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「金八先生」生みの親、脚本家・小山内美江子さん天国へ 94歳老衰 長男・利重剛「幸せな人生だったと」

スポニチアネックス / 2024年5月11日 4時52分

01年、TBS「3年B組金八先生」製作発表で笑顔を見せる武田鉄矢と原作・脚本の小山内美江子さん

 TBS「3年B組金八先生」の原作者で、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」などの多くの名作ドラマを手掛けた脚本家の小山内美江子(おさない・みえこ、本名笹平美江子=ささひら・みえこ)さんが2日、老衰のため死去した。94歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。94歳の大往生に、長男で俳優の利重剛(61)は「幸せな人生でした」とコメントした。

 利重は「やりたいことをやり、言いたいことを言い、多くの人々に愛された、幸せな人生だったと思います」と公式サイトで報告。今後は生前の希望にのっとり、京都・常寂光寺にある女の碑(志縁廟)に納骨する予定だ。

 小山内さんは2015年に心臓大動脈弁の手術を受け、ペースメーカーを付けて生活。18年には心不全で緊急入院。その後も慢性硬膜下血腫を患うなど、1年で5度の手術を受けたが、持ち前の気力で乗り越えた。「もう1本ドラマを書きたい」と話していたが、それはかなわなかった。

 元々は映画監督志望で、高校卒業後の1951年から映画の記録係として10年働いた。監督を目指す男性と結婚し、利重を妊娠しながら62年のNHKドラマ「残りの幸福」で脚本家デビュー。出産後に離婚し、脚本業に専念した。当時助監督だった深作欣二さんら4人で組んだ集団「4人組」で、TBS「キイハンター」などヒット作を生み出した。

 79年にNHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」を担当。ちょうどその時にTBSから受けた依頼が「中学生を題材にした金曜8時のドラマ」の脚本執筆。当時は利重が高校に進学した時期。本人や友人たちを集めて悩みなどを聞いて構想を深めていったのが「3年B組金八先生」だった。

 金八先生の脚本は、生徒の妊娠、いじめ、学級崩壊などその時代の問題をテーマに盛り込んだ。非行少年を描いた「腐ったミカンの方程式」など今も語り継がれる人気回も多数。小山内さんは「中学生の母として気になっていたことを発信し続けていた」と明かしていたが、リアリティーにあふれたドラマは教育界にも大きな影響を与えた。79年の初回から、病気のため途中降板した04年の第7シリーズまで、25年にわたり脚本を担当した。

 精力的にボランティア活動にも取り組んだ。93年にNPO法人「JHP・学校を作る会」を創立し代表理事に就任。カンボジアなどに約400棟の学校を建設。90歳を超えても積極的に活動に取り組み、生涯現役を貫いた。

 小山内 美江子(おさない・みえこ、本名笹平美江子=ささひら・みえこ)1930年(昭5)1月8日生まれ、神奈川県出身。脚本家として「ウルトラQ」など特撮作品にも関わった。81年にNHK連続テレビ小説「本日も晴天なり」を担当。ほかに大河ドラマ「徳川家康」(83年)、「翔ぶが如く」(90年)も務めた。著書には「我が人生、筋書き無し」など。

 ▼西田敏行(NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」に主演)司馬遼太郎原作、小山内美江子さん脚本で西郷隆盛を演じさせていただきました。役者にとって、毎回ワクワクする脚本を頂き、楽しくてあっという間の1年の収録でした。ありがとうございました。ゆっくりお休みください。合掌。

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