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離婚から1週間後にがん宣告。「普通に生きることは無理」元ギャルサー総代表の激動人生

日刊SPA! / 2024年12月20日 15時53分

 服装やヘアメイクはどんどん派手になっていった。親にとめられようが、先生から指導されようが、自分が今いちばんしたい格好を貫きたい。派手なだけで何が悪いのか、と大人たちに堂々と主張できるようにもなった。

 そんななか渋谷109の下でスカウトされ、中学2年生にしてティーン雑誌の専属モデルとしてデビュー。モデルとしてバリバリ働き、自分で稼ぐ楽しさを知る。

 家庭の事情も色々あって——そう言っていた山城さんだが、実はバブル崩壊の影響で、父親の仕事が上手くいかなくなっていたという。そうした背景もあり、学生の頃から自立心が強かった。

「自分で生きていくためにはどう稼ごうかなってことを考えてました。父は子どもにいい暮らしをさせてあげられていないという罪悪感で精神的に病んでいて。小さい頃からそんな親の姿を見ていたので、早く自立しなきゃなと思ってましたね」

 モデルとして活躍するようになると、親も先生もなにも言わなくなったそうだ。そうか、やりたいことを認めてもらうには成功すればいいのか、周囲の変化を見てそう感じたという。そのうち“ギャル”として有名になりたいと考えるようになった。

 肌を黒くし、髪はハイトーンカラーに染め、個性的なギャルファッションに身を包む山城さん。そんな彼女の姿は地元・埼玉でも存在感があったに違いない。

 地元の祭りで遊んでいたところ、先輩から「今度東京に新しくできるギャルサーに入らないか」と声をかけられたという。ギャルサーにも興味があった山城さんは、その場ですぐに加入を決めた。

◆ギャルサー総代表に抜擢。ギャルとして有名に

 渋谷を歩けばギャルだらけの時代。山城さんは差別化を図るため、コンセプトを決めてスタイリングしていたという。彼女は笑いながら「自分のことマーメイドとか言ってたんですよ!」と振り返る。当時の写真を見せてもらうと、ブロンド×ピンクのロングヘアーに、全身ブルーのコーディネートで、確かにマーメイドのようだった。

 そんな山城さんはサークル内でも目立っており、2代目総代表にも抜擢。サークルの顔として活動することとなる。さらには知人からの誘いで、ギャル関連のプロデュース業として会社も任されていたとか。密着取材、モデル業、番組出演、商品企画、学業……と多忙を極める日々。学校との両立は大変だったが、仕事はとにかく楽しかったという。

「高校生で会社をやることってあんまりない経験じゃないですか。これだ、という感覚がありました。会社員には向いていないと思ってたんですけど、これなら私に合ってると思いましたね。ギャルを経験したことで自己プロデュースの面白さがわかった気がします」

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