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40歳で離婚、福祉に頼りながら幸せに生きる女性 「専業主婦という名の"ひきこもり"だった」

東洋経済オンライン / 2023年12月2日 11時0分

「苦しかったのは収入が少ないのに娘に養育費を月2万5000円払わないといけなかったことです」と話す原口さん(編集部撮影)

アラフォーというと仕事が波に乗ってきたり、育児に追われていたりしている世代だ。現在、夫婦の3組に1組が離婚すると言われているが、アラフォーで離婚をした人はその後どのような生活を送っているのだろうか。今回は40歳で離婚をした女性に話を聞いた。

専業主婦という名のひきこもりだった

約束をしていた喫茶店に現れた原口麻衣さん(仮名、53歳)は素朴な印象で穏やかな口調の女性だった。原口さんは東日本大震災のあった2011年に40歳で離婚している。23歳で結婚後、公務員として働いていたがメンタルの調子を崩して休職と転職を繰り返し、39歳でリーマンショックにより離職した後は家庭に入り専業主婦となった。

「でも、専業主婦という名のひきこもりだったんです。家事がうまくできなくて元夫にいつも怒鳴られていました。そして、うつ状態に苦しみつつ、いつ怒鳴られるのかビクビクしていました。そんな様子に愛想をつかした元夫から離婚を切り出され、シングルマザーになりました」

離婚後は当時中学生になったばかりの娘との生活。両親とは折り合いが悪かったので親には頼れなかった。しかしうつの状態が悪く、ゴミ屋敷状態の自宅にひきこもる様子を見かねた娘から「父親と生活がしたい」と言われ、原口さんは娘の住む家から追い出された。親権は元夫へ移り、娘は元夫と生活を始めた。

「通院していた精神科ではうつ病と言われていましたが、うつ病がなかなか良くならず、新薬を試したら治るのではないかと期待を抱いて治験のできるクリニックに変えました。ところが、治験薬の副作用でだるくて寝たきりの状態になってしまい、それを見かねた母が心配してきたんです。それをきっかけに障害者手帳を取得しました。

さらに母に問いただしてみると、すでに40年前に発達障害の診断が下りていたと言うんです。当時は発達障害という言葉はなかったので、微細な脳の損傷のある子どもとされていたようです。もっと早く教えてくれていたらまた違った選択ができたのにと思いました。でも、思い切って治験でクリニックを変えたことはとても良かったです。あのまま、前の病院にいたら、今でもうつでずっと苦しんでいたと思います」

発達障害の当事者会に参加するように

原口さんは発達障害のせいで家事がうまくできず部屋がゴミ屋敷と化していたのだ。それから発達障害の当事者会に参加するようになり、情報を得て障害年金の受給や、障害があることから格安でヘルパーを利用できることを知った。週に何度かヘルパーに来てもらうようになり、ゴミ屋敷だった部屋はみるみる片付いていった。下町で一人暮らししている部屋は家賃が安く、元訪問看護師の大家さんも原口さんに良くしてくれた。

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