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オワコン化した従来教育、捨てられる教師の末路 平成の価値観が通用しないZ世代が親になる頃に危機

東洋経済オンライン / 2024年1月10日 6時50分

それもそのはずで、学校教師は、授業のほかに担任、生活指導や進路指導、保護者対応、職員会議、もろもろの書類作成、部活の顧問などなど、とにかく仕事が多いのです。その合間を縫って、担当教科の授業の準備をし、宿題を考え、テストを作り、採点するなどの仕事をこなさなくてはいけません。

それでも、教育に関心がある人ならば教師になるだろう、と思われるかもしれませんが、受け皿は学校だけではありません。テストの点を取らせることに関心がある人には大手予備校や塾、教育の仕組みづくりに関心がある人には教育事業を展開する民間企業に就職するという道があります。

しかも、これらのなかには学校教師よりもずっと高給なところも多く見られます。というわけで、教育に関心があり、かつ就職戦線を勝ち抜ける優秀な人ほど学校教師にならない。

こうして、本来ならば教育の中枢を担う機関であるはずの学校が、いわば人材のエアポケットになってしまっているのです。この事実はまた、日本の学校教育がなかなか根本的に変化しない理由にもなっています。

教育に関心があり、新しいアイデアのある人ほど、「学校ではないところ」で教育に関わろうとする。裏を返せば、旧来の価値観や手法のままでいい、学校に変化など必要ないとする保守的な人たちが学校に集まる傾向があるというわけです。

採用側である学校としても、今までの自分たちのやり方を否定されたくありません。となると熱い教育改革論をぶつけてくる人よりも、早々に自分たちの色に染まってくれそうな人のほうが好ましいので、いくら新しい人材を採用しても、一向に変化は起こらない。それどころか旧来の価値観や手法が固定化し、強化されやすいのです。

かくして、世の中は刻一刻と変化しているというのに、学校だけは取り残されたまま日本国内のガラパゴスと化していることは否めません。

あるべき「学びの形」が変わっている

そして第3の事実として挙げなくてはいけないのが、優れたデジタルツールの登場により、学びの形が変化を求められていることです。こういうと、2022年に日本でもリリースされて話題をさらったChatGPTなど、生成AIを思い浮かべるかもしれませんが、デジタルツールが教育に与える影響は、今に始まったことではありません。Google検索、もっといえばパソコンとインターネットが普及したころから、ずっと起きてきたことです。

かつては「知識があること」自体に価値がありました。ところが、その価値はパソコン、インターネット、Google検索の登場以来、どんどん薄れてきました。本から知識を得て記憶しておかなくても、キーワードひとつ打ち込むだけで知識を得られるからです。わからないことに出会ったら、Googleで検索すればいい。「あれって何だっけ?」と思うたびにGoogle検索で確認すればいい。

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