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「敬語も知らなかった」“ガングロ”ギャルが知識ゼロから社長に。経営危機を乗り越えて

日刊SPA! / 2024年8月1日 15時53分

 言葉の使い方、接客、美容知識、エステ実習……社会人として、エステティシャンとしての基本を必死で勉強する日々。一方、渋谷で個性の強いギャルや業界人たちと接していた経験からか、コミュニケーション能力は高い方だった。接客のコツを掴むとあっという間にエースとして飛躍していく。

「売上はどんどん上がるし、給料も上がるし、めちゃくちゃ楽しかったですね。入社から5年経った頃には部下が100人できてました。色んな経験をさせていただいてありがたかったです」

 25歳という若さにして大出世した塩澤さんは、徐々に独立への夢を抱くようになる。雇う側になってエステに興味を持つ女性を増やしたい……そんな思いがふつふつと湧いてきた。

 そして彼女は退職を決意。会社での地位を手放して新たな目標へと突き進んでいった。

◆自分で決めた道は絶対にやり抜く!ギャル時代から変わらない信念

 自分の道は自分で決める。塩澤さんは他人に敷かれたレールの上を歩くことはしない。

「誰に何を言われようが、自分の行きたい道に進んできました。その代わりに絶対やり抜きます。ときには弱気になることもありましたけど、どん底気分は3日間だけじっくり落ち込み反省してあとは前を向いていくこと、『雑草魂!』とこれを大切にしています」

 ギャルになると決めたときにもそうした強い意志があった。実は中学生の頃に女優を目指していた塩澤さん。劇団に所属して芝居の勉強をしていたものの、いくらオーディションを受けても採用されない。そんなときに出会ったのがギャルだった。

 ギャルになれば自分の個性が何なのかわかるかもしれない——渋谷の街を堂々と歩く女の子たちの姿を見てそう思った。あの子たちみたいに個性的になりたいと、肌を焼き始めた。しかし、女優を目指すなら過度な日焼けはできない。塩澤さんは迷った末に、女優の道を諦めてギャルになることを決めた。

 そんな彼女の決断が転機となる。渋谷に通うようになるとすぐに『egg』編集部からスカウトされ、女子高生読者モデルとして雑誌に出演することができたのだ。

 強烈な個性を持つモデルたちが勢揃いするなか、塩澤さんはガングロ肌に原色を合わせたスタイルを確立し、自らを「原色人類」と名乗るようになる。自分をどう見せたいか、そのためにはどうすればいいのか。当時から自分の見せ方についてよく考えていたという。

 その我が道を突き進む芯の強さと読者モデル時代に磨かれたプロデュース能力は、その後のエステティシャンとしての人生にも大きな影響を与えていく。

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