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“蓮舫ステッカー騒動”で議論再燃「ステッカーは誰が、何のために貼るのか?」アーティストを直撃

日刊SPA! / 2024年7月26日 8時49分

 なお、当時は個人でオリジナルステッカーを印刷すると費用が高くついたため、郵便局で無料で手に入る宛名ラベル(通称228ラベル)に手書きでグラフィティを描くスタイルが主流となった。これは、ステッカーデザインにおけるクラシックなスタイルとして現在も定着している。

◆次第に風当たりが強くなる

 1990年代からはインターネットが登場したことにより、ステッカーは世界規模で取引されるようになった。しかし、それと同時にステッカーボムやグラフィティに対する風当たりも強くなっていき、世界各国で自治体が対策に乗り出すようになった。

 だが、いくらステッカーを剥がし、グラフィティを洗い流したところでアーティスト達にとっては「新しいキャンバス」が用意されたようなもので、いたちごっこの様相を呈するばかりであった。

 そのため、有効な対策を打てなかった自治体の中には、あえてアーティストたちと手を組み、壁画の製作を依頼したり、「ストリートアート特区」を独自に指定するなどして景観の保全を図った。こうして、行政サイドとの融和が進むにつれ、ただの落書きや景観破壊としか見られてこなかったストリートアートにも一定の評価がなされるようになっていったのである。

◆草間彌生、バンクシーが話題に

 2000年代に入ると、日本を代表する芸術家の草間彌生が、自らの個展にストリートアートの手法を取り入れ話題を呼んだ。これは、来場者に色とりどりの丸いステッカーを配布して、真っ白な空間に自由に貼って回らせるという、参加型作品であった。また、今や世界的アーティストとなったバンクシーが脚光を浴びるようになったのも2000年代からだ。日本では、2008年ごろに都内で謎の“力士シール”が話題になったりもした。

 2010年代になると、SNSを通じてストリートステッカーのコミュニティはますます広がりを見せ、ステッカーで生計を立てる者も多くなった。しかし、それと同時にアーティストたちは“セルアウト(商業主義化)”してしまうジレンマに直面する。

 先に述べたShepard Fairey氏は、自らの作品がブランド化した今でも「ストリートアートはあくまでストリートに留まり、誰にでも開かれた存在であるべき」と提唱している。また、一部のアーティストたちの中には「ストリートアートはあくまで反体制的であるべき」として、市民権を得ることに否定的なスタンスを取り続ける者もいる。

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