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〝フォークやロックは1曲がガマンの限界〟アニタ・オデイ 大御所ジャズシンガーの貫禄発言

東スポWEB / 2024年4月21日 10時4分

アニタ・オデイ

【今週の秘蔵フォト】1950年代に全盛期を誇った白人女性ジャズシンガーの代表格が、アニタ・オデイ(2006年11月没。享年87)だ。黒人ジャズシンガーが主流の時代にあって、大御所的存在として人気を集めた。

独特の歌唱法で高校時代からシカゴのダウンタウンクラブで歌い始め、20歳の時には当時の超人気バンド、ジーン・クルーパ楽団の専属歌手となり、500万枚以上のレコードを売り上げたという。

以降は数々の人気楽団の専属歌手を務め、1950年代からソロ歌手に。多くのヒットアルバムを出すと58年の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演して「スイート・ジョージア・ブラウン」を見事に歌い上げて名声をまた高めた。このシーンは映画「真夏の夜のジャズ」に収録されている。

そのアニタが2度目の来日(初来日は63年)を果たした75年6月12日付本紙にはアニタの貴重なインタビューが掲載されている。当時55歳。円熟期に入った時期だった。

「本当の心を歌う人はみな死んでしまった。ルイ・アームストロング、ビリー・ホリディ、ダイナ・ワシントン…いわゆるブルースはビリー・ホリディとともに終わった気がするわ」と静かに語り、当時人気があったナンシー・ウィルソンやロバータ・フラックらのジャズ&ソウルシンガーを「ポップシンガー」と表する貫禄を見せた。

有名な「ニューポート~」については「あのころのことねえ。そりゃあハッピーだったわよ。いろんなプレイヤーと共演して、歌っていて楽しかった。今、私が身上としているのはバラエティーってこと。ステージで歌うことだってそうだし、人生だってそうでしょ」と感慨深く振り返った。

コンサートを見た記者は「つぶれた声がハスキーボイスとなってよみがえっていた。各楽器との掛け合いはアニタの独壇場。それは今回の来日ステージでも存分に発揮されていた」と表している。アニタは「フォークやロックには全然興味ないのよ。まず1曲がガマンの限界ね。だって心を歌う工夫がないんだもの」と堂々語った。

アニタはその後も何度か来日を果たし、まさに生ける伝説として21世紀になっても歌い続けた。(敬称略)

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