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「平安京への遷都(794年)」の理由は“怨霊”だった…学生時代に習った日本史は間違っている?

日刊SPA! / 2024年9月3日 8時50分

◆怨霊という存在の影響力

 その結果、武士の平清盛が太政大臣となり、やがて孫の安徳を即位させて外戚となると、後白河法皇を幽閉し権力を奪ってしまった。「皇を取って民となし、民を取って皇となす」という崇徳の呪いが成就したと人々は考えたのである。

「後白河も崇徳の呪いを恐れ、その魂を鎮めるため、保元の乱の戦場跡に粟田宮を建立したが、その後『後白河は怪異におびえて自邸を引き払った』という記録も残っています。

 さらに1191年、重病に侵された後白河は、病は崇徳の祟りと信じ、崇徳を荼毘(だび)にふした白峰山に頓証寺殿(とんしょうじでん)を建立しました。寺の建物は朝廷の紫宸殿(ししんでん)を模した壮麗なものでした。しかし、それから三カ月後、後白河は崩御してしまったのです」

 このように古代においては、怨霊という存在が日本史に大きな影響を与えているのだ。改めて、怨霊の怖さを歴史によって感じてしまう。

文/河合敦 構成/日刊SPA!編集部

【河合 敦】
歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。
1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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