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人気芸人でも敗退、M-1「番狂わせの歴史」の起源 創設者が解き明かす「裏方目線」のM-1誕生秘話

東洋経済オンライン / 2023年11月30日 11時40分

同年を含め、計4回、決勝戦を会場で見させてもらっている。審査結果に関しては、出場者やファン、観客、そして審査員それぞれに“想い”があるのは皆さんご存じのとおりだ。テレビで見ている人たちと、会場で見ている人たち、そして客席の熱量や笑いの大きさを目の当たりにしている審査員たちとでジャッジが微妙に異なるのは当たり前のこと。

さらに、島田紳助氏の想いを受け継いだダウンタウンの松本人志が何点をつけるのか、どんなコメントを残すのかは、出場者の胸にもっとも刺さる点だと思う。

吉本の劇場に貼られる優勝芸人の写真

11月26日の「ワイドナショー」で今田耕司は「今、吉本(興業の所属タレント)が優勝してないんですよ、何年か。だから生放送、終わって、裏で(吉本の)社員がものすごい空気になってんねん」と言っていた。

受けて、吉本興業所属のオズワルド・伊藤は「僕らが準優勝だったときも(SMA所属の)錦鯉が優勝して、次の日からルミネ(theよしもと)に写真が貼られるんですよ。『目に焼き付けろ』みたいになってる」と。昨年の覇者は爆笑問題が所属するタイタンのウエストランドだった。果たして今年は吉本の巻き返しとなるだろうか。

今年の決勝は12月24日。午後3時から午後6時30分までが「敗者復活戦」で、そのまま決勝に入り、午後10時10分まで、約7時間ぶっ通しでテレビ朝日系にて放送されることとなった。

お笑いファンのみならず、年末の風物詩として多くの人が話題にし、優勝者には毎年“M-1ドリーム”と呼ばれるくらい多くの仕事が舞い込むほどの影響力を持つ「M-1グランプリ」。

そのルーツを記した『M-1はじめました。』(谷良一著)が売れている。帯に一文を寄せたのは島田紳助氏。「M-1は、私と谷と2人で作った宝物です」とある。片側には「崖っぷちから始まった起死回生の漫才復興プロジェクト」と記されている。

放送作家も知らなかった「漫才・冬の時代」

1980年代の漫才ブームから近年まで、ずっと“お笑い番組”があり、多くの漫才師が売れっ子になっていった印象を、バラエティ専門放送作家である私でさえ持っていたのだが、実はM-1がスタートする前は、吉本の各劇場でさえ漫才を行うことが禁じられるほどの「漫才・冬の時代」があったという。

1981年に吉本興業に入社し、横山やすし・西川きよし、笑福亭仁鶴、間寛平ら同社のトップスターを担当するマネージャーを経て、「なんばグランド花月」などの劇場プロデューサーや支配人、テレビ番組プロデューサーを務めるなど、花形社員だった谷良一氏。

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