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「敬語も知らなかった」“ガングロ”ギャルが知識ゼロから社長に。経営危機を乗り越えて

日刊SPA! / 2024年8月1日 15時53分

◆経営の知識ほぼゼロでエステサロン開業へ。塩澤さんに訪れた様々な困難とは

 勤めていたエステサロンを辞めた塩澤さんは、まず開業資金1000万円を貯めるべくキャバクラで働くことに。とはいえ一般的に考えれば、すぐに手に入る額ではない。さぞかし大変だったのではと想像したものの、彼女は「実家暮らしだったのであっという間でしたよ!」とあっさり。なんとわずか2年で1000万円を貯めてしまったとか。それよりも彼女にとっての困難は、さらにその先にあったようだ。

「いや〜、もう数字が苦手で!経営の知識なんて全然なかったんですよ!それがほんっとに大変でしたね。だからいろんな会社の社長さんと知り合いになって、ペンと紙を持って話を聞きにいったんです。若い子が一生懸命メモをとってるからか喜んで教えてくれましたね(笑)。このとき教えてくれた恩師には今でも感謝しています」

 エステティシャンとしてはプロでも、経営者としては素人同然。開業資金はあっという間に無くなり、しばらくは別のエステサロンのアルバイトをしながらやりくりしていたという。さらに経営の勉強、事業資金の調達、宣伝活動のためのブログ更新、HPの開設準備……と夜な夜な作業をする日々が続いた。

 それに当時、塩澤さんはまだ27歳だ。若い女性が世間から“いち経営者”として認められるには相当な苦労があったことだろう。

「銀行の融資はなかなか受けられませんでしたね。すごく厳しかったです。なので事業計画書をしっかり作って見せたりして、どうしたら信用してもらえるのか考えてました。あと、経済界のパーティーに行くと男性からひじでグイッと小突かれることとか本当にあるんですよ。負けないように笑顔でやり過ごしてましたけどね」

“元ギャル”感がでてしまうと経営はうまくいかない。身をもって痛感した塩澤さんは少しずつ経営者としてのしたたかさを身につけていく。厳しい状況は続くが、前向きに乗り切ろうとしていた。すべてはサロンを軌道にのせるため……しかしそんななかで追い打ちをかける出来事が起きた。

◆東日本大震災で経営の危機に。それでも続けた先で訪れた転機

 2011年3月11日、東日本大震災だ。当時、東京も激しく混乱していたことは記憶に新しい。電力需給は逼迫、世間は自粛ムード。キャンセルの嵐でエステ予約もゼロに。経営にも大きな影響を与え、塩澤さんの張りつめた糸はプツンと切れた。

「初めてやめようかなと思いましたね。あの頃はまだ一人経営でしたし、もういいかなと。こんなこと考えたのは後にも先にもこの時期だけですね。

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