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元ギャルサー総代表の“その後”。突然の“子宮頸がん”宣告をギャルマインドで乗り越えるまで

日刊SPA! / 2024年12月19日 15時54分

 そんな親友に刺激を受け、性格が少しずつ明るくなっていった頃。ギャルを目指す決定打となる出会いがあった。

「『MAGICAL EXPRESS (海の見える街)』という曲を聴いたんです。もう……衝撃を受けました。それからトランスミュージックにハマって。どんな人がこういう音楽を聞いてるんだろうと調べてみたら“ギャル”なんですよね。それで私もこういう人たちになるって決めて」

 10歳以上離れた姉ふたりの影響でギャルにはもともと関心はあったが、親友とトランスによって、ついにそのスイッチが入った。そしてこの二つの出会いが、現在に至るまでの彼女の人生にも影響を与えていくことになる。

◆ギャルに厳しい世間の目…苦情の手紙や唾を吐かれたことも

 自己主張は悪いことじゃない、好きなファッションをしたい、もっと自由に生きたい……そう考えるようになった山城さんは、地元・埼玉から渋谷へと通うようになりどんどん派手になっていった。しかし、そんな彼女に厳格な両親が黙っているわけがない。

「親とは言い合いばっかりでしたよ。特に父は私の変化にかなり動揺してました。でも喧嘩しても意味がないので。冷静になって『何が嫌なのか説明してください』って返してました」

 “ギャル=不良”として認知されていた時代。今となっては“個性”として好意的に受け止めてもらえるギャルカルチャーだが、当時は冷ややかな目で見る人も多かった。親だけではなく、近所の大人も、学校の先生も、山城さんには厳しかったという。

「今はギャルが肯定的に見られてますけど、それってすごいことですよ!昔はセンター街を歩いてたら唾とか吐かれてましたし、家のポストに『なんで歩いてるんですか?』って書かれた手紙が入っていたこともありました。あの頃はクラブなんて行ったら不良だと言われていましたから」

 それでも自分の軸を曲げることはなかった。もう誰にも縛られない、私は好きなように生きる、山城さんの意志は強かった。

 そんななか、109の下でスカウトされてモデルとしてデビューを果たす。すると、周囲の対応は変わったという。

「モデルとしてお金を稼ぐようになると誰も何も言わなくなったんです。それで幼心に、大人は仕事で成功すれば何も言わなくなるんだって捻くれてしまって(笑)。自分の道を突き進むためには自分で稼げばいいんだと思いました」

 中学2年生にして自分で稼ぐことの意義を知った山城さんは、モデル業に勤しんだ。

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