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「巨人で死ぬ」引退を決意した広岡達朗に昭和の大人物が介在。後悔した“男の引き際”

日刊SPA! / 2024年6月15日 15時52分

「君の気持ちはわかった。しかし私の一存では何も言えない」

亨では捌ききれないということで、亨の父である正力松太郎が裁定する話となった。

正力松太郎といえば〝読売興隆の祖〟であり、日本にプロ野球を作った大人物である。戦後は国務大臣、初代科学技術庁長官などを歴任しただけでなく、テレビの誕生・発展にも貢献し、日本のテレビ界の父とも呼ばれる。もはや歴史上の偉人といっても過言ではない正力松太郎がいちプレーヤーの処遇で動くことなど前例がなく、ありえないことだった。

◆「辞めることまかりならん」と一喝。広岡達朗がとった行動は?

正力松太郎から至急面談したいと呼び出しがあり、広岡は日本テレビへと駆け付けた。エレベーターを最上階で降りると、会長室まで続いている長い廊下から荘厳な雰囲気が漂ってきた。ホームのはずなのに、なぜか完全アウェーのような物々しい緊迫感が全身を突き刺してくる。

「コンコンッ」と心情を表すような固いノック音を鳴らす。ゆっくり間を置いてから、パンドラの箱に手をかけるかのように重苦しいドアを開ける。〝もわぁ〜〟と緊張を孕んだ空気が逃げ場を求めて広岡に覆い被さる感じがした。部屋一面には踏み心地良い絨毯が敷き詰められている。視界に入ったのは、戦後の傑物として日本を急成長させた正力松太郎がゆらゆらと妖気を纏うようにしてソファに座わっている姿だった。

圧倒的存在感の正力松太郎を前にしても、広岡は怯まなかった。プロ野球の父と謳われる大人物の圧に屈せずに自然体のままでいられたのは、「巨人の広岡として死ぬ」という不退転の覚悟を携えていたからだ。人間、斬るか斬られるか─。広岡は深々と頭を下げて挨拶をし、正力の命によりソファへと座る。正力の視線はずっと広岡に注がれていた。互いに向き合うと同時に間髪入れずに正力から問いただされた。

「広岡君、きみは巨人軍の広岡として死にたいのだな」
「はい、そうであります」
「わかった。それほど巨人を愛するのなら、辞めることまかりならん」

正力松太郎は大きな声で発した。その言葉には有無も言わさない重みがあった。広岡は飲み込まれそうになったがぐっと堪え、圧を跳ね返すように返事を一旦保留した。正力松太郎はすぐに「川上を呼べ」と亨に命じたが、秋のオープン戦で九州に遠征しているとのことで、後日あらためて川上監督を交えて会食することになった。

◆人生で初めて自分の意思を押し殺す

広岡の気持ちは変わらなかった。いくら正力松太郎に言われたからといって、ここで引退を翻意してしまうと「オーナーに泣きついた」という烙印がついてしまう。トレードがご破算になった川上体制にとっても悪影響が出る。

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