。

 後半、飛馬は公的なSNSアカウントの「中の人」としての業務を請け負うが、そこで余計なことを書き込み、拡散されて炎上騒ぎになってしまう。飛馬も不三子も、「よかれと思って」やったことが火種を作ってしまう。「そういうことはやめてほしい」と周囲に言われて一応はわかった返事をするが、本質的にはそんなふうに言われる意味がわからない。心中は反省でなく、「なぜこの人はわかってくれないのだろう」という憤りに近い戸惑いを抱えている。

 それは二人が信じてきた「正しいこと」が、他の人の考える「正しいこと」と少し違っているからだ。「正しさ」は、その人が何を信じてきたかで形作られていく。そしてそれは「限られた情報源の中で、人は何を信じるのか」というテーマにつながっていく。

 私たちは、どんなときも「自分が正しい」と思っている。けどその判断の根拠になるものは、自分が「何を信じてきたか」なのだ。

 こうしたら他人は喜ぶ。こうしたら社会のためになる。その判断の基準になるのは親や家族であり、他人やコミュニティであり、テレビや雑誌であり、インターネットやSNSなのだ。そこから聞いたもの、見たものがその人自身を作っていく。そしてそれは一人一人、みんなが違うものを見ており、「ここが大事なところだ」と考えてる箇所が少しずつ違っている。

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