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来春引退の里村明衣子「13人いた同期は…」 壮絶な新人時代を経て〝女子プロ界の横綱〟になるまで

東スポWEB / 2024年9月10日 11時2分

里村 同期は13人いて、長与さんに指名をいただいて付け人になりました。洗濯、スケジュール管理、試合の準備をしてたんですけど、失敗ばかりしてました。たぶん10回以上付け人を降ろされてます。そのたびに同期が指名されるんですよ。それがまた悔しくて、長与さんの自宅まで謝りに行って、夜中でも許してもらうまで、ひたすら家の前で待ってましたね。

――1番の失敗は

里村 大阪大会の日、会場に着いた時に、長与さんのガウンを忘れてきてしまったことに気がついて。KAORUさんに「道場まで取りに帰れ」って言われて、泣きながら新幹線に乗って新横浜の道場まで戻って、自分の試合にもギリギリ間に合いましたね。でも、バカだから、違う会場とかでも同じことを3回以上やりました…。新幹線代はもちろん自腹です。あとは先輩のコスチュームを外に干していると盗まれることがよくあって。同期でお金出し合って、同じコスチュームを自腹で作ってお返ししたり…。その時の給料? 光熱費と食費は会社に負担してもらっていましたけど、2万3000円です。すぐになくなっちゃいました。

――3禁など規則も厳しかった

里村 道場の周りは畑でコンビニまで行くのに15分ぐらいかかりました。男、お酒、たばこは禁止で門限が夜の8時。コンビニに公衆電話があったので、親に電話したい時は何時何分に出て行って何時何分に帰るのか、ノートにメモもしなきゃいけなかった。しかも団体の方針で、他団体の選手や記者の方とも交流を禁止されていたので、鎖国状態で軍隊って言われてました。その年に地下鉄サリン事件(95年)があったので、いつしかガイアの道場は「第7サティアン」っていうあだ名がついてました(笑い)。でも、そのおかげでどこの会場も超満員。業界1番と言われていた全女の人気を抜き始めたんです。

――練習も厳しかった

里村 よく「寝ずに練習しろ」って言われてて、朝6時半から練習を始めて、お昼休憩1時間取って、夕方6時まで練習。1日10時間以上練習してました。練習が終わると出かける気力もないので、コンビニに行くのが唯一の楽しみ。半年で13人いた同期は半分になってました。

――2001年12月にAAAWシングル王座を初戴冠した

里村 アジャコングさんからベルトを取りました。17歳だった時に初めてアジャさんと対戦して、試合後に「神様は前髪しかないから、後ろからつかもうとするんじゃなくて、前を回ってチャンスをつかもうとしなきゃダメだ」って言っていただいたんです。アジャさんの言葉が温かくて、その時に絶対この人を倒すって決意した。うれしかったですね。でも、チャンピオンになってからも後輩が次々に辞めるので、解散するまで自分がトップにいながらも、下積みの仕事は変わらずやってました。それを耐え抜いたので、仙女を立ち上げる時も、スタッフ3人分くらいの仕事を1人でこなすことができました。

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