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「小田急」と「大分県」が異色のコラボ。実は“深い縁”でつながっていたワケ

日刊SPA! / 2024年8月23日 8時51分

「小田急」と「大分県」が異色のコラボ。実は“深い縁”でつながっていたワケ

「小田急」と「大分県」の知られざる深い縁とは…?(別府駅/箱根湯本駅)(撮影:若杉優貴)

 神奈川県海老名市にある小田急電鉄の博物館「ロマンスカーミュージアム」で、今年(2024年)7月17日から8月26日まで、大分県やJR九州とのコラボレーションイベントが開催されている。
 期間中は「温泉×特急でサマートリップしよう!」と題して、大分県とJR九州をテーマとしたジオラマの設置や大分県特産の柑橘類「かぼす」を使ったサイエンス講座の開催、大分県応援団鳥であるゆるキャラ「めじろん」の来館など、様々な企画が実施される。

 さて、「なぜ小田急が大分県とコラボレーションを?」と疑問を持つ人も多いであろう。実は、小田急電鉄と大分県には切っても切り離せない非常に深い縁があるのだ。

◆大分県人が生んだ小田急

 小田急電鉄が設立されたのは1923年のこと。その設立者は大分県人の利光鶴松という実業家だった。

 利光鶴松は1864年に豊後国稙田(わさだ)村粟野(現在の大分市玉沢)で生まれた。上京して明治法律学校(現在の明治大学)を卒業したのち教員、東京市議会議員を経て実業家となった。

 そして1923年に電力事業で得た利益を元に小田原急行電鉄(現在の小田急電鉄の前身)を設立、初代社長に就任。そのころには発電のほかに鉱業、瓦斯業、鉄道業など様々な事業に関わっていたというが、そのなかでも小田急は最大規模のものであった。

 小田急設立の翌年、1924年には関東大震災が発生。東京市は江戸時代からの市街地が灰燼に帰してしまう。一方で、市内西部の四谷区新宿(現在の新宿区)が新市街地の1つとして注目を浴びるようになったほか、郊外化の進展により小田急沿線となる予定の豊多摩郡代々幡町(現在の渋谷区)、荏原郡世田ヶ谷町(現在の世田谷区)などでは農地の住宅化が進んだ。

 このことは小田急にとって大きな追い風となったであろう。こうした帝都復興の真っただ中で多くの人材を確保すべく、利光は故郷・大分県でも積極的に採用活動を行ったため、小田急創業期には利光以外にも多くの大分県人が関わることとなった。

◆新東京の新たな観光・通勤路線として脚光

 小田急は1927年に新宿-小田原の小田原線全線、1929年には江ノ島線の全線を開通させる。当時の首都圏の私鉄路線は軌道線(路面電車)や軽便鉄道として開通して都市化とともに鉄道線へと衣替えしたものも少なくなかったが、小田急は当初から高速の都市間鉄道として計画されており、大部分が複線電化されていたほか、急行・快速運転に対応した配線で造られた駅が多かった。

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