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「あえて自分から孤独になろうと」キャリア重ねた48歳、滝藤賢一が「苦しまないといけない」と語る理由

日刊SPA! / 2025年1月11日 8時52分

滝藤:すごいよね。

――滝藤さんも、俳優に関してはずっと続けてきたのは、自分への期待や自信を持ち続けられたからでしょうか。

滝藤:自信があったのは無名塾に受かった時まで。「やったぜ、これで映画スターだ」と思ってました。入塾してからは、もうボッキボキに折られました。ひと言しゃべったら「ちゃんとした日本語をしゃべりなさい」、一歩踏み出したら「ちゃんと歩きなさい」という毎日ですから。

◆引き返せないから続けた。でもそれが意味があった

――でも辞めなかったわけですよね。

滝藤:辞めても何もできないですから。

――振り返ってみると、続けることの大切さを身に染みて感じたりしますか?

滝藤:分かりません。ほかに何もできないし、正直、引き返せなくなるんです。「高橋克実さんは40歳くらいまでアルバイトしてた」というのを『徹子の部屋』で見て、「40歳まではバイトしながらやってていいんだ」と勝手に思ってました。

今の幸せな生活を考えれば僕にとっては、続けるということは大事だったというか、意味があったように思います。

◆ある意味目立つ芝居をすることも、大事ではある

――そこからどんどん人気が出て、『半沢直樹』のときも「ブレイク俳優!」とバーンとたくさん記事が出ていました。そうしたときの心境は。

滝藤:やってきたことは変わらないんです。今までもどの作品も一生懸命、丁寧に積み重ねてやってきました。そのひとつが、世の中の多くの方に受け入れられたというか、見ていただけたということなんですかね。

ただ、たしか今回の映画でも「売れなくてもいいから書きたいものを書くのか、売れるためのものを書くのか」みたいな言葉があったと思うんですけど、東十条は、売れるもの、万人受けするものを書いている。その東十条の葛藤はめちゃくちゃ共感できます。

――売れるもの。

滝藤:まず世の中の方々に知ってもらうために、誰もやらないような、ある意味目立つというか、奇をてらうような、人の記憶に残る芝居をすることも、時には大事なんだと信じてやってました。

自分が無名塾で学んだ芝居は、余計なことは一切しないという引き算の芝居。でも、僕の場合その芝居では闘えなかったように思います。足し算の芝居をすることで多くの人に知ってもらうことができました。

知名度が上がるというのは、嬉しいことのはずなんですけどね。今はちょっとよく分からないです。

◆世に出れば出るほど、失っていくものも

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