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楽天の球団初勝利をつかんだ岩隈久志 ローテ守るも9勝15敗と苦しんだ【平成球界裏面史】

東スポWEB / 2024年5月5日 9時9分

開幕戦で球団初勝利を飾った岩隈久志(右)が田尾監督と握手(2005年3月)

【平成球界裏面史 近鉄編51】平成16年(2004年)、近鉄に入団5年目のシーズンにして岩隈久志は初の開幕投手を務めるまでに成長した。6月13日にオリックスと近鉄の合併報道が出る中でも、開幕から12連勝を含む15勝。さまざまな葛藤と戦いながらも野球で結果を残したシーズンだった。

合併後の所属チームに関しては岩隈自身が希望した通り、合併球団のオリックスバファローズではなく新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスに入団することで落ち着いた。そして05年、楽天球団初年度の開幕投手に選ばれたのは近鉄時代から数えて2年連続となる岩隈だった。

いわゆる球団の「裏方」と呼ばれるスタッフの多くも近鉄から楽天球団に入団していた。創設から間もない球団にあって、これまで球団運営に携わってきた「元近鉄」スタッフのノウハウなしには、キャンプもオープン戦も公式戦も全てがままならなかった。

3月26日の開幕戦、ロッテー楽天(千葉マリン)の結果は3―1で楽天の勝利。先発した岩隈は9回を打者33人、5安打1失点に抑え完投勝利を挙げた。記念すべき球団第1号の白星をつかみ取ったのは近鉄のエースだった岩隈だ。

この時、元近鉄スタッフの一人が「ユニホームの色がちょっと変わったけど、燕脂(えんじ)色が基調やからなあ。薄目で見たら近鉄にも見えんことはない。早く慣れんとあかんねんけど、何で近鉄のままで戦われへんかったんかと今でも思ってまうんよなあ」と話したことが強く印象に残っている。

戦力が整ってはいなかった楽天の1年目、岩隈には近鉄時代同様の結果が期待された。手駒が手薄な中、岩隈は1年間、先発ローテの中心として役割を果たしはした。だが、近鉄時代から症状が出ていた右肩痛に悩まされたシーズンでもあった。球団はダントツの最下位でも岩隈は9勝を挙げた。ただ、規定投球回到達投手の中で防御率4・99はリーグワースト。敗戦数もワーストの15を数えた。

さらに平成18年(06年)から2段モーションが禁止となり、岩隈にとっては多大な影響が出る結果となった。何とかフォームを修正しルールに適合させようと模索したが、しっくりくるフォームをつかみ切ることができなかった。前年から発症していた右肩痛に加えてフォームも固まらず。開幕には間に合わずシーズン初勝利を挙げたのは9月12日のロッテ戦(千葉マリン)というスロースタートになってしまった。

結局、このシーズンは6試合に登板して1勝2敗で防御率3・72。合併騒動からの2シーズンに関しては岩隈にとっては苦しい期間だった。

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