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「巨人で死ぬ」引退を決意した広岡達朗に昭和の大人物が介在。後悔した“男の引き際”

日刊SPA! / 2024年6月15日 15時52分

「よっぽど俺のバッティングが信用できないのか……」

屈辱に塗れた広岡は首脳陣を見向きもせず、そのままロッカーへと直行し、帰ってしまった。試合放棄だ。

広岡は家路に着く途中もカッカと煮えたぎっていた。監督の川上と長嶋だけがわかるサインを出したとしか思えない。二年前にも同じことがあった。同じ国鉄戦で延長一一回、二対一と 点リードされた場面の二死三塁でのホームスチール敢行。この場面はまだわかる。でも、〇対二で 点差で負けていて、七回一死三塁の場面ではまず考えられない。

「監督と長嶋の間だけのサインなんて、そんなのサインじゃない。怒るのは当たり前。長嶋は好い奴だからサイン通りやっただけ。後でどうなるなんて考えていないから。問題は川上さんよ。俺を嫌っているだけでなく、こんな仕打ちをするのかという怒りと苛立ちで、そのまま家に帰ってやったよ」

この事件により、広岡と長嶋の不仲が始まったと流布されているが、そんなのはデマ。ふたりの関係にはまったく支障がなかった。この事件により巨人内における広岡の立場が危うくなり、巨人史上稀に見る大問題へと発展していくのだった。

◆広岡達朗の引退宣言にあの正力松太郎が……

試合を放棄して家に帰ったものだから、球団内ではトレード話が再燃した。事件が起きた1964年シーズンは三位で終了。10月から秋のオープン戦が始まるが、メンバーに広岡の名前はなかった。その頃、報知新聞に川上監督のインタビュー記事が掲載され、広岡について「トレードに出すかは検討中。近日中に結論を出す」と発言したことで、各誌が一斉に広岡トレードを報じ始める。巨人軍内部で広岡が異端視されているのは周知の事実となった。

報道は過熱するが、広岡のもとに巨人からの連絡は一向に来ない。広岡はどこかで腹を括るしかないと考えていた。広岡の師である思想家の中村天風に、自分の思いの丈をすべて吐き出した。天風は目を瞑りながら微動だにせず話を聞き、何かを悟ったようにカァーッと目を見開き、こう言い放った。

「それなら巨人の広岡として死ね!」

天啓に打たれたようだった。大巨人の看板を支えてきた自負がありながらも、川上との確執による葛藤、懊悩、責苦が入り混じって心身とも疲弊していた広岡は、肩の荷が下りた気がした。背中を押された思いで、現役を退くことを決意する。

早速、巨人軍のオーナーである正力亨に電話をし、邸宅を訪ねた。単刀直入に引退する旨を告げると、亨は陰りのある表情を浮かべた。

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