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新幹線と在来線特急「自由席・指定席」めぐる歴史 年末年始「のぞみ」全席指定化は必然だった?

東洋経済オンライン / 2023年12月12日 6時30分

1964年10月に東海道新幹線(東京―新大阪間)が開業。開業後初となる年末年始の時刻が掲載されている1965年1月号の編成表を見ると、新幹線も在来線の特急も全席指定席となっていた。が、東海道新幹線のページの欄外を見ると、こんな注意書きが。

12月26日~1月15日まで特急「こだま号」各列車(臨時列車を除く)の1~6号車は2等に限り自由席制となります。(特急料金は「こだま」料金の100円割り引きになります。)

新幹線、特急に初めて自由席が設定されたのは、新幹線「こだま」だったのだ。

おそらく、年末年始で混雑することから、より多くの人を運ぶために自由席としたのだろう。2023年の年末年始、混雑を理由に「のぞみ」の自由席を廃止する東海道新幹線で、1964年の年末年始、混雑を理由に全席指定の「こだま」に自由席を作ったというのは興味深い。

自由席の評判が良かったのか、翌年1966年1月号を見ると「こだま」の自由席が定着。さらに2両ある1等車(グリーン車)のうち1両(7号車)まで自由席化。土休日午後に東京―三島間で1往復運転される臨時の「こだま」は、1等車、2等車すべてが自由席で運転されていた。

そんな自由席の広がりは在来線の特急にも波及した。「つばめ」(名古屋―熊本間)、「はと」(新大阪―博多間)、「しおじ」(新大阪―下関間)、「しおかぜ」(新大阪―広島間)などの山陽本線を走る特急のほか、「しらさぎ」(名古屋―富山間)、「あすか」(名古屋―東和歌山間、紀勢本線経由)にも自由席が設定された。

自由席、衰退と拡大の歴史

1967年1月号を見ると「こだま」の自由席が拡大。12両中1等1両、2等7両の計8両が自由席となる(1等車2両の「こだま」の場合、1等1.5両、2等6両が自由席)。 在来線では「雷鳥」(大阪―富山間)の1往復に自由席が登場。「あすか」は全席自由席に。

1969年1月号では「ひだ」(名古屋―金沢間、高山本線経由)、「あずさ」(新宿―松本間)、「あさま」(東京・上野―長野・直江津間)に自由席が登場と、自由席拡大路線が進むが、1970年1月号を見ると「こだま」のグリーン車が全席指定席(1969年5月に1等車をグリーン車に名称変更)に。「しらさぎ」の自由席が消滅する。

1971年1月号では「雷鳥」「あずさ」の自由席が消滅、代わって「ひたち」(上野―平間)、「あいづ」(上野―会津若松間)に自由席が登場する。

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